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先駆者
指詰注意
不可能
鏡文字
どれに


「いい翻訳ってどんな翻訳?」

「そんなこと考える暇なんてない翻訳」

Fack Yes! 03/02/21

 ドン・ウィンズロウというアメリカの作家のニール・ケアリーを主人公にしたシリーズ第三作、「仏陀の鏡への道」に物申したい。

 創元推理文庫から出ている翻訳小説である。ジャンルとしては冒険になるだろうか。青春か。推理・ミステリとは少し違う雰囲気なのだ。主人公は若く繊細で傷つきやすい私立探偵で、思わず感情移入してしまう。一作目から新刊で購入し続けている数少ない作家だ。手前にとって新刊で購入することはかなり特別なことである。

 「仏陀の鏡への道」ドン・ウィンズロウ 創元推理文庫

 訳者が東江一紀、解説が茶木則雄。細かく覚えている理由がある。今手元にはないが、それでもすぐに思い出せるぐらいの印象が残っているのだ。

 もちろん圧倒的に面白いからであるが、実はもうひとつ裏の理由がある。訳語に不満があったのだ。この本の中ではいくつか俗語が出てくる。それを日本語の俗語に置き換えているのだが、一つだけどうしても我慢ならない単語があった。

−Fuck Yes!

 これだ。ファック・イエス。直訳すれは「糞はい」であるが、当然そんなことをする馬鹿はいない。意味としては「勿論!」といったところ。それをこの訳者、東江一紀確かあがりえかずきと読むはずだが、ジェラルド・シーモアかマレー・スミスの訳をしていた人、この一件で読み方を覚えたのだが、この人が訳するに及んで選んだ言葉がこれだ。

「決まり金玉!」

 それはないだろうと思う。「Fuck Yes!」は「もち!」とか「当然!」のイエスに強調の「Fuck」がついているわけだから、といって「決まり金玉!」はない。あまりにも情けない。丁寧に積み上げたプロットを辿りながら酔わされているときにこれが出てきて腰が砕ける。ひとことで言えばこの一つですべてが台無しになっているのだ。

 「Fuck Yes!」これにはこれしかないというぴったりの言葉が日本語にはあるのだ。

「あたくそ!」

 「当ったり前じゃ!」という意味で文中では使われている以上これしかない。しかも「Fuck」の意味にも近い。

 「Fuck Yes!」発音は当然「ふぁっきぇっ!」となる。音節を考慮に入れないとしてそれぞれ一拍の単語で計二拍。「当ったり前じゃ!」という会話をするくだけたやりとりだからこそ、リズム良く進むはずのところを「決まり金玉!」間延びにも程がある。「あたくそ!」は「た」「く」を強調するから計二拍。「あったくそ!」なら完璧だ。意味もリズムもこれ以上のものがないのに「決まり金玉!」読者をなめるんじゃない。読者は金を払っているのだ。金を払ってまで読むのはこんなくだらない訳語に憤る為ではないのだ。

 そしてまた、冒険小説の読み手として、志向が似通っている為によく参考にしている書評家茶木則雄が、解説でこの訳語「決まり金玉!」をべた褒めしているのがますますもって情けない。

 他に出てくる「あたりきしゃりき」など確かに少年の頃に使った俗語であるが、「決まり金玉!」を使った覚えのある奴は一歩前へ出てみろ。新しい言葉を生み出すことに反対はしない。むしろ賛成の立場であるが、この言葉にこの言葉をあてることは断言出来る、「間違っている」と。

 よろしいか。「Fuck Yes!」は「あったくそ!」と訳すべきなのだ。嗚呼勿体ない。疵一点。

 しかしまあ、ドン・ウィンズロウは絶対に面白いから読むべし。


暹羅猫 03/03/30

 例えば「暹羅猫」を「まらねこ」「まくらねこ」と読んでしまう人が多いのではないかと思う。

 これは「しゃむねこ」「シャム猫」なのであって、何故「暹羅」を「しゃむ」と読むのかといえば、どうしても日本語の源流としての中国に遡らざるを得ないわけです。「猫」をつけず「暹羅」これだけを見た場合、「まくら?ばくら?」と読んでしまいそうです。

 漢字が中国からの輸入文化である以上当然通じるところがある。しかし通じないところもある。「羅馬」これはそのまま読めば「らま」実際の意味は「ローマ」中国での読みと日本での読みが似ていて助かる事例だ。反対にどう考えてもそれは無理だろと言いたくなる「西班牙→スペイン」もある。このような、「暹羅猫」「西班牙」などの一見意味不明の当て字に思えるものは、単に中国で、便宜上中国としているが、過去の王朝にはこだわっていられないので、昔も含めた中国の文化の意味合いで定義するとして、「中国での表記をそのまま採用してみたが個別の漢字の意味が変化して読みも変わり最早意味不明になっている」のが現状だ。

 中国での外国固有名詞の漢字の当て方はいくつか方法があり、これは確か山口文憲「香港旅の雑学ノート」新潮文庫に詳しく解説されていたはずだ。それで漢字の当て方とは、発音の近い縁起のよい漢字を選んで当てる、発音の近い意味も近い漢字を選んで当てる、発音は無視して漢字の意味を当てる、などある程度の法則性があり、中国語を学んで中国式の読みや意味を知ると、今まで不可解に思ってた日本語が解れてくるのだ。

 手前が中国語を学んだかどうか、単位を落として再履修したかどうかはさておいて、「葡萄牙」これを「ポルトガル」と納得する為には、「ポルトガル」と片仮名で平板に発音せずに「ポゥトガァ」といんちき臭い横文字風に言えばわかる。「牙」の字の「ガ」の読み方、音読みは中国語の発音がそのまま残っていることが多く、これはその例だ。「葡萄」「ぶどう」「ポゥト」「プタォ」「ポート」意味するところとは全て同じで発音も近くて「葡萄牙」が「ポルトガル」を意味するのは無理なことではないと思えるようになれば、次に何故か「こんなことが何の役に立つのか」という空しさに襲われるはずだ。

 しかし、一見意味不明の当て字とその読み方の中にある繋がりを見つけたら楽しいものだし、何となく怪しげな中国風の発音が出来るようにもなる。魚や鳥の漢字で「何故これをこう読む!」と叫びたくなる場合はこれも理由のひとつだ。

 現在中国は余りにも広すぎて多すぎる方言にうんざりして標準中国語の「北京官話」いわゆる「マンダリン」を中心に纏りつつある。幸いなことに日本は平仮名片仮名ローマ字漢字入り乱れた闇鍋末期の如き状態にあり、中国から「日本語は我々の方言ですよ」とは言えない有り様だ。勿論そう言われたら腹が立つが、ただ日本語の変容が早過ぎて、言葉の歴史的意味合いや発生元、源流に全く興味を抱かないまま使える言葉、知っている言葉しか使わない馬鹿が主流となっていることにうんざりするのだ。

 言葉の意味は変わる?変わりますよ。どんどん変わりますよ。でも変わったから元の意味を忘れていいわけじゃない。「情けは人の為ならず」情けをかけるとその人の為にならないから冷たいようだけど厳しく接する。嗚呼、いつからこんなに冷たい文化になってしまったのだ。


翻訳ごっこ 03/10/17

テキスト消失してしました。


漢字訳 03/10/18

 片仮名よりも漢字が好きなのであって、その理由は「音を一杯詰め込めるから」という、内容すかすかのラジオドラマの脚本タイプの小説を読む馬鹿馬鹿しさに起因する。ラジオドラマは聞くものであって脚本を読むものではない。濫読初期にすかすか多作作家を読んでいたことは、確かにその後目を覚ます為のよい切っ掛けになったとも思うし、よい勉強にもなったと考えているが、正直なところは「金返せぼけ」である。

 だから読み飛ばすことの出来ない文章が好きだし、平仮名が多かったり片仮名が多かったりすると「間延びしとる」と感じる。漢字を使えば圧縮して沢山言葉を詰め込む事が出来るという貧乏根性が根底にある。当然活字が大きければ「誤魔化してやがる」と思うし何より酔う。行間が開き過ぎている場合も妙に腹が立つ。

 それが辞書を愛読している直接の原因かどうかは判らないが、その傾向が強まるにつれて片仮名が極端に嫌いになってしまった。しかしながら片仮名もやはり日本語なのであって、完全に排する事が不可能である事も承知している。今更テレビ・ラジオなどを漢字にするのは無理があるし、無理矢理中国語から持って来ても簡体字以降微妙に違和感があるし、当て字も余程嵌らないと上手くいかない。少なくとも初めて見た時直ぐに判るようでないと意味がない。

 中国語では「オールドミス」が「老処女」、「スチュワーデス」が「空中小姐」、「コンピュータウィルス」が「電脳病毒」などと習った覚えのある気もするが、ほぽすっきり忘れてしまったので話にならない。大学で第二外国語を選択するにあたって「漢字なら簡単やし」と考えて選択してみたら日本の漢字とは違う方向に進んでいて、完全に外国語であることを認識し、めでたく単位を落とした。それでもたまに中国語に接する機会があれば、ついそちらに集中するのであって、これは「一応習ったことがある」とする見栄がどこか奥深くに隠れている。

 よくある諸国・人名の中国語表記など、これは当て字だから覚えてしまうしかないのだが、何度も見るとある程度判るようになる。判らなくても「これは誰だったか、以前見たことのある当て字だ」と思える気がしてくる。

 中でも鮮烈に覚えているのは、余りにも強い印象を残す漢字列であり、すなわち「危険な情事(原題=FATAL ATTRACTION)」を

「致命的吸着力」

 一度で完全に覚えてしまったのだ。日本語の「危険な情事」に慣れてしまっていて、そこから「危険的情事」しか浮かばない馬鹿には凄まじい破壊力があった。

 このような有名映画の中国語タイトル一覧を作りたいが、どうせ誰かがやっておるだろう。探してみるか。


国産語 03/12/10

 「タッパいくつよ」と身長を尋ねる時、これは「top」の訛なのか「top」の本式の発音なのかという疑問が走り回っているわけだが、このような発音の変化もまた日本語として捉えねばならない。

 漢字制限なる大愚行が今日の片仮名語の氾濫を招いた事に未だ気付かぬ振りをしたまませっせと言い換えたところで最早手遅れなのだ。ソーイングマシンを「ミシン」と言って通じるのは日本だけだ。マシンをミシンと読む阿呆らしさ。モバイルモバイルとはその昔ガンダムで「モビルスーツ」と読んでいたではないか。アイロンは「iron」と書いてアイアンと読むわけだがゴルフクラブではきちんと「アイアン」と読んでいることは区別をつけたつもりなのか。それなら何故行炉と当てなかったか。杖のことをステッキステッキと言うがあれはただの棒で「stick」じゃないか。「MEMORY STICK」は「メモリステッキ」と言うのかね。バケツに至っては原型がまるで判らないじゃないか。ラジオは「ラヂオ」と書いたり「レディオ」と書いたり「レイディオ」と書いたり情けないったらありゃしない。「壊れかけのRadio」で何も聞こえないならそれは既に壊れてると思いますが。

 ダンパダンパてダンス・パーティのつもりらしいが「ダンパ」が既に恥かしいのに正確には「ダンシング・パーティ」であることを知らなければもうついて行けない世界であるね。

 「タイトルバック」「チークダンス」「ハーフコート」「バックネット」「ブレーキオイル」これら皆国産語と知ったらやっぱり褌廃れたのも理解出来る気がしますな。まあチークダンスなぞ漢字にすればどうなるのか見当もつかんもんで思わずインフォシークの日中中日翻訳で遊んでみたら「チークダンス→贴面舞」「贴面舞→顔のダンスを貼る」「顔のダンスを貼る→贴脸的舞蹈」で固定されてもうてしかし「貼る」て貴方。もう少し信頼性の高いエキサイトでは「チークダンス→贴面舞」「贴面舞→ダンスを貼る」「ダンスを貼る→貼跳舞」で固定されてやっぱり「貼る」て貴方。無理矢理当てるならどうなるか。まずは意訳でこうなる。「擦頬踊」何かの拷問の名前に思える。音訳でこう。「恥育箪笥」ダンスの変換はそうなるのか。完全に油断していた。

 それでもやはり困るのは映画の原題と邦題の乖離であって、確かに輸入物の映画は大抵素気無い題名が多いわけだがこればかりは直訳か原題そのままの方がよい。どうせ知恵振り絞ったところで同じ者が考えるならば目新しい発想など浮かぶべくもなく、結果「〜と〜」「〜の〜」に落ち着くあたりは侮辱を通り越して自壊している。そう言うとランボーの例を持ち出す馬鹿もいるわけだが、例外を持って語るなら貴様「Sukiyaki」を日本語でもそう言え。


十字 03/12/16

 「 卍 」万字がネットワーク上で危機にあるが、これはとばっちりと言うものである。

 元来日本の万字は仏教と共に入ってきたから今でも寺を示す記号として使われている。そして日本は先の大戦中独逸と盟友関係にあったことからも「卍削除」に対して強く出難い条件が揃っているせいか言いなりになる模様だ。

 ハーケンクロイツと卍は偶然の一致なのである。たまたま紋章学の本を読んだその日に万字削除のニュースを見たから多少言えるのだが、ハーケンクロイツは鈎十字その名の通り十字架の先を鈎針の様に曲げた紋章であった。西欧に於いて紋章は一人ひとつと厳密に決められているから紋章のデザインは自然増える運命にある。輸入ウィスキーのラベルを見たまえ。必ず紋章が付いている。紋章のバリエイションを増やす時、下地となる盾を十字で割れば四つの室を拵える事になり、またキリスト教の象徴である十字架と併せて実に有効な手段でもあった。紋章は長子が引き継ぐものであるから次男以下は親の紋章を少し変化させたものを分家として初代の紋章して使うことになるが、その一族の基本的な特徴は残っているから紋章を見ればどこの家系か知れる仕組みになっている。そして十字架の先を曲げた鈎十字は主に独逸で用いられていた。ナチスの鈎十字は赤地白丸の中に右折れ十字なのだが、あれだけシンプルなものは相当の歴史があり、もともとはどこやらの騎士団が使っていたらしいのだが、ナチスが政権を執って国旗を変更したものだ。

 一方万字は鈎十字より古くからあるもので、仏陀の足跡模様として使われる程に古い。しかしややこしいのは日本にキリスト教が伝来した時に十字架も入り、その影響で来留栖(クルス・クロス)紋として家紋に採用されたこともある。つまり日本から見た先折れ十字には、仏教から来た「万字」、キリスト教からの「来留須紋」、そしてナチスの「鈎十字」の三種が明確に区別されている。

 見た目の違いとして、鈎十字は十字の先を伸ばせば「×」になるのに対し、万字や来留栖は「+」になる。先の曲がり方は基本的に万字は左にハーケンクロイツは右に折れている。「ナチスは右」と考えるとすぐ覚える。それから「かぎ十字」という混ぜ書きは恥ずかしいから止めてくれ。だからと言って「鍵十字」も情けない。鍵錠の鍵ではなくて鈎針の「鈎十字」なのだよ。しかしこれは最も有名で代表的な紋であって、万字にも鈎十字にも無数の派生種が存在する。右に折れた万字もあるし左に折れた鈎十字紋章もある。

 成り立ちは違うが不幸にも似てしまった結果、暴走した第三帝国の象徴たる鈎十字が悪魔の紋章として忌むべきものとされた結果、日本の万字も迫害を受ける事になったわけだ。

 西洋人が日本の詳細地図の万字を見て凍りつくという話は実話である。これはナチスと関係ない、ジャパニーズテンプルのシンボルだと言ってもキリスト教徒から見れば神を蔑ろにする悪魔と考えられてしまうので結局万字は廃れる運命にあるのかもしれない。

 あのちょび髭が悪いのか、ユダヤロビイストの勝利なのか、その両方なのかは判然しないが、国際的発言力のない腰抜国家はその国の言語文化の中のひとつの衰退を指を咥えて知らぬ振りをするだけなのか。ナチスも宗教もマイクロソフトも嫌いだが、文化を、そして歴史を圧殺することは断じて許されるべきではない。

 ハーケンクロイツも元は十字架なのだから紋章そのものに罪はなかろう。例えラベルを剥がしても、幾らラベルを張り替えても、本質は何も変わらない。む。そうか。人間の本質はやはり変わらないのだろうかね。


ネーム 04/01/18

 例えばペンネームというものがある。これは「筆名」と当てられている。

 通常電網世界で使われているところの用語「HN」所謂ハンドルネームとはインターネットの電子掲示板や電子メール、WEBサイトなどで使うための仮の名前である。ハンドルともいう。語源は、英語のhandleから。Handle は、もともと無線通信者が使う自分のコードネームのことで、ここから派生して、英語圏ではインターネット上の仮名のことをhandleと呼ぶようになった。日本語では、「ハンドル」だけでは意味が通じにくいことから、名前を意味する「ネーム」を付けて用いられることが定着した。和製英語である。

 これに何か当てる字はないか。ひとつしかない。「電名」だ。これは実に簡単だったが、続いて呼び出された記憶があった。それは手前が受験生であったような、なかったような頃、深夜によく聞いていたラジオで流れる子守唄、「続いてのリクエスト頂きましたぁ大阪府は守口市のラジオネーム今朝初雪見ましたさん18歳男性、それからラジオネーム♪もうすぐ春ですねえってまだ!?まだなの!?雪降ってましたよ雪!毛織だから服に雪積もっちゃいますうううう23歳女性の方は奈良県上牧町からリクエスト、FATBALLで『Warm Fuzzy Feeling』・・・」

 「ラジオネーム」という不思議な言葉、当然考えるまでもなく和製英語であろうが、これにぴたりと嵌る訳語はないか。聴名、波名、何かないか。これは考え続けてついに何も見出せなかった。やがて向かうはこの恥知らずな言葉を生み出した者への怒りとペンネームで何がいけないのかという怪訝である。

 ニックネームを「あだな」と言う。「渾名」「綽名」「仇名」「徒名」がある。本名の他に付けられる名前のことだが、愛称のこともあれば蔑称のこともある。「仇為す名」であるならば奸賊なり奴畜生なりの蔑称である。


バケツリレー 04/02/22

 「バケツリレー」という概念がある。

 次々に対象物を受け渡してゆくことなのだが、この概念が片仮名の「バケツリレー」で定着していて、適切な漢字がまるで浮かんでこない事に我ながら驚き、それならばといつものように遊んでみる。

 単純に「バケツをリレーする」だからそれぞれを漢字にして再結合すれば事足りると考えた端から「バケツは確かバケットだった筈」「ところでリレーて何や?」

 バケツは馬穴と当てているところを何かで見たような気もするのだが、それにしてもリレーとは一体何か。何故か思考力が極端に鈍化していて、恐らくこれはポケットNIKKAの崇りであろうが、さりげなく降参してそこらへんの辞書を開く。

 「バケツは桶。そうそう。何でこれが思い付かんねん俺は」ところでリレーは何か。競争だろうか。違う気もする。競争はレースだ確か。「relay 中継」そうそう中継よね。スポーツの「リレー」は「relay race」であるそうだから、それで意味が通ることになる。逆に意味不明となってしまうのがテレビなどで各地を結ぶ生中継の事を「リレー中継」プログラム番組みたいな気分やね。

 それで「バケツ」を「桶」、「リレー」を「中継」としてそのまま組むと「桶中継」「中継桶」これでは中国人の陶芸家のようだから「中」を削除して「桶継 おけつぎ」「継桶 つぎおけ」

 「継桶 つぎおけ」が何となく「次置け」「注ぎ置け」「次OK」に通ずるところがあるように感じたので、以降バケツリレーのことを「継桶」とする。


シフィリス 04/02/29

 元来キューバの風土病であった梅毒が1493年コロンブス一行と共に欧州上陸を果たしたことは有名な話であるが、約二十年経った1512年頃中国から日本に「唐瘡 とうがさ」として乱入してきた。その頃日本はまさに戦国前夜、キューバから地球を半周してくるのに二十年を要したことは、果たして長いと見るべきか短いと見るべきか。

 その経路は多少の興味が湧く。1543に邪蘇教と鉄砲が偶然辿り着くのだが、それより三十年も前に直接ではなく当時の中国は明だよな、秀吉は明国征伐言うてたもんな、を経由してきたわけで、一体に当時の欧州は邪蘇教全盛ルネッサンス爆発魔女裁判全開であったろうに、突然現れた梅毒が遥々極東まで来た足の速さと言ったら呆れるしかない。鉄砲と邪蘇教は亀と罵られても甘受する責任がある。

 1530年、イタリア人医師で詩人でもあるフラカストロ G・Fracastoroはギリシアの美青年羊飼いシフィリスの伝記詩として「Syphilis sive Morbus Gallicus」と題したラテン語の詩を作った。「Syphilis」はフラカストロの造語で、以降梅毒はシフィリスと呼ばれる。

 小学館の日本大百科全書には、「疫病史」の項目があり、梅毒の伝播経路が六色刷り分けで載っている。それを見ると1493年コロンブス一行と共にバルセロナ上陸。1494年パリ進出。1495年ローマ・ナポリ侵入。1496年ドイツ・トルコ進攻。1497年イギリス陥落。1498ヴァスコ・ダ・ガマと共に現インド当時ムガール帝国カルカッタ・ゴアに上陸。マレー半島を鮮やかに抜けて1500広東到達。ここから琉球薩摩を経由して上洛したものを「琉球瘡 りゅうきゅうがさ」と呼び、また1510年北京に寄ってから半島を物凄い勢いで抜けてきた本隊が「唐瘡 とうがさ」として日本で大暴れする。半島から海を渡る宿主の倭寇に乗って梅毒は軽やかに突入してきた。「もののあはれ」では片付けられない事例である。鉄砲と邪蘇教の周回遅れと考えたくなるのも仕方のないところだ。

 戦国時代、加藤清正は梅毒に負けた、いいえ内府に負けたと言われているが、それを熊本県人に告げると確実に撲殺されるので格別の注意が必要である。江戸時代は梅毒の時代であった。梅毒元は「黴毒」とも表記されたらしいが1513年明の文書で梅毒の文字が見える。黴と梅の発音あたりが鍵のようだ。


JAPAN 04/03/24

 日本は日本である。当然の話だ。

 時としてNIHONになったりNIPPONになったりするが、それらはやはり日本である。「にほん」や「ニホン」「にっぽん」「ニッポン」の中ではニッポンが優勢のようだが、個人的には「po」の発音が嫌いだ。しかしこれらは全て「日本」なのだ。

 ところが「JAPAN」になることがある。これは1400年頃のマルコポーロ東方見聞録にある「Zipangu」が黄金の国として紹介されていて、東の果ての黄金の国なら当時の奥州にそれらしき心当たりがあることで、確かにそれは日本のことだろうと納得される。そして欧米の日本呼称が今では「JAPAN」になっているわけだが、この語尾に「g」を付ける式の発音はいかにも中国式である。「HongKong」「Mahjong」「Udong」三つ目が少し釈然としないわけだが仕方がない。それでも「Japan」はgが落ちているからまだ許せる。

 しかし中国式の発音であると考えるならば、中国語としては「倭」の他に「ジャパン」に対応する漢字があるのではないだろうか。

 明治文明開化の頃、盛んに造語された中に見つけた。「Japanジャパン」を漢字にすると「業平」になる。しかし電網上を検索しても在原業平しか出てこない。在原業平をどう発音するのかひとつ中国語の達者な方に伺いたいものだ。日本は「riben」になるが、業平が「japan」になるのだろうか。

 横文字の発音を中国式の漢字読みで日本語にしたから当て字扱いされてしまう悲惨な立場の熟語も多々あるのだが、完全に忘れられた熟語も中々に味があるというものだ。しかしJAPANが業平とは、中国発祥なのか、日本で創作されたのか、誰が何時作ったものか、初出などがまるで判らないのであって、日本国語大辞典には「ジャパンは昔ジャッパンと呼ばれていた」などと書かれてあるくらいの無気力さ、力尽きたが文句は言うな。


訳題 04/05/13

 映画のタイトルは出来るだけ原題を尊重すべきだと考えるのは、タイトルも映画の一部であるからと思うからだ。

 映画黄金時代は映画の絶対数が少ないながら今でも当然のように名作と呼ばれるものが多く、それらに魅惑的な訳題の多いことは認めるが、この手の話になると肯定派否定派共に各々記憶力を振り絞って例外を挙げ続け、弾の尽きた方が劣勢になるのであって、これはつまり結論の出ない暇潰しの話題として最適であることを示しているわけだが、さてその具体的な例外を一切挙げずに挑戦すると、話は全く噛み合わずにこの映画は面白かったあの映画は糞だったとさり気なく暗黙の了解で同時に脱線してゆく。

 それでも言いたい。原題にはその映画の意が込められていると思うし、仮にそれが単純な単語であればあるほど原題の言語でその単語は一般的な意味二次的な意味俗語的意味専門用語的意味などが混ざり合った上での選択結果だと思うのだ。その単語が翻訳される言語に於いてそれほど複雑な意味を有していなくとも、原題とかけ離れた単語を選ぶよりはそのままの訳語を選ぶことが作り手に対する礼儀だと考えたい。

 そもそも訳題次第で動員数が変わるような映画観を持つ人々は幼稚に思えないか。「この監督が好きだから」「この俳優が好きだから」「この女優が好きだから」「原作が何々だから」などといった理由で映画を見る人と、「タイトルがよい」の理由で見る人を比べるならば、手前は前者と映画について話したい。

 原題を尊重するとは言っても原題の表記そのままか忠実な訳語かで選択肢がある。イラン映画でタイトルが原語表記されているとかなり困るだろうが、ルビとして訳語を併記すればよいではないか。

 しかし具体的な映画を挙げずに進めるのは余りにも苦しい。ところで誰がくだらない訳題を付けていたのか。配給会社?戦略として動員数を増やすことが目的でこねくり回した訳題は、事前の情報が少ない時代には有効だったかもしれないが、製作の進行状況が逐一伝わり出演者が方々で顔を売り歩いていて公開前に製作裏話が流通している時代、こだわるなら訳題よりも原題の意味を徹底的に解剖してそれを周知させるべく努力すればよいではないか。映画のタイトルからその単語の綴りと意味と含まれた裏の意味を学習することだってあるじゃないか。具体例を出さないのが今回の縛りだったから出さんけどね。


ギムレット 04/05/16

 以前「ギムレットには早すぎる クラレットには遅すぎる」というネタを没として供養したことがあるのだが、多少の成長が見込まれるので復活させる。

 そもそも「ギムレット」とはジンとライムをシェイクして作られるカクテルの一種だ。これをシェィカがないなどの理由でシェイクせずにグラスに注いで作る場合、全く同じ組成であってもステアと呼ばれるグラスで混ぜるだけの製法で作られたものは「ジンライム」と呼ばれる。シェイクした方が空気の微粒が混ざって味が丸くなると言われている。製法をビルドと説明しているところもあるようだが、ビルドとは比重の違う材料をバースプーンからグラスの内側へ静かに伝わせて段層を作る為の特殊な方法であり、ジンとライムをグラスに注いで軽く混ぜる場合はステアと呼ぶのが正しい。

 さて、対する「クラレット」とは、ワインのクラレットではなくて、下痢止めの薬であるところの「クラレット」を指している。つまり、夕方以降のギムレットを飲むような時間には早すぎて、宿酔の朝に下痢止めの薬であるクラレットを飲むには遅すぎる、つまり宵でもなく朝でもない、真っ昼間を指しており、「さて、真っ昼間だが、では何を飲もうか」という情景を表現したものだ。疑ってはいけない。本当にそこまで考えた末に、ただの語呂合わせであるから没としたのだ。

 ところで「ギムレットには早すぎる」は聞いたことがあると思う。「私立探偵フィリップ・マーロウ」と、その小説を読んでいなくとも出てくるだろう。今回この原文を探した結果、苦労した上で判明したことを書き留めておきたい。

 これはレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」に出てくる一文であり、読んだことがなくても「ハードボイルド=酒と煙草と女と探偵」の図式から導かれる結果として、主人公マーロウの台詞であると誤解されている。これが違うのだ。今回原典を含めて参考にしたのは以下の通り。ただし発表は1953年なので、お間違いなく。

「THE LONG GOODBYE」 PENGUIN BOOK 1959 (ペイパーバック)
「THE LONG GOODBYE」 ランダムハウスのヴィンテージブックス 1988 (ペイパーバック)
「長いお別れ」ハヤカワミステリ文庫 清水俊二訳 1989 40版(初版1976)

 さて、翻訳は読んだことがあったが、原文は触れたことがなかった。「ギムレットには早すぎる」の台詞は、チャプタ52の最後、「THE LONG GOODBYE」は53章まであり、つまりこの台詞は大詰めも大詰め、話の鍵どころか物語を閉じる為の重要な環なのであって、何故この台詞が発せられたか、誰がこの台詞を発したのか、この台詞の意味などを説明してしまうと、この小説の重要な構成を明らかにせねばならないので、その背景は説明出来ない。

 だからルールに従って、ネタばらしをしない範囲で言えるのは、この台詞を発したのは、ランディ・スター(主人公の友達の友達)の知人、シスコ・マイオラノスである。彼がマーロウに対して言った言葉であるということだけだ。ネタバレせずにそれを証明してみせよう。

"I suppose it's a bit too early for a gimlet",he said.ランダムハウス
「ギムレットにはまだ早すぎるね」と彼はいった。 ハヤカワミステリ文庫

 ペンギン版は会話が"ダブルクォテイション"ではなく'シングルクォテイション'であるが、「it's」との干渉を嫌いここではランダムハウスを使わせてもらう。これを見る限り、忠実に訳してあり、訳者には何の罪もない。

 ところでハードボイルドとは、「酒と煙草と女と探偵」という理解がまず間違っていて、確かに雰囲気として広義の意味ならそれで通用しなくもないが、狭義には完璧な本人視点の一人称形式で書かれた小説と定義される。「I=主人公=語り手」の同時進行日記或いは語りおろしと考えてよく、そこに出てくる「he=彼」の指す対象は、主人公=語り手=マーロウではあり得ない。語り手が「彼」と言う以上、その対象はそこにいる別の誰かなのであって、52章の最後でマーロウと会話をしていたのはシスコ・マイオラノスただ一人である。

 一人称マーロウの立場で「he said.」「彼はいった。」とある以上、マーロウの台詞ではないのだ。もしマーロウの台詞ならば、「I said.」となるか略すかのいずれかであり、ここをハードボイルドのお約束を知らない誰かが勘違いしたまま、「さすがはハードボイルドの探偵、気の利いた台詞だ」として拡まってしまったのだろう。

 と、これは真っ赤な嘘である。
 ろくに自分で調べもせずに騙される方が悪いのさ。

※ネタバレありを覚悟で詳細を知りたい方は、こちらへどうぞ


訳々 04/05/18

 「Oh my God」

 これは翻訳する必要のない程行き渡った表現であり、意味も使い方も間違えることなく理解出来る異国の言葉であるが、ある文章を機械翻訳に掛けていた時にその訳は出現した。

「オハイオ州の、私の神」

 「なんてこった!」「畜生!」「何さらすねん神の癖に」とまでは求めないが、この三語は定型文としてせめて「おお私の神よ」ぐらいに変換して貰いたいものだ。メリケン製の翻訳機であることが判ってもそれ以上の役に立たないではないか。比較的ましな翻訳文を出すことである程度信用していたのにこれでは不安になってくるではないか。それならばと「オハイオ州」を英語に変換してみると「Ohio state」と出る。それなら問題は「Oh」かと変換してみると「オハイオ州」しか出ない。

 ついでだから「なんでやねん」ほか「何言うてんねん」で遊んでみたが、あまりの惨状に物悲しくなり、標準語と確信している「あなたは何を言っているのですか?」で挑戦し、力尽きた。機械翻訳が突込に弱いことを知ったのは収穫のようでもあるが、残念な心しかないのは何故だろうか。少なくとも、途中で「?」を消失させることだけは避けてほしいものだ。

 それでも力を振り絞って戦い続けた結果、「What you said?」ならば「何言ったか。」で固定されるところがあったが、別のところでは「あなたが言ったこと?」とマダムらしき人が登場したので最後の気力も果ててしまった。この程度のものならば仏語独語伊語露語西語全て循環させても全て正しく受け渡されて元に戻る。

 それで方針を転換して以前より懸案であった中国語の映画タイトルはどうなっておるのだろうかと調べてみると、色々見つけた。

アルマゲドン → 世界末日
ウェストサイド物語 → 西区故事
勝手にしやがれ → 精疲力尽
ゴッドファーザー → 教父
サイコ → 精神変態者
サウンドオブミュージック → 音楽之声
スティング → 騙
第三の男 → 第三個人
バットマン → 蝙蝠侠
プリティ・ウーマン → 麻雀変鳳凰
フルメタルジャケット → 全金属外殻
炎のランナー → 烈火戰車
マイフェアレディ → 窈窕淑女
真昼の決闘 → 正午
Mr.ビーン → 豆先生
ハスラー2 → 金銭本色

 いやはや、これらを見て大層笑うた。もう何もかも吹っ飛ばされていっそ爽快だ。プリティ・ウーマンはあれでいいのか不安になるが、大笑い出来たことで全ては溶かされる。


コンパ 04/06/22

 例えばいつも「コンパ」の語源が気になっていた。

 「company」であるらしいと聞いてはいたが、これは「カンパニィ」であり、それがどう訛って「コンパ」になるのか、「top」が「タッパ」になる過程とは異なる雰囲気があり、つまりなんとなく皆が使っているからそういうことになっている言葉なのかと思うより他なかった。

 「company」は会社・商会・一座や、軍隊用語で歩兵中隊を意味したり、CIAの隠語であったりする他に、「交際」「仲間」「同席の人々」といった意味がある。遠くはないが近いようで近くもない印象だ。また形容詞的用法で「取り澄ました」の意味もあるから混乱する。しかしこれではあまりにも遠回しに過ぎる。他に何か語源があっても不思議ではない。

 そしてある日見つけたのがこれだ。

 「compania コンパニア」 ラテン語で、意味は「パンを分け合う仲間」

 そしてこれを元に派生した「コンパ」は明治時代の学生用語で、「割り勘で開く懇親会」とある。これだったか。明治頃の学生ならば今より余程に骨があってバンカラの風が吹き抜ける中、日々ろくなものを喰わずに暇を見つけては議論に明け暮れていた印象がたちどころに想起される。

 「カンパニィ」から「コンパ」になるよりも「コンパニア」から「コンパ」になる方が自然だ。「company」の語源が「compania」であることについては問題ないが、日本語として定着し「飲み会」と訳せるようでやはり訳せない「コンパ」は、「company」経由ではなくて「compania」から直接来た言葉であると考えるならば疑問は氷解する。

 そこで新たな疑問となるのは、明治の学生が使っていた「コンパ」が、いつの時代からその意味を変えてきたのか。またこの言葉は綿々と受け継がれてきた言葉なのか途中で中断があったのか。学生とは若く、それまでの経験が浅いからこそ伝統に憧れ、伝統を受け継ぐことに喜びを見出すものだから、この言葉が受け継がれていたとしても不思議ではない。また学生から教官になる者も少なくないことを考えると中断する可能性は少ない。それがどこで「合同」を冠にしてから更に略されたのか。

 「コンパ」なる言葉が軽い時代を代表すると考えられているのは、その内容が軽いというだけのことであり、元を辿って明治の学生へ行き着くならば、「コンパ」という言葉そのものに責任はない。そもそも「割勘」の概念を消失させた馬鹿は何処の誰か名乗り出ろと言いたい。


試訳 04/07/07

 四字熟語を関西弁に訳してみる試み

・呉越同舟 ・・・ よろしゅうに
・一石二鳥 ・・・ お得やで
・五里霧中 ・・・ 見えへん
・閑話休題 ・・・ ほんでな、
・準備万端 ・・・ かかってこいや
・三日天下 ・・・ 良おでけた話
・疾風迅雷 ・・・ いらち
・玉石混交 ・・・ ごった煮
・七転八倒 ・・・ どつぼ
・阿鼻叫喚 ・・・ たまらんわ
・三顧之礼 ・・・ 頼むわ
・難攻不落 ・・・ 無理やって
・孟母三遷 ・・・ また夜逃げや
・薄志弱行 ・・・ へたれ
・三日坊主 ・・・ へたれ
・馬耳東風 ・・・ やかましい
・自画自賛 ・・・ ボケ
・当意即妙 ・・・ つっこみ
・一触即発 ・・・ しばくぞコラ
・音信不通 ・・・ ふうせん

 何故かストーリー仕立てになってしまうのは、口語が多いせいであろうと考えるべきなのか。それともただの偶然か。確かに並べ替えはしたが、妙な感じだ。


茶碗 04/08/23

 茶碗のことだ。

 「茶碗」だけならば飯をよそうか茶を注ぐかの心象が齎される。これは各人各様であるから仕方のないところで、それでも「御飯茶碗」「湯呑茶碗」と頭に属性を付与することで混乱は避けられる。味噌汁などの場合は「御椀」となるからそれでよい。中には御飯茶碗でもって食後に茶を啜る向きもあるが、禅の方では不思議でもない作法であるから何も言うことはない。

 湯呑茶碗を想定する。まず浮かぶのは、美術だか遠足だかで作った歪な形の、或いは絵を書き込むだけの茶碗を思い浮かべて、陶器であれ磁器であれ確かに茶碗であった。

 それが舶来の硝子製になるとどうだ。綴りはそのまま「glass」で今度はグラスと読む。では舶来の陶器や磁器ではどうなるか。「cup」で「カップ」かと思いきや、蘭語で「kop」の「コップ」ではないか。しかもそれが脚の付いた「洋盃」なれば聞こえはよいが、今ではプラスチック製や紙製のものまでコップと呼ぶ。

 緑茶や日本茶は茶碗で、珈琲や紅茶はカップで、舶来酒ならグラスで、使い分けには何の迷いもないのだが、個人的には「盃」の響きを強く薦したい。「杯」と「盃」の使い分けについてだが、言葉として廃れた「さかづき」を今更言い募ることは無駄であるが、「縦長を杯」「平らを盃」である旨漠然と信じていて、しかし必ずしもその原則が適応されるわけでは当然ないことを心得た上で、杯盃を利用する。

 まず珈琲や紅茶などのカップはどうか。縦長と言い切れず、平らと言い切れず、取手を外せばどの方向から見てもほぼ正方形に収まるような形をどう呼ぶか。形に惑われず珈琲紅茶は一杯二杯と数えるものだから「洋杯」でよかろう。であるならば当然グラス一族もそれぞれ「杯」を当てればよい。

 オールドファッションドは直訳で「古式杯」、ワイングラスはどうしようか。そもそもワインは「葡萄酒」という厳めしい響きを有していて困る。厳めしいながら高級感が溢れているならまだよいが、厳めしいままにどこか時代を外れた滑稽味が香るから駄目なのだ。これはもう「ワイン」と読む国字を作成すべきであると思うがどうか。クリスタル製のカットグラスなどと無粋な呼び方よりも「水晶杯」の方が、何かの記念レースらしい雰囲気も漂っているようだが、凛然とした響きに思わず背筋も伸びようものではないか。

 コップが問題だ。コップと聞いて浮かぶのは麦茶かcalpisであり、「-の中の嵐」などと慣用句が存在する以上日本語であることを否定するべくもないが、それでもglass製ならばせめてグラスと呼びたい。プラスチック製のものは、材質の浅薄さと無闇な軽さ、そして価値の著しい低さがその体を表しているようだから、こいつだけをコップと呼んで侮蔑する。なお紙コップは紙杯でよいかと思われる。


先駆者 04/11/05

 ハヴロック・エリスはその研究内容からして知っていると公言するには勇気が必要である。

 ただし「夢の世界」を挙げれば双方共に安心する反面、臆病風に吹き晒されたことを表明する羽目になる。それでも手前はエリスの言葉のひとつが非常なる印象に残り、打ちのめされた経験がある。こういう言葉だ。

「先駆者たる為には 皆に背を向けねばならない」
To be a leader of men one must turn one's back on men.

 リーダーといえば日本語では指導者・首領・代表の意味合いが強いわけだが、これは先駆者と解釈した方が納まりよく馴染む。そう、かつては野茂が皆に背を向けた。中田英寿が皆に背を向けた。彼等は集団の代表ではなくて先駆者であった。

 「集団の指導者たる為には皆に背を向けねばならない」という解釈も確かに成立はするのだが、孤高の道を往く先駆者に比べて何故か侘しさが漂う。不必要に馴れ合わず、厳格に統率する為には背を向けねばならない局面が必要となることが当然承知の上で、それでも指導者が集団に対して背を向けることから発生する負の印象は、信念を足跡にして刻む先駆者には太刀打ち出来ないと思える。

 皆に背を向けねばならない。一度背を向けたなら、決して振り返らず嘲られようが礫に打たれようが断固たる決意と律心で歩み続けねばならない。背を向けることで失うものの大きさを怖れるならば先駆者たり得ず、振り向かないことを基軸に立ち止まらないよう前進し続けねばならない。

 しかし皆に背を向けた者は必ず皆先駆者になるわけではなくて、大方は途中で礫に倒れ道なき道に力尽き、やがて何もかも忘れられる。背を向けたから先駆者になれるものではないが、背を向けずして先駆者にはなり得ない。ガリレイは背を向けて、礫に打たれ先駆者たることを諦めて呟いた。後世彼を先駆者と了承しているが、それは諦めたにせよ確かに背を向けたからだ。ソクラテス然り、背を向け先駆者として時代に殉じ、今も尚論じられている諸論の礎を築いた。

 ここに先駆者でありながら首領でもある者が居たならば、その者にこそ、この言葉は捧げられるべきである。曹操でも信長でもよいが、世界に通じる言葉なのだから世界に通じる者に対して捧げよう。

Dear Columbus.


指詰注意 04/11/08

 電車の扉には、指を挟むと危険である旨の警告が外側から張り付けてある。

 内側に張ると扉付近に立つ者が手遊びに剥がしてしまうから外付けなのだろう。各扉に一枚づつ張られてある警告は大抵「葬式会場あっち」の指先が痛められた絵と、警告文章が並存している。そして中には英語併記してある警告もある。

 電車の扉が開く場合扉は横滑りして収納されるが、その際指を同時に収納されると困る。だから護謨箆の如き防護膜が装備されていて、万が一指が収納されても自ら引き抜くことが出来るような態勢が整えられている。

 この指詰注意の日本製英語警告文を折に触れ蒐集していたのだが、鉄道に乗る自体が目的の人々とは少々見解を異にするのであり、すなわち既知の路線に乗る事が多いので蒐集作業は遅々として進まず、数十年単位でのんびり集めればよいと考えていた。ローカル電鉄であればあるほど英記はなく、大きな電鉄であればあるほど無味乾燥な文章である傾向が強くて蒐集にやや飽きていたことは認めるが、最近指詰注意英記の蒐集を諦める口実を発見したので目出度く蒐集作業を中止することにした。

 その理由とは、某元国営鉄道に乗った際に本来ならば指詰注意の警告があるべき個所に通常の広告が張られていたのだ。その電鉄は英語併記指詰注意の筈だったのに広告であったから不審に思い、指詰問題よりも広告費に重きを見たと考えた。しかしよくよく観察してみると、扉の内側が完全に平面ではないか。これは新しい。今までどのような車両でも扉の窓硝子周囲は護謨で盛り上がっていて、窓が扉より薄く、全体として従来の扉の内側は段差が幾重にも配置されており、その段差が指の収納に協力的であるからこそ警告なされていたのだ。しかし新しい扉は護謨で段差を埋めているから窓と扉が真っ平になっていて僅かの段差も感じない。指が不本意に収納されたとしても殆どの怪我なく引き摺り出せる。意図的に指を収納させてみたが、全く怪我しないことを確かめた。なるほどこれなら指詰注意の警告を張る必要はない。

 そしてこの扉が序々に切り替わってゆくだろうことを考えると、指詰注意の日本製英記が少なくなる可能性に思いを致し、蒐集するならば危険が扉が残っている今の段階で行うべきなのだが、そこまで入れ込んでいる宿題でもないのであっさり止めることにした。

 各会社の英記を比べてみると面白いのではないかという発意は葬られ、残滓としての「Please be careful of the doors.」「Please keep your hands off the door.」「Mind the door!」「Please take care when the doors open.」を供養してここに祀る。


不可能 04/12/15

 現在では英語が世界共通語の地位にあり、直接に通翻しない場合は英語を経由することが多い。話者人口も多いからとの理由もあるが、話者人口の多さとはすなわち英語を母国語としない人々が多数存在することを意味しており、それは英語に各方言があることから完全な統一言語にはやや遠い。

 そこで一語一義の無機的なターミナル言語を作り上げたら翻訳の手間が大幅に省かれて意味の齟齬が減るのではないかと思ったりする。そのターミナル言語は基本的な文型が決められており、その語順に従って翻訳される。語順と文型が決まっているのでターミナル言語からは各言語で不必要な単語を省略したり助詞を追加したりで再翻訳が出来る。

 あらゆる言語を無理なく翻訳して、元に戻す作業を経ても意味が大きく違うことのないような仕組みでなければならない。その為にはあらゆる言語の文法解析が必要になるのか。それとも基本的な文法だけを整えておいて意味が正しく伝わればよしとするのか。

 仮にそのような仕組みがあれば、翻訳作業は素人にも可能となる。しかし読むに耐え得る訳文である為には今よりも遥かに文章力が必要とされるわけで、翻訳家の仕事の質が大きく変わることになる。

 ターミナル言語の概念は幾つかの人造言語で試されてはいるが、それらは全て既成言語の文法などを下敷きにしたものだからどこかで無理が出る。本格的なターミナル言語は、まず森羅万象全ての単語を用意して、それに各言語の単語を対応させる必要がある。また隠語や方言などを含めねばならないが、それは混乱を引き起こす以外の効果がないところも大きな欠点に思える。

 記号化された言語が統一言語の可能性を秘めている。それは無機質であり、それ自体を言語と呼ぶには相応しくないかもしれない。それを目的の言語に翻訳してからようやく通常の言語となる仕組みならば、各言語がそれぞれ独自に異なる言語の翻訳をする状況から、ターミナルを経由することで誰でも基本的な訳文を手にする機会が増え、爆発的に相互理解が進むのではないか。 

 しかしよくよく考えてみると全ての言語の全ての表記を認識する必要があることから、「困難を極める」程度の表現では生温いかもしれない。


鏡文字 05/01/14

 希望する車のナンバーを自由に取ることが出来るようになったニュースは古い話だが、それでも日本の場合は数字のみだから必然的に揃い数字や続き数字に人気が集中するわけで、人気のある番号は特別に抽選することになるから事実上意味はない。

 車のナンバーにアルファベットを用い数字との組み合わせで多彩な表現が可能なアメリカなどでは凝ったナンバーは矢張り人気があるだろうと思う。ところで相当古い話になるので手前も詳しくは知らないのだが、前面の空気取入口に車の名前板を張り付ける風習の中で、鏡文字の名前板の車があったらしいことを思い出した。

 それを思い出したのは、偶々見ていた馬鹿写真集のサイトで鏡文字の現象を利用したナンバープレートを見たからだ。正面から見ると「X32 IARO」なのだが鏡を通して見ると「ORAI SEX」に見えるから感心する。このような芸当は日本に於いて到底不可能であることも手伝ってその遊び心が楽しそうに思えてくる。

 日本の場合、数字だけの四文字でしかも間に「-」が入る上に反転した数字のなかで文字として使えそうなのはISEPOに見える12390の五種だけ、残りの五文字45678は鏡を通してみるとヘブライ文字の如き惨状だから苦しい。

 母音がIEO、子音がSPなのであって、まずは母音だけの組み合わせならば「II、IE、IO」「EI、EE、EO」「OI、OE、OO」が考えられる。子音と組み合わせて「SI、SE、SO」「PI、PE、PO」子音で止めるなら「IS、ES、OS」「IP、EP、OP」さて何か効果的な組み合わせがあるたろうか。

 しばし上を眺めながらあれこれ考えていたが残念ながら何も引っ掛からない。まあ「IE-OE」の組み合わせは殊に電網世界で嫌われているから「30-31」避けたくなるか、そういや昔「ISIS」ってバンドが居たよな、彗星の如く登場したが、まさか彗星の如く消えるとは思わなかった、あとCさえあれば「OPEC」になるのに惜しい、と断続的に思っただけで収穫は何もない。

 いやいや待て待て「PS」が使えるではないか。PS何かだ。しかし何もない。せいぜい「Oopsしまった」を意味する「OO-PS」あたりが限界らしい。

 煮詰まったので略語一覧表などを探してみた。「POPS」おお、これなら使えるではないか。ポップスならば曲のジャンルとしても存在する言葉だ。これでいいじゃないか。元の数字は「29-09」だ。ところで何の略なのだ?「Persistent Organic Pollutants」ほうほう、全然意味が判らんがつまり日本語にすると何なのだ?

「残留性有機汚染物質」


どれに 05/02/19

 空戦映画が好きになった大きな理由のひとつに小さい頃に読んだ「エリア88」という漫画があって懐かしい思いで読み返した。その漫画の中で準主役のサキという基地司令官が居り、彼を護衛する四人の女兵士の名前が「イーニー、ミーニー、ムーニー、ムー」であった。どこかで聞いた響きであると思っていたが、無駄に分厚くなってきたネタ帳を整理している最中に見つけた。

 日本語で何かを選ぶ際にとれでもよいなら「どれにしようかな・・・」と指差しながら呪文を唱えるが、英語でも鬼決めの呪文としてこれがある。

Eeny meeny miney mo   イーニィ、ミーニィ、マイニィ、ムー
Eeny meeny miney mo   イーニィ、ミーニィ、マイニィ、ムー
Catch a tiger by his toe   虎の爪先踏んづけろ
If he squeals let him go   虎が鳴いたら放しておやり
Eeny meeny miney mo.   イーニィ、ミーニィ、マイニィ、ムー

これはマザーグースの一節から採られていて変種が数多くある。

Catch a squirrel by the tail  栗鼠の尻尾を踏んづけろ
If he squeals let him go    栗鼠が鳴いたら放しておやり

中でも優位なのはこれらしい。韻を踏んでいてかつ元の響きも残しているからだろう。

 「Catch」を「捕まえろ」と訳してある場合が多いのだが、虎の爪先をどうやって捕まえるのだろうと不思議に思う。犬や猫を飼った経験のある人ならば判ると思うが、足元に纏わりつく奴がどんなに可愛くても、どんなに注意を払っても、必ず不注意で足や尻尾を踏んでしまい「キャン」と悲鳴を上げたところを「すまんかった」と謝る場面がある。その情景が最も自然な解釈だと考えたい。それに鬼決めの歌ならば「足を踏めば鬼交代の鬼ごっこ」が容易く想起されるのであって、爪先や尻尾は「捕まえる」のではなくて「踏んづける」のが正しい手順というものだ。

 しかしこれを発声しながら指を差してみると慣れないせいかぎくしゃくした動きになる。日本語の一音にひとつ指す感覚を引き摺っているから「by his toe」のくだりで指が痙攣するのであって、そういう場合は仕方がないからABCを順に叫び「Zが鬼」と決めれば楽になる。日本でも探偵盗人では「いろは」で決めるから恥ではないと思う。「いろはにほへとちりぬ、お前盗人、ぬをわかよした、お前探偵」後段は少し変だがそれは地域の訛だと思う。




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