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著作権
問題
仮免許
問う
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宝籤
宝籤確率
危険
分別回収


「くだらない疑問に答えてくれるかい?」

「くだらない回答でよいならば」

著作権 03/07/02

 さて。著作権について疑問がひとつある。

 実はひとつだけではないが、それらは詳しく調べれば氷解するであろう疑問と、現行の法律に対しての疑義であって、そういうものとはまったく別の、例によって下らない疑問だ。

 「九官鳥に何か歌わせる。著作権はどうなるのか」

 どうなるのだろう。テープレコーダーなりに録音して自分で楽しむ分には全く問題がないので、九官鳥に覚え込ませて飼主として一人楽しむだけならば同じく問題はあるまい。しかしその九官鳥を見世物として、見物料を徴収すれば、そして歌わせた曲の著作権が切れておらず権利保持者が厳しく管理しているならば、ここに摩擦が発生する恐れがある。不特定多数への再配布に相当するかもしれない。見物料を徴収しなくとも家の外に鳥籠を出しておくだけで問題になる恐れもある。

 見物料を徴収したり、何らかの取材に対して謝礼・報酬を受け取ってしまうとこれは現行の法の枠内でも侵害が認められるかもしれない。基本的に営利目的で楽曲を利用する際は著作権者の許諾が必要なのであって、九官鳥に何かを歌わせた結果収入があれば、その収入は本来著作権を保持している人に入るべき収入なのであって、幾割かでも支払わねばならない可能性がある。著作権法第三十八条に該当するケースであろう。営利目的であれば問題にもなりやすいのだが、営利目的ではない場合は殊更ややこしくなりそうだ。

 この九官鳥あたりに関してはまだ正式には整備されていないので今のところ特に揉事はないようだが、いずれ必ず「九官鳥と著作権」「鸚鵡と著作権」が話題になる筈だ。少し前北京であった「九官鳥の名誉毀損裁判」では少し問題点が違って、それでもあの場合は確か「九官鳥の発する声は人間の言語ではなくいわば鳥語なので云々」これが日本に於いてそのまま流用されるか別の解釈になるかはわからないが、「九官鳥著作権問題」として引き合いに出されることだろう。

 インターネット上で小説でも映画でも台詞をそのまま書けば侵害にあたるし、翻訳ものであれば翻訳著作権を侵害することになる。粗筋を書けば翻案権の侵害に相当するし、事実上インターネットではファンや紹介者としての活動は不可能なのだが、数あるサイトで様々な情報が氾濫しているのは殆どが無知故か余りにも堂々と著作もろもろ権を侵害しているからであり、それがいろいろ問題となるのは歴とした証拠としてこの電脳空間に存在するからである。街中でギターを弾いて著作権を堂々と侵しておひねりを貰っても通常余程の人気がない限り放置される。証拠を挙げることが難しいからだ。営利目的ではないと言い張っておひねりを叩き返しても不特定多数への再配布。

 実のところ以前、日本経済新聞の引用・転載についての仕組みが変わった時のことをこのメールマガジンで書こうとしたのだが、「引用転載については許可をとるべし」とあり、その一文を引用しようと考えたら、「この規則は本日から適応するけん覚悟よろしく」とあったので断念した。勿論メールで許可を申請して許諾されると引用可能になるのだが、「[『引用について』の一文を引用するため]に許可を申請する」のが面倒だったのだ。報道記事などは公共の性格を有する以上権利を管理するのはおかしい気もするが、日本経済新聞の考え方は記事である以上著作物であるとする。この記事についてメモしてあるのだが、それを見ながら書こうとするとどうしても要約という名の翻案になってしまうので、詳しく知りたい方は2002/7/18付の日本経済新聞を参照してほしい。日本経済新聞は情報新聞としての性格が強いので、数ある新聞の中でも特に著作権に敏感なことは理解できるが、ここまで厳しくしなければならないというのも悲しい話だ。


問題 03/10/19

 問題です。

 手前が貴方に言う。
「とても簡単に儲かる方法教えます」

 貴方は考える。
(そんな方法などある筈がない。もしあるならば人に教えたりせずに自分だけが知ったままひたすら設けに走る筈だ)

 手前は更に続ける。
「一万円コース、五千円コース、千円コースがあります。知りたいですか?」

 貴方は更に考える。
(怪しい)

 手前は呟く。
「別にいいですよ。知りたくないなら。凄く簡単な方法ですけどあまり教えたくないし」

 貴方は迷う。
(一万円は論外だが千円くらいならば、このネタ屋のことだ、何か面白い話が聞けるかもしれない)

 貴方は言う。
「かなり怪しいけど千円コース」

 手前は言う。
「前金で」

 貴方は警戒しつつ、爆笑しそうな手前の顔を、(妙な自信がありやがる)と考えて言う。
「絶対儲かる方法?絶対?絶対?」

 手前は表情を押し殺し黙って頷く。

 貴方は千円を手前に払う。

 貴方は言う。
「払った。教えろ」

 手前は言う。
「俺と同じ事したらええねん」

 さて、問題です。これは果たして罪になるのでしょうか。

 「詐欺である」としかるべき筋に駆け込むと、手前は有罪になるでしょうか。

 それとも?手前が弁解したら?

 「簡単に儲かる方法を教えた。千円はその情報の対価である。実際に貴方は手前が簡単に儲かるところを目の当たりにした。貴方は簡単に儲かる方法を知った。簡単に儲かる方法を千円払って知った。情報に対価を払ったのだ。詐欺?貴方は儲かる方法を知った。貴方は被害者?貴方は儲かる方法を知った。騙された?貴方は儲かる方法を知った。ネズミ講?貴方は簡単に儲かる方法を知った。え?一万円コース?その場合は一万円儲かる方法やったいうことやね」

 さて問題です。これは、現行の日本の法律では、無罪でしょうか。有罪でしょうか。そもそも被害者は存在するのでしょうか。


仮免許 03/11/15

 ごく素朴な疑問として、仮免許で教習中に事故を起こした場合、何がどうなるのか。

 まず事故は「物損事故」と「人身事故」に分けられるが、教習に際して支払う料金には損害保険加入が義務の筈だから、まず物損事故ならば金銭的な問題は発生しないと考えられる。そもそも教習所内の事故ならば大怪我でもしない限り警察は呼ばないだろうし、教官の指導力及び教習者の技術力の見極めが出来ていないことを公にはしたくないだろうからだ。もし路上教習中に物損事故があっても保険が利くとして、問題は人身事故の場合だ。対人無制限の保険ならばこれも金銭的な問題は回避出来るだろう。しかし相手に重い障害が残ったり死亡させてしまったりすると、もう銭の問題ではなく、根本的に加害者としての責任に行き着く。

 つまり、正式に免許を取得した者が事故を起こした場合、点数が引かれたりするわけだが、仮免許ではどうなるのか。大きな事故や人を轢いた場合、仮免許が取り消されることは容易に想像出来るわけだが、では、それは如何なる処分に該当するのか。例えば免許停止・免許取消には次の五種類の処分がある。

○免許取り消し : 免許の効力を失わせること。 ○免許停止 : 免許の効力を一定期間停止すること。 ○免許拒否処分 : 免許試験に合格しても免許を与えない処分。 ○免許保留 : 免許試験に合格しても一定期間免許を与えることを保留する処分。 ○運転禁止処分 : 国際免許証等を所持する者に、一定期間自動車の運転を禁止する処分。

 仮免許で運転中に事故を起こすことが稀な事態であることは承知しているが、仮免許で事故を起こした場合の始末について、体系的な説明がないものか。色々探してみたところ、仮免許の取消や、資格を取っても免許の交付が保留される場合のあることは判ったが、ほかに刑事罰はどうなるのか。

 こういうものも見つけた。「仮免許運転違反 点数  ○一般 12   ○酒気帯び加重 0.15以上0.25未満 13  ○ 0.25以上  19」

 つまり仮免許でも点数は引かれる。酒気帯びは問題外だが、単独運転をしたり、人身事故を起こしたりするとあっさり仮免許は取り消しとなる。それは判る。それは判るのだ。納得出来る。知りたいのは、仮免許で、大きな事故で、収監された事例などがあるかどうか、その可能性があるかどうかだ。

 仮免許で教習中に人を轢いたとしよう。仮免許の取り消しは当然だ。しばらくは免許が交付されないことも理解出来る。金銭的には保険が適用される。その先だ。事故の第一当事者である仮免許運転者の刑事罰、そして同乗教官の責任範囲、同乗教官の指導資格の変化ありやなきや。

 手前は合宿教習で、殆ど信号のない田舎で免許を取ったから事故とは無縁であったが、あまり練習にはならなかったわけだが、つい先日へろへろ進む教習車を見て、「これに轢かれて死んだらさぞかし無念であろう」「教官の出処進退はどうなるのか」「そもそも仮免許で事故を起こした場合の処分は」と毎度毎度の重箱二段目隅を穿り返してみたくなっただけ。


問う 04/01/29

 回転寿司、回転していますね。それが例え一周炬燵程度の短さの川でも回転しているならば回転寿司と名乗ることを許可します。ところで回転焼あなた回転していますか?

 例えば水洗いOKの電動髭剃があったとしますね。よくありますけどね。あれはつまり水に浸けても感電しないまま動くわけですね。それならば水中で剃ることが出来ますか?

 電話帳には電話が故障したら113番に掛けろとあって、「電話が壊れたから修理に来てほしい」と壊れた電話で掛けようとしたことがありますか?

 国道一号線沿いのとある温泉は平屋でしかし天井が呆れる程に高くて、その天井に付いている電灯の交換方法がいくら考えても判りませんでした。今更ながら聞いておけば良かったと後悔しているわけですが、その温泉の名前も場所もとうの昔にさっぱり忘れております。何県かさえ覚えていない始末で、激しく悔やまれます。もう一度辿り着くことは経験上不可能であることが多いです。一体に高すぎる天井の電灯は如何にして交換されるのでしょうか。その営業時間が限られているならば閉めている間に櫓でも組むことが可能かもしれませんが、低いロッカーやら椅子やらが小刻みに配置されておりしかも終日営業の温泉であるからして、あの電灯は如何なる術をして交換するのですか?

 「名物に美味いものなし」よく言いますね。幾ら大量生産されていても幾らMADE IN SOMEWHEREであろうとそれが正当に調理為されているならば百歩譲って名物と名乗ることを許可します。しかしただ一品だけ許可致しかねます。「甲子園名物かちわり」単なる氷と水で何が名物ですか。飲料水の対価として金員授受の発生するところに問題はありません。もしその水が、六甲のゴルフ場にぶん撒かれた農薬が地下に浸み出して酷く汚染されているおいしい水であるならば、もしその氷が同上を凍らせたものであるならば、名物の肩書を許可します。ところであのかちわりを入れているビニール袋が夜店の金魚を入れる袋と同じであることにまだ気付きませんか?


月面 04/02/23

 人類が月に行ったの行ってないのという話は正直なところ余り興味がないのであって、はっきり言えばどうでもよいわけだが、ひとつ思ったことがあるのでここに残しておく。

 月面で撮影したとされる映像が捏造かどうかを検証するのも結構だが、それほど面倒なことをしなくても、世界各地に宇宙の果てまで見えるらしい巨大な望遠鏡があるのだから、それを使って月を接写すればよいではないか。乗り捨てられた筈の月面車やお子様ランチの如き旗、そして足跡などがはっきり見える筈と思わないか。

 見えたら月を歩いたことの証明になる。見えなければどうなるか。「常に地球のどこからも必ず見えない場所に着陸した」ならば、月面の詳細な写真のどこにも足跡ひとつ残っていないことなるわけだが、その場合果たして通信が可能であったかどうかが問題となってくるわけだ。それも含めた放射線帯なり温度差なり不審死なりなどの付随する諸々の疑問などにも興味はない。ただ一点、今の技術力で月面にある証拠の写真を撮って、それを見せて欲しいだけだ。

 ねえ望遠鏡と共にある人よ。その望遠鏡を使って銀河を観察したり新星を探したり彗星を追いかけたりする合間に少しだけ、ちらとでよいから月を見てくれませんか。足跡があるならそれを見つけてくれませんか。あれほど大騒ぎしながら着陸して、重力を計測しながら着陸してまた離陸したならその場所の詳細な記録は残っているだろうからある範囲まで特定可能でしょう。足跡やタイヤ跡などの、「今の技術力で地球上から撮影した月面の写真」があればすべて片はつくのさ。風が吹かないと噂の月面の足跡のくっきりしたところを一丁頼むよ。

 え。何。月面の足跡を撮影できる精度の望遠鏡はない?まさか。となれば不思議な話さ。「たかだか望遠鏡で月面の拡大写真を撮影する技術さえまだない」のに、それより数十年昔に人類は遥々月まで飛んで行ったらしいぜ。

※タイトルを「月」から「月面」に変更しました。ついに気付かず被ってしまった。ついでに関連でハッブルとか。


解けない 04/04/03

 二人の女が言う。「私達の夫であり、母の夫であり、私達の父である人がいます」

 これには随分苦しんだ。何度読んでも意味が不明なのだ。文章の構造はともかく、「内容に一切の矛盾がない」とある以上、何らかの解答があり、それは万人の納得ゆくものであり、そして謎々ともなっているわけだ。

 まず、登場人物が何人いるのか。二人の女。私達の夫。母の夫。私達の父。しかし「であり、であり、である」と連結されているのであれば、「夫=夫=父」となるのではないか。ところでこの夫だか父だかは一人か?二人か?このなかに出てくる男の数が解答に直接関わっていることは朧気ながら見当が付く。しかしここは攻めるに難い。

 元々は英語の謎々であったらしいが、英語なら単数複数の区別がついている筈だからもう少し解き易いのかもしれない。複数形が曖昧で前後の文脈から判断せねばならない日本語では難易度が高くなっているようだ。

 仮定法でゆこう。まず、一家族の事と考えてみるとどうなるか。女が姉妹で母がいて父が、「私達の夫であり」これは違うようだ。家族ではないのか。

 「私達の夫」これが単数なのか複数なのか。重婚なのか。単数なら一方と離婚してもう一方と再婚した可能性はどうだ。「私達の父」違うらしい。

 そもそも「私達の夫であり、・・・、私達の父である・・・」ここが完全に矛盾しているとしか思えない。それでも論理的に可能な状況であるそうだから、何か筋の通った解答があるのだろう。

 手前は残念ながら半日考えて白旗を掲げた。皆様は解けますか?

答えは次の米印にツールチップ


宝籤 04/04/21

 有り得ない事だが気になると眠れなくなる話をしようか。

 この現象が起こればそれだけでニュースとなるであろう天文学的な確率を積み重ねた上で発生する事態だ。

 ごく単純に述べると、「拾った宝籤が大当たりしていた」という事例だ。まず宝籤が当たる為に突破しなければならない確率が極めて低い。その上で当り籤を買った者が遺失する確率、そしてそれを拾う確率を掛けねばならない。この場合、自分で拾う可能性は限りなく低いが、どこかで誰かが拾う可能性ならば確率は少しだけ上がる。

 当り籤を拾った者がいると仮定する。売り場で換金可能な額であればそのまま「ちょっとよいことがあった」で済む話だが、もしこの当選金が、身元を改められどこで買ったかを確認されるほどの、つまり何千万何億の当選金であったとしよう。またこれを拾った者が当選しているかどうかを調べる確率と、当選金の引き換え期間がまだ過ぎていない確率も絡んでくる。その上で、落とし主が買った宝籤の番号を控えていない確率も必要だ。

 では、誰がか宝籤を買い、それが一等級に大当り、しかしそれを落とす、番号は控えていない、実は落とし主は当たりを知っているかどうか不明、その上で拾った、番号を調べてみた、当たっていた、まだ換金期間内、そういう状況だ。

 拾得物は遺失物法で規定されているのだが、未だに片仮名の法律なのであって取っ付き難い。従ってここでは単純に財布ごと拾ったことにする。またその財布には身元の特定に繋がるものは一切入っておらず、落とし主は落としたことに気付いていないか、気付いていても届出を出すほどのものでもないと判断する確率が必要になるが、それらも突破した上で、「拾った財布に大当たり籤が入っていた」としよう。現金も数百円程度入っていたことにし、これを拾得物として警察に届けると半年後に財布ごと拾得者の物となる筈だ。

 拾った宝籤が大当たりで、しかしこれを「自分で買いました」と主張しとても何処で買ったかを言えないことから、素直に「拾いました」と届けたほうがよいのではないかと考えたとしよう。ところが当選しているかどうかが確認出来ることからも、発売期間はとうに終了して既に換金期間に突入している。ただし当選金の引き換え期間は残り三ヶ月と仮定して、三ヶ月後に当選は時効となってしまう場合だ。

 さて、警察に届けて落とし主が現れなかった場合、半年後手にするのは、換金期間を終えて紙屑となってしまった籤なのか、宝籤の胴元は特例として支払いを認めるのか、あるいは「拾ったのはただの紙切れであり、それによって齎される当選金まで拾ったと解釈するのは間違っている。だいいち拾っただけの奴に誰が一等などやるものか。馬鹿正直に届け出て御苦労なことだが君が半年後手にするのはただの紙切れなのさ」であるか。「当たり籤を拾った」というのは、つまり紙切れを拾ったのか、有価証券なのだから当選金を手にする権利も拾ったのか、期限付きならばその期限が保管中に切れても「残念だったね」で終わってしまうのか。

 ま、拾ったのが仮に手前ならば、届けはせずに、引き換え期間ぎりぎりに発表される「どこそこの売り場で買われた何番の当たりがまだ換金されていない」という情報を元にその売り場周辺をうろついて地理を叩き込み、発売時期の周辺地理情報まで念の為調べ上げてどの角度から何を聞かれても切り抜けられるよう万端の準備を整えてから換金期間直前に駆け込むでしょうな。ついで「みずほに全額預金します」と言えば神様扱いされるでしょう。あとは当たり籤を拾うだけです。

 じゃなくて、当たり籤を届け出て、保管期間内に引き換え期間が終了してしまった場合、どうなるのでしょうか。これが気になると眠れなくなるのだ。


宝籤確率 04/07/10

 宝籤のこと。

 紙幣の如き体裁で、打たれている番号が当選数字と合致するかどうかに願いを託す形式の夏や年末毎に話題となる、いわゆる宝籤の場合、購入した宝籤の番号は偶然に左右される。更に当選番号の決定方法は回転円盤に矢を飛ばすという、作為が介在しないと見える形で行われているが、この決定数字もまた偶然の結果だ。

 ここに自らの意思で数字を決定出来るナンバーズが登場した。これは出目の傾向を読もうとする人や縁起のよい数字を選ぶ人、誕生日を延々買い続ける人など、新たな楽しみ方を生み出したことは特記に値する。

 不況になると宝籤が流行るわけだが、ナンバーズ、ロト、トト、多彩な形式の籤が揃い、そして疑問が生まれる。

 トトはサッカーの勝敗を勝ち負け引き分けを選択して予測し、正解すれば当選金が配当される。この場合、サッカーの勝ち負けは考え方により偶然とも受け取れるが、戦力差やチーム状態の差、本拠地か否かの差が試合の結果に微妙な影響を及ぼしていることは否定出来まい。だから圧倒的に強いチームと青息吐息のチームが対戦する場合、強いチームが勝つと予測する者が多くなり、そして強いチームがそのとおり勝ったとしても、他の予測が正解していて当選金が貰える立場になったとしても、配当は低い。弱いチームが勝つと予測して何故か勝ち、配当金を貰う場合、そこに賭けた者が少ないから、配当は高い。当然の話だ。

 当選を目指すか、一発大きな配当を目指すかで賭け先が変わる。強いチームと弱いチームが対戦する場合は大体強いチームが勝つと皆が予想し、結果大抵その通りになり、予想が集中したからこそ、配当が低くなる。配当が低くなるのは偶然ではなくて、「そのチームが今まで強かった。次も勝つに違いない」とする賭博行動の結果であり、その行動を導いたのは「強いチームである」という偶然とは関係のない事実だ。だから折々の配当金に差があっても文句は出ない。ただし持ち越しの配当金に上限を設定していることは一揆を誘発しても不思議ではないと思われる。ちなみに一揆とは「デモ」を漢字にしただけなので騒擾教唆には相当しないことを申し伝えておく。

 ここからが本題だ。ナンバーズでもロトでもよい。自ら数字を選ぶ籤の当選番号が選ばれる結果は、当然番号を操る機械に意図的な仕掛けでも施していない限り、完全に偶然の産物の筈だ。なのに何故配当金に差が出るか。ナンバーズ4で考えてみれば、幸福の験を担いで選んだ「7777」の配当金は低く、適当に例えば手前のようにQPで選んだ意味のない並び「6387」の配当金は前者のそれより高い。これは買い手が集中するかどうかでオッズが変わることが理由であり、そのことに問題はない。

 疑問なのは、わざわざ配当金の低かろう数字を選ぶ人の心理だ。だってどんな数字が出るか誰にも判らりゃしないんだぜ。配当が安いのは人気が集中しただけの話で当選確率が他より高いわけじゃないのにさ。出目なんてまさに偶然で、「7777」「1234」「2951」「4649」「0157」どれも当選する確率は同じなんだぜ。だから「宝籤が当たる事はない」という事実を無視して買い続ける人へ、当たる確率が同じならば当選金のより高い方を選んだ方が賢明でしょうに何故わざわざ配当の低い数字を選ぶのですか。どうせ当たるならば配当金の高い方が幸せでしょうに。


危険 04/11/25

 自動車の運転において携帯電話を使用した場合、注意力が著しく低下するとして規制された。

 それで事故で命を落とした遺族の側からすれば、危険であることを考慮しない現状に対する怒りは理解出来る。

 ハンズフリーであっても手に持つの同様注意力が散漫になるとする実験結果が報告されているが、これは説得力に欠ける。携帯電話を手に持ってメール送受信操作の際に眼が電話に取られる一瞬が最も危険であることは容易に想像出来るが、イヤホンマイクでの会話中に注意力が危険なほど低下することが証明されたならば、メール操作でなく会話そのものが集中力を乱すと考えられる。

 従って助手席の同乗者との会話では如何ほど注意力が低下するのかという実験結果をも報告するのが筋というものだ。またラジオや好きな曲を聞いている場合の注意力の低下度合も同様に実験するべきである。

 仮に同乗者との会話で注意力がイヤホンマイクと同程度まで低下するならば、イヤホンマイクの規制には大義がない。この先ハンズフリーを規制する場合、通常の会話で低下する集中力について一切触れないならば、携帯電話を規制したいだけを目的の工作であることを白状している。

 違反車を追跡するパトカーや白バイの通信もまた会話であるから同様に危険である可能性については触れられる筈もないわけだが、「運転中は同乗者との会話を一切禁止する。喋りながら運転したら交通違反」そんな馬鹿げた話が成立しては八方全て困るだろう。

 電話に出る瞬間や切る瞬間も危険であるからイヤホンマイクを奨励するわけではないが、イヤホンマイクは危険であるとの理由に怪しさを感じるのだ。「操作の瞬間に視線が逸れるから一切禁止」と言えばよいではないか。


分別回収 05/01/22

 環境意識が高まるのはよいことだ。

 分別回収再利用推進もおおいに推奨されるべきだ。しかし分別回収が行過ぎると往々にして困る。例えば瓶のラベルは剥がせとなれば手間だと感じながらも剥がしたラベルは燃えるごみとして出すわけだから筋が通っている。その他大きな物体はそれぞれに基準がきめられていると迷うことはない。

 しかし問題は微小なところに発生する。使い捨てライターは金属部分もあるしプラ部分もあるわけだがどうすればよいか。「ホチキスの針は外してください」その外した針の身分は金属類なのか燃えるごみなのか。乾燥剤の「食べられません」は燃やしてよいのか。軟膏や絵の具などが入っている鉛のような金属質のチューブは金属類でよいのか。「金属類は汚れを洗い落として云々」困難極まると思うがどうか。切れたり千切れたりした服のタグ、材質は何か。燃やしてはならない手触りに思えるが可燃ごみにこっそり分類してよいか。護謨で覆われていながら芯が金属のコードは分別不可能に思えるがどうか。全然関係ない電化製品にさりげなく寄り添わせておけばそれでよいのか。

 基本的な考え方として「再利用出来るか出来ないか」を見極めれば問題ない。分別の指示もそれに沿っている。だから再利用には難のあるホチキスの針など分別しても困るだけである。雑紙類の中にホチキスの針があってはならないことは理解出来るが、針を外せと指示する以上は針の処遇も指示するのが望ましい。

 ある程度の分別方法を指示してあっても日々の生活で出るのは細かいごみばかりだ。細かいからこそごみなのだが、その細かいごみについて一切触れないあたりは「分別出来るか出来ないか」よりも「金になるかならないか」が本音ではないかと思えてしまう。


灰 05/01/25

 仏壇と縁はないが気になることはある。

 線香を差し立てておく香炉のことだが仏壇一式を買ったと仮定して、香炉が空であったら最初の線香はどうやって立てるのか。

 あれは積もり溜まった灰に差すから立つのであって、灰がなければどうする?一式には灰も付属しているのか、それとも灰が溜まるまでの間だけ使う線香立てのようなものがあるのか、それとも香炉の底に線香を立てておく仕掛けがあるのか。

 仏壇は都会よりも田舎に多く、田舎であれば灰など幾らでも調達出来るだろうが都会で灰を探すには園芸店にでも行くしかなさそうだ。「当初は蚊取り線香の灰もしくは煙草の灰で代用すべし」などと言われたら弔いの気分も削がれよう。それとも最初に線香を束で燃やして強引に灰を生成するのだろうか。

 ところで煙草を消すべく捻り押し潰しても、ふと見ると薄く立上る煙に苛立って「燃えてるのは君か。それとも君か。それとも熱っ」などという事態を避ける為には、底の深い灰皿を用意し煙草を差しておくだけで自然に消えるような量の灰を生成しなければならない。如何程の煙を漂わせる必要があるのだろう。しかしその灰皿が完成したならば、消えた煙草だけを引き抜き濡らして捨てるだけでよく、灰の処理はしなくて済むから効率を追及する人間と物臭な人間には向いていると思う。

※その後「香炉の灰は最初に付属している」との情報を頂きました。05/02/03




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