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ディヴィッド・ベニオフ「25時」新潮文庫 田口俊樹訳
 なんと鮮やかなことだろう。幼年より不自由なく育ち、やがて高校生になると麻薬の密売に手を染めるようになる。それが学校に知れ、退学するが、同級生が卒業する頃にはフラットを持ち、ヨットを持ち、別荘を持ち、唸るほど金があり、権力があり、瞠目するような美女と暮らしている。同級生の憧れである伝説の男。それが信頼していた友人である用心棒に裏切られ、七年の刑で収監されるまであと25時間きり。この時間の流れは早くもなく遅くもなく心地よい男達の応酬で埋められてゆく。特に際立つ出来事もなく、淡々と活写される一挙一投足に絶妙のタイミングで挟み込まれるフラッシュバック。やがて読者はさも同級生であるかのような気分にさせられる。抑制が効いていながら鋭さを失っていない棘を持つ友人とのやりとりに彩られた厚い友情が羨ましくなる。
 無論女が出てこないわけではない。とびきり魅力的なナチュレル、若く奔放な高校生のメアリ・ダヌンツォ。それぞれが戸惑いと不安と後悔とやり場のない思いを交錯させながら残る時間を過ごす。 ストーリー自体に興味を持つのは間違っている。誤解なきよう言っておくが、ストーリーはがっちり構成されており、どこを突付こうにも隙がない。しかしこの本の最大の魅力は、二十七歳、大人とも言えず子供とも言えず、青春と呼ぶには気恥ずかしくもある年代の、紛れもない青春を、べたつかない距離感で、将来に対するいらだちを言葉の裏の裏に巧妙に隠して、静かに情景を重ねるだけで、人生と世界に対する激しい絶望感と厭世的な享楽感に包まれた、まるで暗いところのない友情物語が紡ぎ出され、その波に身を委ねて、知らず知らず己の来し方を思い返すことにある。
 ラストは思わず繰り返し三回読んだ。ディヴィッド・ベニオフ、覚えておこう。
 これを映画に?素晴らしい原作を読んでしまうと映画なんて観たくないね。
D・E・ウェストレイク「ニューヨーク編集者物語」扶桑社ミステリー文庫 木村仁良訳
 1984年にウェストレイク名義で出版された出版界の内幕を描いたスラプスティッック。この哄笑を保証する物語はミステリアスプレスの「ニ役は大変!」を超える騒ぎだ。少々登場人物が入り組んでいるように感じるが、構図は簡単だ。作家の「わたし」がいて、恋人がいて、恋人には元亭主がいて、その間に二人の子供がいて、元亭主には恋人がいて、「わたし」の元家内がいて、元家内との間に子供が二人いて、編集者が計三人。これが主な登場人物だ。単純だろ?現実にこれだけ揃えばどう考えても一騒ぎあるが、この物語当然他にも登場人物がいるから楽しい。
 「クリスマスブック」を発行する為に駆けずり回る「わたし」が女と女と女に引き回され、編集者が変わるごとに騒ぎが倍加し、読んでいる途中でこの話を一体どのように終わらせるのか心配してしまう。当然巨匠と呼ばれるウェストレイクにそのような不安は無用であって、この本の出版当時既に巨匠と呼ばれていたかどうかは知らないが、終わってみれば何故か全てが無理なく収まるところへ収まっている。
 また出版業界を舞台にしているだけあって著名な作家が登場してそちこちで踊っている。献辞に作家の名前が並んでもいる。ハヤカワのアジモフの科学エッセイを読んでいたことがこの本に出てくるアジモフの踊り様に狂笑を引き起こした。アンディ・ウォーホールへの連絡で取次ぎの女しか出てこないあたりなど細かいところでいちいち笑える。交わされる会話も極上の切り返しか豊富で特に中盤笑いが止まらないままだ。
 もしも立ち読みする機会があったなら1月5日(水曜日)を読むとよい。第二章にあたるここにややこしい人間関係とおおよその展開のきっかけが短くまとめてある。相関関係を紙にでも書いて矢印を引けばわかりやすいだろうが、そうまでしなくとも読んでいるうちに大体わかってくる。わかってきた頃にはページをめくる手が止まらなくなっている筈だ。各章末の一文にも毎回笑った。
ヘルマン・ボーデ 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」岩波文庫 阿部謹也訳
 これはドイツの昔話である。昔とは言っても成立したのはおよそ五百年前のことらしい。落語のような雰囲気もある。主人公のティル・オイレンシュピーゲルが道化として、放浪しながら様々な職人に成りすましていたずらを繰り広げつつ、当時の世相や風習を風刺する。それぞれの一編は短く、それが寄り集まった掌編集、気の利いた笑いと虚を突かれる展開は見事の一言に尽きる。五百年間色褪せずに読み継がれてきたわけだ。
 次々といたずらを仕掛けては相手をやり込め、金を掠め取る。時に品のないエピソードも交えつつ奔放に飛ぶ話はスラプスティックと呼んで差し支えない。しかし五百年という歴史の重さがそれを文学に昇華させているのだ。
 このような荒唐無稽な話を読み継ぐドイツ人が何故謹厳実直と言われるのか、謹厳実直だからこそこの話が読み継がれてきたのか。人を騙して金を巻き上げ、各地で嫌われたり人気者になったりする放浪の生活に底抜けの陽気さが感じられ、またそれは当時閉塞していた生活への潤いになったであろうことも察することができ、気が付けばオイレンシュピーゲルに喝采を送っているのだ。
 岩波文庫版では巻末に全ての話の訳注がついており、当時の社会にも触れてあるので、これを読むと中世ドイツに興味が湧くかもしれない。
 丁寧な解説の中にはこの話の著者が一体誰かに迫る推理過程が判りやすく書いてあり、ヘルマン・ボーデであろうと結論付けられたことを紹介している。しかしこの本、岩波は著者を明記しなかかっため、図書館では分類に苦慮したらしい。「著者なし」として訳者で分類している。大衆民話的存在であり、ドイツでも長い間著者不詳であったから岩波は冒険を避けたのであろう。特定され、ボーデの名が知られるようになったのは最近のことであるらしいから著者名に「ボーデ」と入るのはおそらく数十年先のことになるだろう。
 本棚を端から端まで丹念に見る癖がなければ出会うことのなかった本である。
 ヘルマン・ボーデ、この先ドイツ文学史で重きをなすであろう名だ。覚えておいて損はない。少なくとも「オイレンシュピーゲル」だけでも覚えておけば、ドイツに行った際、ビールを奢って貰えるかもしれんよ。
エルベ・ル・テリエ 「カクテルブルースinN.Y.」求龍堂 植田洋子訳
ニューヨークはダウンタウン、「ジェイズバー」を舞台にして、ドタバタあり、ほろ苦い恋物語あり、当然涙もありのショートストーリーズ。著者はフランス人で、このニューヨークの下町のバーを舞台にしたショートショートをフランスの週刊誌に連載し、大好評を博した。三年間の連載から選りすぐった42編、いずれもにやり、きらり、じわり、ほろり、いい具合だ。
 オーナーバーテンダーのジェイ、ピアノマンのアルシー、ウェイトレスのローズ、そして毎回違う客が注文するさまざまなカクテルと、それに合わせた短く渋い物語。
 全ての話に挿絵とカクテルのレシピがあり、実は文章よりそちらの方が気に入っていたりする。
 文章は拙いのか?一人称「ぼく」を使えばどうしても陥る青っぽい雰囲気は仕方がないといえば仕方がないが、高校生の日記ではないのだからもう少し引き締めれば、さらに極上の味わいを持つ本として、名を残していただろう。
アート・バックウォルド「誰がコロンブスを発見したか」文藝春秋 永井淳訳
アート・バックウォルド「ゴッドファザーは手持ち無沙汰」文藝春秋 永井淳訳
アート・バックウォルド「嘘だといってよ、ビリー」文藝春秋 永井淳訳
アート・バックウォルド「そして誰も笑わなくなった」文藝春秋 永井淳訳
アート・バックウォルド「コンピューターが故障です」文藝春秋 永井淳訳
 バックウォルド傑作選をまとめて読んだ。期待が大きすぎた。無心で読みたかった。面白いだけに悔しい。ロイコの方が上。でも読んでよかった。文庫で揃ったら全部新刊で買う。
ジェローム・K・ジェローム 「ボートの三人男」中公文庫 丸谷才一訳
 ずっと探していて、図書館でもなかなか備えておらず、長期戦を覚悟した矢先、古本屋の百円のワゴンにいた。飛びついて早速読んだら爆笑爆笑また爆笑。これは何と言おうと全力でお勧めだ。見つけたら問答無用ですくざま買うべし。読むべし。絶対に失望はさせない。とにかく面白すぎる。ウェストレイクを遥かに上回る騒ぎだ。一人称「ぼく」をこんなに見事に処理しているものを読んだのは初めてかもしれない。あああ、何を言っても全て無駄な気がする。とにかく読め。読め。読め。話はそれからだ。ジェローム、他にないのか。我がオールタイムベストに変動が起きたぞ。
ジェイムズ・ヘリオット 「ドクターヘリオットの生きものたちよ」集英社 大熊栄訳
 架空の町ダロウビーを舞台に若き獣医として奮闘する様をどたばたに隠した自伝的エッセイだ。本人は小説とエッセイの中間のつもりで書いているらしい。池澤夏樹訳の「おかしな体験」と畑正憲ジェルミ・エンジェル共訳の「愛犬物語」では町の名がダロビーとなっている。訳者が違うと固有名詞に違いが出るわけだが、読み手としては少し痒い。かなり前に「おかしな体験」を読んで顎が外れるほど笑ったので探してはいたが、なかなか見つからなかった。
 この本が獣医を主人公にした騒ぎとして一級品なのはその時代背景にある。著者が獣医となったのは第二次世界大戦少し前、イングランドの田舎の純朴な人々を相手に迷信と戦い、自家療法と戦い、一癖も二癖もある面々との交流をすっとぼけた筆致で描いてある。若先生から中堅の先生、ベテラン、長老、過去の遺物と進化してゆく中での中堅の先生時代を描いたものだ。
 まったくの実話でもなく、完全に架空の作り話でもない物語を紡ぐ腕は大したもので、長編なのか短編なのかどちらとも取れる構成に感心することしきりだ。ついでに大熊栄はクィネルの訳者でもある。
 単行本にある挿絵も懐かしい感じの雰囲気がよく出ている。
 今の獣医とは違う種類の苦労があり、そして違う種類の喜びがあったことを教えてくれる。くだらないドラマを見るよりもこれを何度も読んだほうがいい。
ブルース・J・フリードマン 「スターン氏のはかない抵抗」白水ブックス 沼澤洽治訳
 難しい。
バリー・ユアグロー 「一人の男が飛行機から飛び降りる」新潮社 柴田元幸訳
 夢の断片。
 上の二冊を読んだら壊れないほうがおかしい。
 今日は打ちひしがれてコメントはなし。ごめん。
 ・・・。
ロナルド・リチャード・ロバーツ「エディソン郡のドブ」扶桑社 安部譲二訳
阿呆すぎて笑うた。読むには及ばないが、紹介せずにはいられない。本文は150ページで終わっている。安部譲二の後書は242ページで終わっている。これは何を意味するか。およそ100ページつまり五分の二に渡って延々「翻訳前のいきさつとスッタモンダ」「翻訳を終えてからの女々しく下らない僕の繰り言とぼやき」が書かれている。読み終えた直後なら同じ長さの「読者としてのぼやき」が書けると思う。
 しかし内容の下らなさの責めはこれを書いたロナルド・リチャード・ロバーツに持ってゆくべきであり、また例の下らない原点を書いた著者に持ってゆくべきでもある。
 パロディとして言葉遊びが多いせいでところどころ注釈があり、全体としては意味不明のどたばたになっている。ここまでぼろぼろにからかっておいて原典のウォラーからクレームがつかなかったかどうかは知らないが、これ単体で読んでも馬鹿馬鹿しさに笑い出すこと請け合いだ。忠実に訳したとのことだから原作はかなりいかれた文章なのだろうとも思う。
 原典に感動して人は読まないほうがいいだろうし、原典に反吐が出た人は読んでみるとある種の悟りに出会えるかもしれない。
 買うべきではない。確実に売っていないだろうし、巡り会うこともない筈だが、万が一見かけた場合、立ち読みするといい。30分で本文は読める。これは強烈なパロディであるからその際原典を予め読んでいたほうが楽しめるのは当然のことだ。
 後書のほうが役に立つ珍しい本でもある。安部譲二はこんな文章を書く人ではないのだが、かなり切羽詰まった状況で書いたらしく、原文に忠実に訳すとページ数が少なすぎて困った結果、多すぎる改行に忙しさとやけくその開き直りが感じられ、それでもなんとか本を厚くしようと、正確には厚くではなく、並みの厚さにしようと様々な話を繰り出すうちにおやと思う情報がぽろりと出てくる。
 それとは別に小説家に対する言及で、名を伏せたうち、「目の離れた小説家、神、講談社」は景山民夫であろうし、「人の金で映画を作って壮絶にこけた小説家M・R」は村上龍であろうし、「250枚と指定されて74枚しか書けず詩集と勘違いされた女流小説家S・S」がわからないが、とにかく本文よりも安部譲二の話術そのままの解説に笑えたのだ。
デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房 野津智子訳
デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?2」きこ書房 野津智子訳
 ビジネスマンの御伽話だ。第一作では嵐の空港に閉じ込められた私に話し掛けてきたのが名だたる発明家にして大企業の社長連を顧客に持つコンサルタントである格子縞のズボンを履いたじいさん。話をするうちに、仕事をする上で人間としても大切なことを学んでゆく。実際目次だけ見ても常に自分を磨いて向上しようとしている人にとっては宝の言葉が並んでいる。
 第一作の眼目は「人とは違うことをどんどん試せ」であるが、皆がこれを読んでしまうと無駄ではないかと考えてしまうと駄目なのであって、少なくとも「この本を回りに読ませて自分はその上を行こう」と思えるようになれば、何かが変わったことになる。手前はビジネスマンとはかけ離れているが、この本が役に立たないわけではない。具体的に何をすべきかは注意して読めば書いてある。
 第二作では上司と部下のあり方について書いてある。豊富な実例を挙げているのは著者が実際にリサーチャーでもあり、コンサルタントでもあるからで、現在はコラムニストとして、また人材育成をテーマに幅広く活動している。そういう著者の書く本であるから抜かりはない。面白い。絶対読め。
山本夏彦「冷暖房ナシ」文春文庫
 山本夏彦のコラム。例によって箴言が惜しげもなくばら撒かれている。かなり昔の本だが、古本屋で見つけた。まだまだ読んでいないものがあるので楽しみであるが、亡くなったことを思えば悔しい。思い入れのある都新聞、妻についてなど、山本夏彦の、らしくないコラムでありながら紛れもなく山本夏彦の文章であることが嬉しく、驚き、いつか彼の箴言集の歌留多を入手したいと思うのだ。
ドン・マローニ「外人はつらいよ」角川文庫 脇山怜訳
 日本に滞在した外国人の「日本って不思議」「日本のドタバタ生活」が書いてある。類似書は山のようにあるが、これはその走りで、日本が今よりも遥かに誤解されていた時代に、日本の実像を伝えるべく書かれたものだ。「日本事情もので今までに出版された本は法螺や誇張が多くて信用できない」が書くことになった動機らしいが、しかしこれは連載であったらしく、次第にドタバタの度合いが増し、法螺も大きくなり、皮肉を効かせたジョークが少々涼しい。楽しませようとして筆が滑った結果、動機に反して信用出来ない本が完成したわけだ。しかし読み物として十分面白いので、日本人として「嘘ばっかりやんけ!」と投げ出す気にはならない。時代が違うので物価も今と違うあたり、いい具合に風化しており、読んでみて時間の無駄とは思わなかった。お金の無駄かどうかは個々の判断に任せる。
 北杜夫の法螺と同じ系列で、そういえばその時代の本なのだろう。
ウォーレン・マーフィー「二日酔いのバラード」ハヤカワ文庫 田村義道訳
 原題は「two steps from three east」どこからバラードが来たか知らないが、タイトルに「バラード」「ブルース」がある場合、他にもっと何かないのかとも思う反面、作品のおおよその雰囲気が掴めるのは有難い。
 会話が面白すぎるトレースシリーズのこれが第一作。これも探していた。古田秋生のイラストからこのシリーズに嵌った手前にしては珍しい事例だ。
 内容やプロットの弱点に気が回らないほどやりとりが絶妙で読む価値は絶対にある。
タッカー・コウ「刑事くずれ」早川書房 村上博基訳
 タッカー・コウ、D・E・ウェストレイクの別名であるところのミッチ・トビンシリーズ第一作。ハヤカワポケットミステリは扱っている本屋が少なく、最近はあちこちの文庫から再刊されたあおりでちらちら出ているが、それでもこれを見つけたのは僥倖であった。
 ウェストレイクの作品を読むたびに、解説にある著作リストを眺めてはいつか全部読める日が来るのだろうかと目を泳がす。
 この作品はウェストレイクが犯罪小説を手掛けていた若い時代のものであり、極上のフーダニットとして完全に読者を翻弄する本格ミステリである。血の通っていないパズラーではなく、心に罪の十字架を背負った主人公の心理描写が格別の趣を持って迫ってくる。
 ウェストレイクファンとしてこれを読むことが出来たのは幸せなことだ。
リチャード・スターク「悪党パーカー犯罪組織」ハヤカワ文庫片岡義男訳
 不思議なところで不思議な日本語がやけにたくさん出てくると思って訳者は誰かと確認すれば片岡義男。好き嫌いと得意不得意向き不向きはすべていい方に一致することが稀であることはわかっているが、途中で訳者の名を見てからは集中できなくなってしまった。しかし無駄のない構成がそれを補って余りある。話は一応独立しているが、パーカーシリーズとして前作前々作を読んでおいたほうが作品背景の理解がしやすい。パーカーシリーズの再刊されたものの中に「人狩り」はあるが、「逃亡の顔」はまだなので残念ながら古本屋で探すしかない。
 整形手術で顔を変えても追ってくる組織に逆襲する一匹狼の戦いであるが、横の繋がりを利用してゲリラ戦を展開する。この「犯罪者の横の繋がり」を強めてどたばたに仕立てたのがウェストレイク名義のドートマンダーシリーズ。組織の息が掛かった襲われる店のひとつ、トイレのプレートが「ポインターズ」「セッターズ」ロロの店ではないのか?違うようだが気になる。  読む前にまず解説や後書を確かめる人がいるが、この本の場合、見ないほうがいい。ネタばらしがあるわけではないのだが、これを読ませて本文に誘導するには少々の無理があるように思えるからだ。
 ウェストレイク関連がこのところ多いが、つまりそれだけ好きなのであって、しかもまだ読んでいないものが幾冊もあるから幸せだ。入手困難にせよ必ず面白いとわかっているのだから。
真保裕一「夢の工房」講談社
 かなり砕けた雰囲気で人柄がよく伝わってくる。  エッセイとインタビュウと短編小説から構成されている本書は小説を書き始めるようになった周辺の事情と小説についての考え方が纏められており、「真保裕一」に興味があるなら見逃せないものだ。
 エッセイがあまり得意でない印象も受けるが、それが微笑ましく、かえって快調に読める。
 アニメ畑にいたことが細部にまで注意を払う緻密な構成の小説を書く下地になっていること、綿密な取材の方法とそれにまつわるどたばた騒ぎ、草野球について及びシドニーオリンピック観戦記、「奇跡の人」トラブル、映像化に対する考え方など、真保裕一の一本気な性格が透けて見える。本人は酒もタバコも嗜まず、それでいてハードボイルド・冒険小説をものしているのだからあの筆力には感服するより他にない。
 年一作ペースでも文句は言わない。質を求めて応えてくれる人なのだから文句など全くない。
佐々木譲「黒頭巾旋風録」新潮社
 「ベルリン飛行指令」で熱風を巻き起こした佐々木譲のライフワークでもある明治蝦夷黎明期の物語。「五稜郭残党伝」を書いた時、著者は北海道の開拓期は西部劇そのままだと考え、西部劇と冒険小説を融合させた蝦夷を舞台のエンタテイメントに仕立てた。
 アイヌをネイティブアメリカンと見立てて、暴虐を尽くす役人商人、交易の村、行動の基準は馬、鉄砲、これは確かに西部劇そのままだ。和人の圧政、虐げられるアイヌ民族、そして正義感から立ち上がる男。単純すぎる構図なのにまるで飽きないのは「面白いから」という以上の理由はない。
 この「黒頭巾旋風録」、主人公の毛並みが一風変わっていて、だから黒頭巾を被っているのだが、その職業故に人を殺さない。ロシア産の馬「栗嵐号」に乗り、黒装束で蝦夷東部を駆け抜けては理不尽な処刑寸前のアイヌを逃がし、慰み者として召し上げられる少女を解放し、悪虐な鉱山に乗り込んではひと暴れする。武器は刀でもなく鉄砲でもなく鞭。馬に乗り、長い鞭を意のままに操り刀と鉄砲に立ち向かってゆく。誰の心の中にも存在するヒーロー原型がここにある。
 外れなし作家、佐々木譲は読んでおいたほうがいい。
「集団語辞典」東京堂
 これは言葉の泉だ。素晴らしい。
パトリック・F・マクマナス「アウトドア・ボーイ」早川書房 田中一江訳
 極上のスラプスティックエッセイであり、吹き出さずにいられない騒動をすっとぼけた筆致で描いている。回想エッセイの形を取っているが、すべてがそうではなく、いわば暖炉の側の法螺馬鹿話の印象を受ける。アメリカの典型的な田舎で暮らす子供のいたずらやどたばたを時代を越えても色褪せない共感して笑える物語だ。
 杉田比呂美の挿画につられて手にとって正解であった。読み終えてぱらぱら絵を眺めているうちにそのままもう一度最初から全部読み直しまった。すぐに最初から全部読み返すなど滅多にないことだが、それでも十分面白いのは再読に耐え得る本であると言える。
 二度読んでみてようやく判ったのは「ヘリオットと同じ系統だ」ということ。実際子豚の騒ぎなど名前を入れ替えてそれだけ読めば確実にジェイムズ・ヘリオットの文章だと思ってしまうことだろう。
 絶対に面白い。読め。
小林信彦「小説世界のロビンソン」新潮社
 ずっと読みたかった。メモとる個所多数。普段小説を読まない人には全く向かない。回路の要。
山本夏彦「世間知らずの高枕」新潮文庫
 まだ読んでいない本がたくさんある。カバー折り返しを見ると本書を含めて二冊しか記載されていない。新潮文庫の分類記号に「や・37・4」となっており、これは著者の名が「や」で始まること、新潮文庫で三十七人目の「や」で始まる名前の作家であること、「や・37」がそのまま「山本夏彦」を意味すること、そして最後の「4」は新潮文庫で出た四冊目の本であることを示している。しかし記載があるのは「世間知らずの高枕」「オーイどこ行くの」の二冊きりであって、「オーイ」は本書より後の刊行であるから「高枕」より先に三冊出ていたことがわかる。同時にその三冊が既に絶版となっていることもわかる。何しろ正直なところを正直に書く人だから敵も多かろうし、いかに日本の良心とは言えマニアでもなければ知る人は少ない。こういう本をこそ途切れることなく売り続けてこそ文化国家の出版社であろうに「売れない」「広告主が」「圧力が」山本夏彦の著作を絶版にするとは新潮の看板に自ら泥を塗りつけているようなものだ。体制べったり利益至上主義のところと一線を画してたとえ苦しくても残す価値のある本を残すことが今、壊滅状態の出版業界に於いて生き残る道であり、そして未来への貯金となるのだ。
 山本夏彦のコラムをどれでもいいから見つけたらまずは一冊読んでみよ。自分が如何に俗物か、本来普通である筈のスタンスを取っている著者が如何に怪物か判るはずだ。亡くなったからもう新しい文章は読むことが出来ない。しかし歴史は繰り返す。愚行を繰り返す。我々の出口は山本夏彦が今までに書いたコラムの中に必ずある。目を背けるんじゃない。常識が、良識が、見識が、ここにある。
松田道弘「遊びとジョークの本」筑摩書房
 ジョークとゲームについての四方山話を巧みに融合させた内容はかなり面白いもので、まずは楽しめるであろう一冊。いろいろ本を読んでいるとさまざまなジョークにぶつかるので、手前はこの本のジョークは殆ど知ってはいたが、そこから派生する話と、押し付けがましくない解説を書く文章技術に驚いた。特に特徴があるわけでもない丁寧な文体で、しかし全く躓かない文章であることに気付いたのは読み終えてからであった。暇潰しにもなるし情報源にもなる。トイレに置いていてもいいし、応接室に置いてもいい。筑摩はやはりいい本が多い。


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