- ピーター・ラヴゼイ「煙草屋の密室」ハヤカワ文庫中村保男・他訳
- 御存知ラヴゼイの、これは短編集。十六編収められていて、男女の機微あり、精巧などんでん返しあり、軽いどたばた色で彩られた粒揃いの逸品である。
中でも「Did You Tell Daddy?」(パパに話したの?)が楽しい。迷うならこの一遍を立ち読みすればよい。必ず買いたくなる。ラヴゼイを知らなくても、普段小説を殆ど読まなくても、これなら誰でも気に入る短編集である。
翻訳者は他に高見浩や深町眞理子の大御所の名もあり、確かに「ラヴゼイ」という統一テーマはあるが、一遍一遍の構成はそれぞれに趣向が凝らされており、翻訳者も違うことから、同一作者の短編集でありながら、異なる作者を集めた短編集の雰囲気を纏った、これからの季節に相応しい、枕元に置いてえくべき本である。お勧めだ。読めい。 - 米原万里「ガセネッタ&シモネッタ」文藝春秋
- 初めて米原万里の名を目にしたのは遥か昔椎名誠のロシアものの中に通訳として出て来た時であって、ただそれだけなのに随分昔から知っている気がするから勝手なものだ。新聞・週刊誌などのコラムをぽつぽつ読んでいたことも親近感の足しになっていたに違いない。しかし一冊の本として読むのはこれが最初である。
元々不思議に女流作家はあまり読まず、新刊からほぼ読むのは文体の気に入っている鷺沢萠、塩野七生に限られていて、ミステリでは結構読むが、女流作家のべたついたエッセイはどうにも咀嚼しきれずにいた。骨っぽい文章であるところの塩野七生は随分気に入っていて、今ローマ人の物語が楽しいところだが、その数少ない女流作家枠に米原万里は突き刺さってきた。面白くて骨があって、「真顔で与太」という好みの第一条件に完全に合致するのだ。
ロシア語の通訳である著者は、子供の頃日本を離れて育ち、改めて日本語を体系的に学び直した事が日本語を外から眺めることが出来る下地となり、紡ぎ出されるいささか陳腐ではあるもののそれを補って余りある笑いのセンスと呼吸が素晴らしく、一気に読んでしまう事が惜しいと思う久しぶりの本だった。
この本はあちこちに書いたものを編んだエッセイ集なので統一感はあまり感じないが、それでも「翻訳」という筋があることで、「まとまったごった煮」という魅力を最大限発揮している、装丁の大変魅力的な本である。
トリの文は少々浮いているようだし、タイトルの二人の話をもっと読みたいが、それはこの先いくらでも読むことが出来ると信じよう。お勧めだ。
そして米原万里推薦の「田丸久美子」が捜索リスト入り。 - 丸谷才一「挨拶はたいへんだ」朝日新聞社
- これは丸谷才一の公私様々な場に於いてのスピーチ集である。
巻末の井上ひさしとの対談に得る所多し。 イアン・アーシー「怪しい日本語研究室」新潮文庫
突っ込み方と勘違いの仕方がわざとらしくて少々くどいが、日本語を外から見た場合の新鮮な発想がある。外来語の日本語動詞化について、「この服プレしておいて」「プレすんですか」この発想は日本人にはなかなか出来ない。 - 藤川清「怒れ!ドライバー」ちくま文庫
- 古本屋で一冊頭から尻まで一気に全部立ち読みしてしまった。それでも棚に戻すのが惜しくてしばらく弄っていたが、奥付を見て購入した。随分古いが、道路行政の問題点は今も変わらないのであって、つまりこの本の内容は今でも十分通用するというわけだ。電網で検索してみると、百円で売っている古本屋が一箇所、いくつかのオークションでは五百円前後、古本文庫屋さんでは初版で680円。百円で買ったことは間違っていなかった。まあ、ブックオフの台頭とともにせどりが復活したわけだし、専門にして出来ない事もないが、やはり高く売れる本というものは、絶版であること、しかも面白いこと、すなわち需要があることであって、そういう本は手元に置いておきたいものだから、本を売れない活字中毒者というわけだ。