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ポケット瓶
ビール・発泡酒
宿酔
ワイン
上戸
アイリッシュティ
飲んだ
ウォトカ
相場
BLAVOD
酔態
酒ラベル
無理


「何故酒なんか飲むんだろう?」

「飲んだら思い出すさ。そして醒めると忘れてしまうのさ」

ポケット瓶 03/02/15

 ポケット瓶というものがある。

 ハードリカーを隠し持つ為のクォーターボトルで発祥は禁酒法時代のアメリカだと言われている。一度ぐらいは映画で目にしたことがあるだろう。手のひらより少し大きめの緩やかに彎曲したあれだ。酒を手放せない酔っ払いを示す小道具として欠かすことは出来ないものだ。

 元々隠し持つ為に太腿に密着させるべくあのような形になったもので凹んでいる側と膨らんでいる側があり、それが色気を際立たせている。今では隠し持つ必要はないのだが、その際立つデザインと鋭い色気がいわば完成されたデザインとして、現在もその形を受け継いでいる。

 これはキャップに少しずつ注いでちびちび飲むのは貧乏臭い田舎者のやることであって、洗練された飲み方としてはやはり鷲掴みにして呷らなければいけない。

 まず、凹んでいる側を親指側に、膨らんでいる側を人指指と中指及び紅差指で包み込む。その際小指は瓶の底にあてがう。小指を瓶の底にあてがう以上並びの三本は瓶の表下半分に寄る。気分としては卓球のペンシルラケットを持っている感じだ。それでその手を右手と仮定するが、出来るだけ内側に折り畳むようにする。指先を肘の内側に届かせようとする具合に。同時に同じ形をした左手の人指指をキャップに巻き付け、親指で支えながら一気に折り畳んだ手首を解放するとキャップが外れる。キャップが外れた瞬間の右手を上から見ると瓶は膨らみを上に左上から右下に45度の角度で口を開けて中の酒が揺れている筈だ。

 それを零さないようお上品に飲もうとすれば見苦しくなるので、下唇を瓶の口下側に当てがい、上唇は軽く瓶の口上に添えるだけ、唇の両端は零さないようになどと考えて閉めたくなるが、閉めてはいけない。瓶の中の酒が口に流れ込む時の瓶の中に吸い込まれる空気の吸入口として必ず開けておかねばならない。でなければ、哺乳瓶をくわえているようなみっともない形の口になるし、何より舌が瓶に吸い込まれてしまう。さて、唇の両端を開けて流し込むのだが、ここでも零す心配などしてはいけない。最初のうちは零すかもしれないが馴れてくると瓶の重さと手の動きが一致して必要なだけ口の中に流れ込んでくる。

 この流し込む量は人それぞれであろうが、まず標準は「コポコポコポ」の三拍だ。そしてそのまま飲み込むと必ず咽せるから一旦口の中に駐留させ、舌がいい具合に痺れた瞬間一回で飲み下す。

 ポケット瓶などアル中しか飲まないなどと言う勿れ。これは美学の問題だ。物事にはそれぞれ正しいやり方というものがある。かつてアル中と呼ばれた手前が断言する。ポケット瓶は男の美学だ。

 とは言いつつ彎曲のない文庫本の如きチタニウム合金のスキットルにウォトカを詰めて寂れた駅のホームで呷る寂しさを漂わせた虚勢に、今日は酔いが回るのが早い。今日は何か大きなイベントでもあったのか?俺は何も知らないぞ。知らない方が幸せかもしれない。

ビール・発泡酒 03/02/18

 キリンから出た発泡酒の青い缶の淡麗が酷く不味い。これは麒麟党として非常に悔しい。

 加糖してある。アメリカの発泡酒によくあるタイプだ。これは口の中がべたついて吐き気がする。そのラベルに「プリン体90%カット」とある。プリン体とは何か。

 尿酸バランスを崩す理由の一つとある。プリン体は麦芽に多く含まれているので発泡酒ではその割合が当然少なくなる。その上で90%カットする。そして糖類を添加。何か間違っていないかね。

 ビールの味の違いがわかるようになったのは馬鹿飲みをしなくなった大学三年の頃からで、その時期まだ僅かに出回っていたバドワイザーの「レッドウルフ」キリンの「なめらか生」が好みであったがすぐに消えた。

 丁度規制緩和により地ビールが各地で続々と誕生したのもこの頃で、当初から「独歩」と「銀河高原」が先行していた。あれから数年、地ビールはすっかり鳴りをひそめて店頭に並ぶことは少なく、醸造所直送のビアホールもしくは隣接するレストランぐらいでしか飲めなくなってしまった。

 その理由が発泡酒だ。大手ビールメーカーは税金を言訳に発泡酒を売り出したが、これは表向きの理由で実は地ビール潰しが本来の目的であったのだろうと、現状を見て思う。

 明らかに質が劣り、味も横並びの大手メーカーのものは敬遠していた。敬遠していたがそうする人は僅かで打撃と言う程のものはなかった筈だ。しかし味で勝てないことが判っていたのだろう、ディスカウントストアの台頭に乗って発泡酒を売り出した。値段で勝負することにしたのだ。

 この戦略は見事に成功した。少数の愛好家を除いて酒なら何でもいい人は当然安い発泡酒に流れるし、ただでさえ大手メーカーのビールより高かった地ビールは三倍四倍の値段に実質格上げされてしまったのだ。大手メーカーの地ビール潰しはこれで簡単に終了した。

 ところが副作用としてビール自体が売れなくなってしまった。発泡酒がビールの消費量を上回り、売り上げも上回ろうとするあたりでついに四社が発泡酒の揃い踏み。そして発泡酒が売れ過ぎた結果の増税。一時期の高級志向としての地ビールの立場に今、大手メーカーの普通のビールが居座っている。それも近いうちに増税で差が詰まってしまう。

 つまりこうだ。

高級 地ビール   普通 大手ビール  まだ発泡酒はない
        ↓
高級 大手ビール  普通 大手発泡酒  そして発泡酒増税

 悲しいではないか。悔しいではないか。馬鹿馬鹿しいではないか。巧妙にビールの価値観をスライドさせて地ビールだけを綺麗に葬り去った。 このような仕掛けに気付いたのが今頃だとは手前のアンテナも随分錆び付いていたようだ。

 発泡酒に縋るしかなくなった大手メーカーは自らの首を縛る縄に向かう階段を一歩登ったことを判っているのだろうか。この先どうするつもりなのだ。税金を言訳とせず、美味いビールを造ってくれ。消費者だって想像するほど馬鹿ではない。本当に美味いビールなら値段を気にせず飲むのだ。ヱビスが証明しているではないか。

宿酔 03/03/13・14・15

 集中的に酒を飲んでいた時期があって、酒との付き合い方には一応馴れているつもりではある。

 酒を飲まない人は「宿酔」が如何なるものかを理解していないらしい。また飲む人でも宿酔などしたことがないと言い張る人もいる。通常一度も宿酔したことがない人は酒を飲む部類には入らない。 そして一度でも宿酔をしたことがある人ならばその苦しみ故死んだ方がましとまで思い、以降様々に宿酔対策を講じることになる。

 しかしまず宿酔がどんなに気分の悪いものか説明する必要がある。よく「あの感覚は説明出来ない」などと逃げを打っている人がいるが、文章を我が武器と決めた以上、手前は説明出来ないという言葉は絶対に使わない。説明出来なければそのような話の流れに持っていかない。では説明してみよう。

 まず酒を飲み過ぎてみる。個人差があるが、頭が勝手に四方八方へ振られるぐらいまで飲む。そしてそのまま寝る。起きるとめでたく宿酔だ。まず頭が痛い。特に後頭部が痛い。こめかみも痛い。この痛さはそう、かき氷のあれだ。かき氷を一気に食べると頭がきーんとするだろう。かき氷なら長くても十秒ほどで治まるが、宿酔はこの痛みが半日続く。そして頭は痛いが、それどころではない。こみ上げる嘔吐感は船酔いよりも凄まじい。どんなに頭が痛くても「吐く吐く吐く吐く」と呻きながら壁伝いにトイレか流しのどちらか近い方へ向かう。普通に歩くと痛む頭が上下して吐き気が増すので頭を揺らさず摺足で幽霊のように移動する。顔色もそれらしい。辿り着いた瞬間は何もしなくていい。そのまま出てくる。米粒。麺。青豆。人参。海老フライの尻尾。泡立つビール。泡立つ胃液。ここでやっと胸焼けを知覚する。「うええええ気持ち悪」このむかつきはオリーブオイルを一瓶一気に飲んだ時とほぼ変わりない。この頭痛、嘔吐感、胸焼けが半日続くのだ。これを体験したことのない奴が、この体験を語ることの出来ない奴が「お酒?好きです。結構飲めますよ」しばくぞお前。

 宿酔になってしまうとどうしようもない。宿酔を劇的に直す方法は有史以来まだ発見されてはいない。

 梅干や味噌汁、スポーツドリンク、柿、胃腸薬、栄養剤、温い風呂、サウナ、すべて「何もしないよりはまし」といった気安め程度のまじないに等しい。

 では酒を飲む前に何か対策を取ればよいか。牛乳を飲むかパンにバターを分厚く塗って胃に壁を作るという方法は信じられている。しかし、これは「酔いがまわるまで時間がかかる」だけのことであって、結局酔う時は酔う。宿酔になるときは宿酔になる。ある種の胃腸薬などを事前に飲んでも状況はほぼ同じだ。食べながら飲めば酔わない。これは正確ではない。この場合、正しくは「食べながら飲むと酔いにくいが、確実に太る」だ。

 寝る前にすべて吐いてしまえばいいではないか。その通りだが、吐いてしまった翌朝の気持ち良すぎる目覚めの後に来るのは、「吐いてしまって勿体ない」という怒濤の後悔だ。嗚呼酒が。嗚呼栄養が。

 宿酔になってから直す方法は実は一つだけある。正確には直すとは言わない。「公的資金の注入」と言った方が相応しいかもしれない。そうだ。迎え酒だ。いずれ倒産すると知りながらとりあえず問題を先延ばしにしてその場を凌ぐ。横たわって動けない宿酔状態をとりあえず脱するために酒を飲む。これは再び酔って宿酔を先延ばしにしようとする戦略である。三日酔はこれにあたる。宿酔が嫌でいつまでも飲み続けて、起きた瞬間の気分の悪さを即座に酒で紛らすことを繰り返しているうちにアル中が完成する。この場合、事実上死ぬまで宿酔は来ない。アル中と言うのは酒を飲んで当り散らす人のことではない。それはただの酒乱だ。アル中とは、酒がない時に廃人状態の人を指すのだ。ただのアル中ならば酒が入っているとごく普通の人になる。ただし「アル中で酒乱」と言う人もいる。これは「近視で乱視」「不能で種無し」よりも始末が悪い。

 さて、では飲む前に防ぐ方法はないか。学生時代に「ぷちアル中」であった経験から言わせて貰えば、そんなものはない。その手前が何故廃人にならずにいるかというと、あらゆる方法を試してみて、「宿酔になりにくい方法」を身に付けたからである。だから宿酔を先延ばしにする為の迎え酒は必要なかったのだ。ただ、朝食が林檎とビールであったから、宿酔してもしなくても変わりはない。

 本題の宿酔しにくい方法とは。飲む前でもなく、飲んだ後でもなく、宿酔してからでもない。眠る直前だ。眠る直前に水を飲む。ただそれだけのことで八割方宿酔は防げる。頭が痛いのは脳の水分が足りずに収縮しているからであり、吐くのは消化が追い付いていないからであり、むかつきは肝臓がアルコールの分解に手間取っているからである。アセトアルデヒドという単語、聞いたことぐらいはあるだろう。

 眠る直前に水を飲むことですべて解決される。まず水分をするから脳は収縮しにくくなる。消化出来ないものは消化されないまま胃から腸へ送り込まれる。アルコールは水によって薄まり、肝臓への負担がやや軽くなる。その分分解の時間はかかるが、立ち上がれない程の苦しさとは無縁だ。

 飲む水の量は酔いの度合いにもよるが、最低1リットル。かなり飲んだと思えば1.5リットル。2リットル飲めばそのまま逆流してしまうので気を付けるべし。水でなければならない理由はないが、スポーツドリンクを眠る直前に用意出来るとは限らない。海水、つまり血液とほぼ同じ濃度の塩水ならば尚更よい。「生理食塩水」を用意出来るならそれに越したことはないが、する程の人ならば宿酔になるまでは飲まないだろう。烏龍茶などのお茶どうか。別に構わない。ただし、翌朝嘔吐の代わりに便が液状化現象を起こすことを覚悟するがよい。炭酸はいけない。炭酸だけは絶対にいけない。炭酸を飲むと今までに聞いたこともない恐ろしい音の「げっぷ」の直後、そのままマーライオンと化すだろう。新しい世界を体験出来るが、掃除するのは果てしなく空しい。

 この「眠る直前に水1リットル」で深い眠りと際立つ目覚め、確かに酒を飲んだ気怠さ、にも関わらず宿酔なし、嘔吐も無しという素晴しい方法が、大学四年間で学んだ数少ない役に立つ貴重な知恵である。お試しあれ。

※前中後編を合わせました

ワイン 03/04/01

 ワインは苦手であまり飲まないのだが、飲み方ぐらいは知っている。ワインを味わい、相物を味わい、ワイン、相物、ワイン、相物、以下循環。ただしここで気を付けねばならないのは、日本式に食べ物を口に入れたままお茶で纏めて流し込むのを絶対にしてはならないことだ。日本でもこれは行儀がよくないとされているが、本人は涼しい顔をしている。何故ならば、美味くも不味くもないからだ。お茶漬けの伝統がよく刷り込まれた結果であろう。この感覚のまま、不意に食事とワインの取り合わせに立ち向かったとき、悲劇が起こる。

 通常の食事をしている感覚で、口の中に食べ物が詰まり、さて、咀嚼にも疲れた、まだ頑固に固体を維持している奴らがいるが、面倒だ、流し込もう。水はないか。を。ワインがあるじゃないか。折角ワインがあるわけだから、これで流し込もう。そして口の中に食べ物があるところへワインが注ぎ込まれる。少し噛みながら一気に土石流の気分で胃に落とそう。ここで、顔が苦悶に歪む。

 苦いでしょう。不味いでしょう。苦しいでしょう。「えうげあ」半泣きで飲み込んで水を求める筈だ。

 ワインは、口の中を漱ぐ為のものであり、又その際にその料理に最も相応しいワインを選ぶのであり、決してお茶漬け感覚で口の中でもって食べ物と混ぜ合わせてはならない。えぐみが口の中に広がってしまうのだ。「ワインにはチーズ」これしか知らないままチーズを頬張り、実はチーズが嫌いなのに無理をしていたものだから、強引にワインで流し込もうとして後頭部が痺れたことがある。「ワインには、やはりパンだ」それでも口の中で混ぜ合わせて口内炎に染みた十八の夜。この二度の失敗からいろいろ試した結果、食物は噛み締めて味わう。口の中に何も残っていない状態でなお、その食べ物の味が残っている又はべたつくときにこそ、ワインを口に含み、残っている味やべたつきを洗い流して再び一から食物を味わうことが出来るのだ。

 これを知らないまま、口の中で混ぜ合わせてしまうと、「このワイン不味!」と冤罪を被せることになってしまう。ワインは何も悪くない。単に貴方の行儀が悪いだけだ。

 そして日本食の場合。どうもおにぎりや丼物、炊込飯など、御飯を混ぜ合わせる料理が多い為か、口の中でおかずと御飯を混ぜ合わせて食べる人が多い。手前もそうする。しかし正式な作法としては、「白い御飯は、ワインと同じ立場にある」ことを知っておいて損はない。つまり、おかずを味わい、口の中に何もなくなって、味が残っている場合、白い御飯で一旦味を消してしまうのだ。そして又、先の味が消えた舌で次の味を確かめる、とこういうわけだ。

 これが正式な作法であるが、そう考えると、御飯におかず漬け物及びお茶をかき混ぜてあまつさえ薬味などという気取ったつもりの刺激物をまぶして掻き回して「ぞぞぞぞぞ」と啜り込むお茶漬けはどれだけ品がないかわかるだろう。そしてその感覚を西洋料理に持ち込んで、口の中でお茶漬け状態にして「えぐい。不味い」では、ワインが余りにも不憫というものだ。

 ワインを主か従かどちらに置くとしても口の中で混ぜ合わせてはならない。本当に後頭部が痺れるぞ。それで嫌いになったわけではないぞ。更にワインの産地や種類の多さに馬鹿馬鹿しくなったから飲まないことにしたのだ。「やってられん」というのが最後の記憶だ。以降はビールとウィスキィにのめり込む。発泡酒は殆ど惰性だ。

 美味い酒の条件とはたったひとつ、これしかない。

「喉に引っ掛からずに水のようにいくらでも飲めるもの」

 「喉越し云々」「喉にがつん」それはですね、不味いんですよ。加糖してですね、べたつく酒を際限なく飲むことが出来ますか?スコッチ?あれは共同幻想だ。いろんな蒸溜所のもの混ぜて貴方あれは標準米と同じことですよ。標準米。何でもいいから酒を飲むだけで幸せになるならば、メチル飲んで昇天しなさい。

上戸 03/04/28

 酒を飲むと感情が極端に爆発する人がいる。

 所謂なになに上戸という人たちで、彼等の生態もなかなか興味深い。しかし何故人によって爆発する感情のタイプが違うのだろうか。似たような性格の二人がいても、泣き上戸と笑い上戸にそれぞれすっぱり分かれることもある。

 こういう疑問は直ぐに解決できないので意識の奥底に沈む。そしてふと思い出してみたときに少し弄繰り回してはまた沈める。それを繰り返しているうちにある日突然すべての辻褄がぴったり合うときがやってくる。

 泣き上戸笑い上戸怒り上戸その他の上戸はこれすべて後天的な学習効果によるものである。つまりこういうことだ。泣き上戸を例に取ってみよう。何かひどく悲しいことがあり、落ち込んでいる。ともすれば涙が溢れそうだ。そんなとき、ふと酒を飲んでみる。自分から飲むか勧められて飲むかはどうでもいい。悲しくて悔しくて泣きそうなとき、お酒を飲んで綺麗さっぱり忘れてしまおうと企てるこの行為、年に二・三度ぐらいなら問題はないだろう。

 ただ、御存知のように酒を飲むと理性が開放され抑えられていた感情が増幅される。悲しいことがある度に飲むと、当然忘れてしまう前に悲しい感情が増幅される。それを爆発させてしまえば後はすっきりするかもしれないが、それを繰り返しているうちに「悲しいから飲む」ではなくて「酒を飲んだら悲しくなる」と、

体と心が学習してしまうのだ。

 こうなると、別に悲しくなくても酒を飲んだら勝手に悲しくなってしまい、いろいろ思い出すうちにまた泣きが入ってくる。かくしてここに泣き上戸が完成する。笑い上戸も怒り上戸も似た経緯を辿りそのようになる。うれしくて楽しくて仕方がない時にだけ酒を飲んでいると、いつのまにか飲むだけで楽しくなってくるのだ。腹が立ち憤激しているときに鬱憤晴らしの酒を飲んでいると、なんでもなく、ただ飲んでいるだけの時にも、何故か不思議に怒りが込み上げてくる。

 このような心と体の学習効果というものは簡単には拭い去ることができない。だから意識的に「笑い上戸になりたい」と考えるならば「楽しいことがあったときに限って飲む」ことを心掛ければよい。悲しいときだけの自棄酒しか飲まないという人の酔態は見ていて微笑ましくもあるが、毎回同じだと「泣き上戸を学習するより悲しくならない方法を学習せい」とも思うし、何より飽きる。

 もうひとつ、酒を飲むと助平になる者がいる。この属性も男女を問わないのだが、これはアルコールで精神が開放されただけではなくて、酒を飲んだ後に必ず体を開放することを繰り返すうちにいつのまにか「酒=その気になる」と学習してしまうだけなのだ。

アイリッシュティ 03/05/19

 アイリッシュティというカクテルがある。

 生クリームを浮かべたものであるウィンナコーヒーに砂糖とウィスキィが入っているものだ。このコーヒーを紅茶に変えると「アイリッシュティ」になる。かつて一度だけ実際に自分で作ってみたことがある。苦い思い出を聞いてくれ。

 まず濃い紅茶を作るため、ティーパックを二つ使った。沸騰直後の紅茶の香りなど吹っ飛んでしまう熱すぎる湯をティーカップもコーヒーカップもなかったから湯呑に注いだ。月に雁、粋な湯呑から濡れてしおしおになった紙が二つ垂れ下がって張り付いている。

 アイリッシュティの主流はザラメらしいが、カップもないのにそんな洒落たものがあるわけがない。ザラメはなく、角砂糖もグラニュー糖もなく、練乳もないから遠い昔に食べたヨーグルトに付属していた蟻の巣コロリの如き砂糖をざらざらと落とした。アイリッシュウィスキィは手元になく、カナディアンウィスキィもなく、当時それしか飲んでいなかったアーリータイムスをどぼどぼ注いだ。

 当然生クリームなどない。マシュマロもない。卵はあるがメレンゲなど作っていられない。第一作り方を知らない。先が檻みたいな混ぜる奴はあるが、米を研ぐためにしか使ったことがない。仕方がない。生クリームは別の機会にしよう。

 ティーパックをやっと引き上げ、不吉な色になっていることを気付かない振りをしてヨーグルト付属蟻の巣コロリ砂糖とアーリータイムズを半分やけくそになってかき混ぜた。ティースプーンなどないからマドラーのつもりの箸でかき回した。念の為に言っておくが、月に雁柄の風雅な湯呑だ。

 これがアイリッシュティか。全然違う気がするが、作り方は踏襲している筈だ。湯呑であるから持ち手などないので鷲掴みにするが熱くて持てない。左手を底に右手を上端に支えて香りを嗅ぐ。アイリッシュティだ。ティだ。お茶じゃないか。照れることはない。飲むぞ。

 やっぱり熱い。

 思わず啜ってしまう。お茶だ。いやアイリッシュティだ。アイリッシュティの筈だ。熱くて味がわからない。もう少し温度を下げて飲もう。アーリータイムズを追加。

 何故だろうか。非常によくない予感がする。とても不味いのではないかという恐怖に包まれる。

 あれほど苦労して作ったアイリッシュティではないか。入っているのはバーボンだからアイリッシュではなくてケンタッキーであるが、ダイエーのセービングティーパックであるが、ザラメの代わりにヨーグルトの砂糖であるが、生クリームがないが、湯呑ではあるが、これはアイリッシュティなのだ。唇をつけてみる。うむ。この温度なら大丈夫だ。気持ち良く喉が焼けるだろう。飲んでみるぞ。

 「うえれえ」

 えぐい。にがい。まずい。何だこれは。どこかで作り方を間違えたのか?それにしても苦すぎる。いかにティーパックを二つ使ったが、通常の半分の湯に二つだから実質四倍の濃さではあるが、あ、それでか。砂糖の効き目が薄いようだが。残っていたから舐めてみると全然甘くない。なんだこれは。この砂糖全然甘くないぞ。これではあの濃茶に対抗できるわけがないではないか。不味いのはアーリータイムスのせいか。温くなっているから普段は全然感じないアルコールが鼻につーんとくる。渋い茶。甘くない砂糖。えぐい酒。これがアイリッシュティなのか。断じて違う。何故ならば、生クリームを乗せていないからだ。

 捨てた。含まれている酒が勿体無かったが、人間の能力には限界というものがある。限界を超えるカクテルをあっさり調合しておいて何だが、あれは飲めたものではなかった。

 アイリッシュティ、正しく作れば美味しい筈だ。現在試すことのできる状況にはないが、作り方を記しておく。

 熱く濃い紅茶をティーカップに半分、温くなってしまわぬよう、かといってアルコールが飛ばぬような温度でいれておく。ここで苦すぎたら飲めたものではないから程々に。砂糖はザラメだそうだが、練乳も美味そうだ。1tsp。カップ半分のさらに半分、つまり四分の一にアイリッシュウィスキィを注ぐ。カナディアンウィスキィでもいい。香りの強いスコッチ、バーボン、日本製を避ける。かき混ぜて砂糖を溶かしてカップの中が回っているうちに生クリームを大匙一杯載せる。

 誰か雪辱を果たしてくれ。

飲んだ 04/05/12

 とにかく最近だれてきたので闘魂を注入するべく酒を用意した。

 通常であれば軽く酔ってそのままふにゃりと失すればよいが、この度は喝の意味が含まれているのでボトルで勝負することになる。しかし大好きなBlantonが入手出来ず、仕方なくEARLY TIMESで妥協する。考えてみればボトル一本勝負というのは久方ぶりの話であって、寒い冬の原付にボトルを積んで信号待ちの度に少しづつ含んで寒くもならないが酔いも回らない、という不毛を平然と行っていた時代は一日あたり一本が当然という危険な水域を漂っていたが、いくら宿酔しない技術があっても着実に体の方々が軋んでくるのであって、二回目に血の混じった胃液を吐いたあとは一日一本という根性も萎れてしまい、煙草との併用で鋭い差込も増えた頃から序々に酒量は減ったわけだ。

 酒との付き合い方のおおまかな進行は、まず飲めないと思い込んでいる時期があり、飲んでみてやっぱり飲めないと体感した時期があり、やがて以前と比べて飲めると気付いた時期があり、ひたすら量を求める時期があり、やがて味を求める時期があり、体が変調した時期があり、そして精神的な安定を求めて飲む時期があり、少々飽きた時期がある。

 最近は飽きているのであって、しかしあまりに酒を飲まないとくだらない考えを弄ぶ余裕がなくて妙に理屈っぽくなるからここで一発ぶっ飛んでみるのも悪くはないとし、空腹のまま肴を全く用意しない硬派な態度でボトルを掴んできりきりと蓋を開け、「香りでえづいたら体調のよろしくない証」という健康度判別法を恐る恐る試してみると、まことに芳しい焦樽の甘くて濃厚なバーボンの香りが鼻の奥から拡がって後頭部が軽く痺れ、身体は絶好調であることを理解した。

 ボトル一本を注入して精神的な化学変化を求めたわけだが、化学変化とは「適度に酔ったまま頭が解放される」「過度に酔い色々忘れて翌日頭が解放される」「宿酔になって解放されない」の三通りが一応前向きとされる。宿酔だって「宿酔の苦しさで一時的に他の苦しさを忘れる」という効能が認められるので前向きと考えられる。

 で、何を色々並べているのかと言えば、まず結論としてボトル一本飲んだが宿酔はせず、飲み進める最中意識も飛ばず身体もぐらつかず割に冷静なまま、空けてしまった。「ぁぁぁ。空いたなあ」とぼんやり考えていただけで、期待した何かの科学変化は別段起こらず、突如狂ったように何かを書き続けるということもなく、ただ「久しぶりにこんな飲んでも酔わへんのは凄いんちゃうか」と、まあ医学的になら酔っていることになるだろうが、酒にどっぷり浸かった経験のある者の場合、「酔う」とは「真っ直ぐ歩けない」「まともに喋れない」「寝たまま何かを吐いている」状態を指すのであって、ごく普通の足取りで煙草を買いに行ったり出来るならそれを酔っているとは言わない。確かに途中の電柱の張紙に書いてある事がどうしても理解出来ず、何度も何度も何度も何度も何度も読み返していたような記憶もあるが、その割には内容を覚えていないが、酔ってはいなかったと思う。およそ四時間後に突如目覚めて「うを。寝てた。うを。空いてる。うを。宿酔してへん。うををを・・・」

 かくして闘魂は注入されず、化学変化は起きず、宿酔もせず、単に「ボトル一本空けても大丈夫である」ことを確認しただけであった。


ウォトカ 04/07/27

 トマトジュースを嫌いな人がいる。

 それは別に構わない事であり、こちらも無理矢理飲ませようとはしないし飲むべきだと語ることもない。ただ、飲む時にウスターソースやタバスコを投入することを告げると身震いと後退りが散見される。そんなに変なものではない。液体サラダと思えばソースは普通だろう。液体ピザの具と思えばタバスコは普通だろう。

 トマトジュースにウォトカを混ぜるとブラディメアリというカクテルになる。ウォトカの代わりにジンを使えばブラディサムとなる。これらはそのままでもよいが、通常は「塩・胡椒・ウスターソース・タバスコ」を好みで投入する。トマトジュースには既に塩が入っているが、更に重ねる場合がある。

 トマトジュースそのままであればノンアルコールカクテルとしてヴァージンメアリと呼ばれる。それでもただのトマトジュースを飲むのは味気ないからタバスコを振るのだ。実際ウスターソースを全体の色が変わらない程度の少量とタバスコ二・三滴で風味が鋭く尖ったものになり、「健康的」という雰囲気からいきなり「隠家葉巻紫煙ブルース」に変化する。トマトジュースだけをただ飲んでいるとすぐに喉が焼けてくるが、ソースとタバスコが入ってあればほぼ際限なく飲めるのだ。そこにウォトカが入ってあれば頼もしい。

 ただしウォトカの酔いは突然くるもので、調子よく飲んでいて意識も通常、呂律も全開、所作に淀みがない状態からさて便所でも行こうかと立った瞬間くらくらする。立っても今度は膝が爆笑していて「よよよよよ」と踊る羽目になる。もう少し頑張って飲むと腰が抜けて立てなくなり、一本空けてしまおうと決意した場合、気付けば夜も明けている。いつの段階で突っ伏したかを覚えておらず、卓には気合で開けてしまったボトルが佇立し、しかしグラスには最後の一杯分が並々と注がれたまま、灰皿には火を点けて一喫して放置され長さはそのままで灰と化した煙草、残っていたトマトジュースが倒れて流血の惨事に見え、軋む頭を出来るだけ揺らさないよう洗面所へ行くと蹴り飛ばされたチューリップの如き寝癖と対面する。そして思うのだ。「今から最後の一杯を迎えて目を覚まそうか」


相場 04/09/26

 輸入ウィスキィは酒屋や量販店により著しく値段が違う。

 数百円から千円単位で違うこともよくあり、下手するとボトル二本で買うところを別の店では三本買うことが出来る場合もある。従って高い安いの情報は疎かにしてはならない。とは言うものの、広義の輸入ウィスキィなど限りなく存在する。如何にすべきか。

 これは単純な方法で解決可能だ。どの店にも置いてあるような有名処の銘柄をひとつ選び、それを基準とするのだ。単純に有名銘柄が好みであるならば問題なく、ただその値段を比較することで高いか安いかが伺える。ある店で1200円で置いてあり、別の店では1400円、さらに別の店では1800円で置いてあったりする「EARLY TIMES」はおよそ1200円が底値であり、それなら迷わず買いであって、1700円1800円で置いてあるのを見ると敬遠する。

  居酒屋で、生中ビールしか頼まない主義の方ならば、その値段を元に高めの店か安めの店か目処をつけるだろう。同じ原理だ。そしてそれを基準に店の傾向として高く売る店か安く売る店かを推量するわけだが、あくまでも傾向としてであり信頼すべき参考情報ではないことに注意が必要だ。「よく売れるから安く」「よく売れるから高く」と正反対の思想を持っている店の場合、どちらに掘出物があるやら見当付かず、仕方なく巡回する羽目になる。また掘出物とは埃を被り保存状態もよろしくない劣化ウィスキィを安く売っている場合もあり、このあたりの呼吸はまるで自由市の如く騙し騙される寸法だ。

 ウィスキィとは言っても基本的にバーボン党であり、中でもBlanton'sが数年来変わらず気に入っており、きっかけは栓に一目惚れしただけであるのにその奥深さに首まで浸かった。これは単樽で瓶詰されるもので、ラベルには詰められた年が手書きで記されている。これが信頼の証であり、級も同一の銘柄でありながら年によって味の違うあたりが深い。ワインのややこしさは完全に諦めた代わりにBlanton'sのややこしさにのめり込んだ。

 これはどこでも売っているとは言えず、同一の銘柄でも当然のように4000円を超えたり、また別の店では2500円程度で売っている場合もある。2500円で売っている場合は銀行に走ってでも買い占める価値があると信じていたので血を吐いたりしたわけだが、それでも怯むことなく忠誠を誓ったままだ。

 なのに、最近酒自体から離れているせいであの焦げた香りと官能的な甘さが並立している玉蜀黍畑からの贈物を享受する機会のないことが悲しい。


BLAVOD 05/01/06

 Blantonが目当てであったが、売り切れであったから途方に暮れた。

 仕方が無いから知らない銘柄のラムあたりで妥協しようとあれこれ検討していたが、ふと目に入ったのはウォトカだった。かつて某航空に乗った際「ウォッカ」を注文したら躊躇いもなく「water」が運ばれてきて以来「ウォトカ」と発音することを心掛けているが、綴りは「VODKA」で「ヴォドカ」が正しい。ウォトカに特別好みの銘柄はないが、ウォトカを飲む場合体力のある場合はストレート、後は基本的にブラディメアリ一筋だから様々な銘柄を飲み比べる形になる。

 ふと目をやって固まってしまったのは、そのウォトカの姿が異常に見えたからだ。どう見ても黒い。瓶が黒いのではなく、液体が黒い。墨汁のように黒い。名前は「BLAVOD」でブラボドと表記しているから、ヴォドカをウォッカと言慣わしていることが苦しく見える。

 透明の瓶に墨汁が入っている。これは見逃すわけにはゆくまい。美味ければ定着するだろうし不味ければ貴重な体験として残るのだから悪くない。1680円だった。アルコール分は40%、ラベルの説明にこうある。

>イギリス生まれのマイルドな味わいのウォッカに薬草エキスを加
>えた、風味豊かなブラックウォッカです。そのままストレートやオ
>ンザロックでも、また、カクテルベースとしてさまざまな飲料との
>組み合わせて(原文ママ)鮮やかなカラーヴァリエーションとスムー
>ズな味わいも(原文ママ)お楽しみいただけます。

 「成程、薬草エキスで黒いのか」と思ったが、下の方に「食用黄色5号」「食用赤色40号」「食用青色1号」とあるから強引な着色であることを伺わせる。説明は文法的に破綻しているようだが、言いたいことは伝わるので初陣としては十分だろう。

 グラスに注いでみると薄墨色で透き通っている。陽に透かすと真紅に見えることを発見した。何故陽に透かしていたか、それと昨日メルマガを発行出来なかった事との関連についての詳述は避けるが、ストレートで飲むとウォトカとは思えないほど口当たりが良い。氷は必要なく、そのままでどんどん飲める。以下は試行錯誤と感想を並べる。

・砂糖一つの珈琲と1:1が美味い。珈琲を2にするとKOカクテルとして通用するだろう。
・手抜きのロングアイランドアイスティが氾濫する可能性を秘めている。
・販促トランプ目当てで買ってあったジョニ黒と1:1で混ぜてみれば緑色になった。素晴らしい色だがとても飲めたものではない。
・水と1:1にすると見た事のない色になった。強いて言うならば「透き通った深緑色」だろうか。これはウォトカのえぐ味が強調されてしまい、一晩放置されて翌朝に飲んでみるカクテルの不味い味が一瞬で再現可能となる。だから水は勧めない。
・コーラと1:1でグラスの向こうが見えない完全な墨汁になってしまった。「真っ黒な液体」を飲むには、何でもありの挑戦者としても多少の精神鼓舞が必要になる。後味に僅かな苦味が残るようだ。コーラを2にするとクーバリブレよりも美味い。

 そして瓶の首に掛けられていたカクテルレシピにはこうある。全て原文ママ。

>ミドナイト・サン   クランベリージュースと
>ブラック・ブル   レッドブルと
>ブラック・アイスバーグ   ブルーキュラソ、ソーダウォーターと
>ミドナイト・マティーニ   オリーブの実またはレモンのスライスと
>ショット・イン・ザ・ダーク   そのままストレートで
>イタリアン・サンセット   ガリアーノ、ブルーキュラソと
>ブラック・クラウド   トニックウォーターまたはソーダウォーターと
>ムーン・グロウ   クランベリージュース、ソーダウォーターと
>ブラック・コスモポリタン   クランベリージュース、辛口のシャン
> パン、ライムジュースと
>サン・ダンス   オレンジジュースと

 これらは試していないが、どれもこれも強引にビルドで色彩を強調した写真が載っている。確かに綺麗ではあるが、混ぜた色の方が神秘的な深みが増すだろうと思う。オレンジジュースとビルドで作った写真は見た目がプリンである。

 全体的に見て炭酸との相性がよいみたいだ。とにかく美味いことは間違いない。ウォトカのお気に入り銘柄はこれに決めよう。

 なお、各ジュース類との組み合わせを実際に試した言及がないのは、試す前に瓶が完全に透明になってしまったからだ。

 ※レシピ集に記載されていたBLAVODのサイトはこちら。http://www.blavod.com/


酔態 05/01/11

 何をする気力もない時は黙って酒を飲んで眠るのが最善の策であるが、気力がある場合もまず酒を飲むから結局酔っている。

 酔うにしても目が醒めてすっきりする酔いならば問題ない。しかしボトルの残りがあと数杯程度であることに気付いてしまうと「では空けてしまおう」と考えるから暴走が始まる。

 一旦暴走が始まると酒種や銘柄は気にしないから止まらないのであって、眠くなって倒れるか或いは酒がなくなれば自動的に活動を停止するが、途中で「腹が減った。ついでに酒を仕入れて来よう」と考えた場合、必ず何かを忘れてゆくのであって、鍵も財布も小銭入れも全部装備したから問題ないと確信しても、靴を履く段になって靴下を忘れていることに気付いたりする。

 かなり前のことだが、温い風呂に浸かってややこしい本を読みながら「OLD CROW」を一本空けてしまった時は三時間以上経っていて、気付けば風呂の温度と体温がほぼ同じになっていたらしく、余りに気持ちよくて動けなくなった。熱い湯を足してゆくと湯船から出ても寒さを感じなくなったが、それは血行が急速に促進されたからであって、すなわち酔いも急速に廻るから今度は酔いのせいで座り込んで動けなくなり、寒くなったからもう一度浸かり、気持ち良くなって酔いも復活し、もう何だか疲れてそのまま眠ってしまい、起きると湯が冷めて体温と同じになっており、また熱い湯を足しながら水を飲み、そしてやっと風呂からあがった時にはマラソンを終えた直後のような疲労感が残っていた。都合七時間ほど入っていたわけで、ふやけた手は膨れあがって握ろうとすれば抵抗を感じた。多分あれで二キロは痩せたと思うが、痩身法としては薦められない。


酒ラベル 05/02/12

 酒瓶のラベルは剥がし難い。

 回収再利用の風潮の中で頑固な糊に腹が立つこともあるだろう。しかし酒瓶のラベルが簡単に剥がせてしまうと密造酒偽造ラベルが氾濫するので、それを避ける為に強固な糊付けは今後も続く。

 そもそも水の中に放り込んでおけば半日から一日程度で剥がれているもので、今すぐこの爪で剥いでやりたいと考えるのは無謀だ。糊は全面にべっとり付着しているわけではなく、シールに加えて糊が模様のように付いてある。

 国地域によって糊の形を変え、正規の輸入かどうかを調べる為の模様だという噂もある。密輸と疑わしき場合に利用される判別方法として優れているように思えなくもないが、まずは眉唾だろう。

 ラベルを偽造しても次は栓の問題がある。打栓器があったとしても、まずは栓そのものを偽造せねばならないので難しい。

 それだけの手間をかけ衣替えさせた安酒を少々高く売ったところで儲けは知れている。ただし物価人件費の安い国から高い国へ大量に密輸するならば話は違ってくる。

 やはり問題は飲み慣れている味かどうかを判断出来るかどうかであり、その為には元の味が判らないほどのややこしい割り方をして飲んでいては劣化していたり偽物であったりした場合に判別し得ない。常に同じ飲み方を続けることが違和感を嗅ぎ取る布石となる。気に入った飲み方を固定すれば、やがて銘柄の違いも顕著に判るようになる。そしてその頃には色々と取り返しがつかなくなっている。


無理 05/03/24

 酒とは無理をして飲むものではない。

 が、酔うにつれて「無理の上限が段々高くなってゆく」ところに問題がある。その上限には決して到達できないように高くなってゆく階段は、判断力が低下している割に絶妙の距離感を保ちつつ「もう少しいける」を際限なく繰り返してゆき、突然力尽きる。やがて目覚めての感想は「自分の適量がよく判った」ではなくて「結構飲んだ」である。

 また酔いとは精神力が多大なる影響を及ぼすもので、「まだまだ」と信じている間は酔っていないように見えるが、「酔った」と自覚した瞬間急速に判断力や身体能力が低下する。精神力が肉体の状態に影響されることは確かだが、今この場で酔ってはならない、酔うわけがないと自己暗示を繰り返すことでいつもより多く飲むことができる。

 無理とは「これ以上飲んだら吐く」「これ以上飲んだら歩けない」「これ以上飲んだら寝る」ではなくて、「眠いし立てないし吐きそうだけど、このボトルは開けてしまおう」という状態を指す。これ以上は無理であると冷静な判断が下せればよいのだが、酔っている間は冷静な判断力が消失しているから「もう少し飲める」「まだいける」「あとちょっと入る」と無理の上限が引き上げられてゆくのである。

 そしてそのような無理を重ねればお酒が強い体質に改善されてゆく。すると自然に無理の上限が底上げされるのであって、「俺はこんなに沢山飲めたっけ」と嬉しくなり、嬉しくなると冷静さが消失し、やがて腰を抜かして宿酔を迎える。

 宿酔に包まれるとさすがに反省する。「眠る直前に水分補給するのを忘れていた」と響く頭で考えるのだが、「飲みすぎてしまった」と考えないあたりが前向きな性格であることを示している。「酒なんて見るのも嫌だ」とは叫ばずに黙って迎酒をして宿酔を追放するのが王者たる風格であり、ここには積極的な性格が認められるのである。




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