このサイトはスタイルシート対応サイトです
閑雲野鶴 案内板 更新情報 メルマガ 雲と連絡 鶴の骨格 鶴の足跡 資料室 亡国遊戯 がらくた リンク集
近道:検索 地図 メルマガ最新 読書録 掲示版 Google
現在地〓 閑雲野鶴メルマガバックナンバ保管庫 >作法

見本
メルマガ最新
バックナンバ
報告集
発行履歴
登録・解除

保管庫
題名索引
2003
2004
2005

マーライオン作法
銭湯作法
間男作法
箸遣い作法
背広作法
劇場作法
受け皿


「作法なんて気にしないね」

「貴様は人の迷惑も気にしない奴だな」

マーライオン作法 03/03/16

 マーライオンとは。

 元々はシンガポールの口から水を吐くあれだ。

 さて、この直立不動で水をだばだは吐いている高貴な姿が、日本の酔っ払いの伝統である「立ちゲロ」と非常に似ている為、いつしか、立ちゲロのことをマーライオンと呼ぶようになってしまった。シンガポールとそれに関わる皆様には申し訳なく、気を害されるだろうが、言わずにいられない。

 酔っ払いの立ちゲロとは厳密に分けると二種類ある。制御出来る立ちゲロと出来ない立ちゲロだ。出来ない立ちゲロの場合は、最早酔いが完全にまわって無意識のうちに込み上げてくるもんじゃ焼きを何も出来ないまま、ただ放出するだけである。時場所状況など関係ない。これを仮に無意識マーライオンとしておく。

 では意識マーライオンとはどんなものか。自らコントロールすることの出来るマーライオンのことである。酔いはある程度まわっているが、普通に会話が出来、まっすぐ歩けるものの、ただ気分が悪くて吐きそうなとき、「いっとけー」という内なる声に押されて喉の奥を不自然に締め付けるとマーライオン。

 この意識マーライオンには作法がある。まず、歩きながらしてはいけない。歩きながらすると出した足の膝脛靴にべったり付いた上に自らのゲロの中に足を踏み入れて滑って転ぶ。必ず立ち止まって行うことが肝要である。次に放出する場所の選定だ。人に向かっては失礼極まりないし何らかの迷惑を及ぼす所にしてはならない。植え込みや川がいい。植え込みなら肥料となるであろうし、川なら撒き餌となる。便所や洗面所では、マーライオンすると跳ね返りが服に付着するので避けるべきである。

 意識があり、会話が出来、歩ける状態だから「吐きそう」と感じて、「吐こう」と決断して、吐く場所を見つけたら次は姿勢だ。本家シンガポールのように直立不動で吐いた場合、最後の勢いがなくなってきたあたりで下に垂れて服が汚れる。従って始めはやや前屈みの顔は正面をひたと見据えた形すなわち人を小馬鹿にするような御辞儀の形だ。この形で吐き始めて少しずつ体を起こし、最後吐き終わった瞬間に直立不動になっておればよい。

 又このとき、呼吸をしてはならない。鼻でも口で呼吸しても呼吸は停止しておかねば、肺にゲロが流入して苦しむことになる。鼻の奥にゲロが流入した場合、数時間はゲロの臭いが続く地獄というわけだ。

 肺にも鼻にもゲロが流入せず、服も靴も汚さず、迷惑をかけない場所でマーライオンしてそのまますたすたと立ち去る姿は神々しいとさえ言える。


銭湯作法 03/05/11

 銭湯や温泉等の大浴場に於いては、作法というものがある。

 値段は銭湯であれば大抵三百円から四百円の間、温泉ならば文字通りピンからキリまで。先払いで払ってから脱衣所にて全て脱ぐ。くれぐれも靴下だけ脱ぎ忘れる醜態を晒さないように。さて、ここで温泉によっては体を洗うスペースがないこともある。従って銭湯に絞って話を進める。大体修学旅行で「大浴場の入り方」を習っている筈だから今更作法でもないが、たまに心得ていない者がいるので記しておく。

 湯殿にバスタオルを持ち込む奴は流石にいないだろう。当然洗濯なども厳禁である。通常「刺青はお断りします」とあるが、悪さをしなければ何も言われない。刺青などの本人特定が簡単な目印を背負っている人は、本人特定が簡単であるが故に想像以上に品行方正である。泥酔者がお断りなのは単純に暴れるのも困るが、それより倒れたりしたら困るからである。

 銭湯の湯殿に持ち込むものとしてまずタオル。石鹸。これが必要最小限だ。シャンプー・リンスまでも許そう。洗顔フォーム、歯ブラシ、髭剃りは湯殿に持ち込むべきではなく、脱衣所の洗面台にて用いるものである。持ち込むのは日常的に銭湯慣れしていないか、数日風呂に入っていないかのどちらかであろう。常連と思しき落ち着きのある人は自分用洗面器を持ち込んでいることがある。あれは潔癖症から持ち込んでいるのではない。潔癖症なら椅子には座っていられないし、何より共同湯船には浸かれない。では何故洗面器を持ち込むのか。あれは石鹸やシャンプーなどを手に持っていくのが面倒なので、籠として洗面器を利用しているのである。

 まず湯殿に入って扉を静かに閉める。くれぐれも静かに閉める。ここでかかり湯をしてまず湯船に浸かる人がいるのだが、間違っている。共同風呂であるから例えかかり湯をしてもいきなり湯船に浸かるのは常識がないと非難されて当然である。言訳を聞こう。「かかり湯でまず一応洗い流す。暫く浸かると洗った時に汚れが落ちやすい」自分の家でやれ不埒者。自分の家でも一人一回湯を張り直す奴だけいきなり浸かってもよい。銭湯・温泉は汚れを落す為の湯ではない。温まる為の湯なのだ。だからまず洗え。わかったか片山。

 洗い場には椅子と洗面器があるはずだ。なければ隅に積んであるはずだ。まずは座る前に温度を確認する。熱くしてある悪戯は最近流行っていないが、冷たすぎる事はよくある。下の蛇口から直接床のタイルに当たって隣に跳ねないよう洗面器を設置しておく。下の蛇口から出してみて程よい温度にする。洗面器に溜まった程よい温度の湯を椅子に掛ける。一応流すことと椅子を温める為である。座れば目の前に鏡がある筈だ。そして鏡は曇っている筈だ。鏡の曇りを取るべくシャンプーをなすりつけよう。なすりつけたあと、シャワーなどで流してはいけない。流すとまた曇る。暫く放っておくと泡が垂れ落ちて膜が張り鏡は本来の働きをするようになる。ここで体を洗う。

 洗い方はひとそれぞれ身についたやり方があるだろう。しかし最も合理的な方法を述べておく。

 「上から順番に」

 まず顔を洗う人がいる。その後で頭を洗えばシャンプーが顔に垂れてくる。もう一度顔を洗う事になる。非合理的である。まず髪だ。髪を洗ってシャンプーを流さず、リンスを使う人はリンスまでしてリンスを流さず、顔を洗う。そのまま首筋顎襟足まで洗っておく。そして流す。後は体を洗って流せばよい。貴方が例えば銅像を洗えと命ぜられたとしようか。足から洗い始めるか?頭の天辺から洗い下ろすだろう。最後が足の先の筈だ。なのに何故自分の体を中途半端な所から洗い始めるのだね。

 一通り洗って体を流し、鏡の膜もじわじわ縮んできた頃、洗面器にてタオルをしっかり洗う。シャンプーや石鹸を置いていたところは手のひらでざっと拭う。タオルを肩にかけ、洗面器を洗ってから腰を上げ、蛇口の下の洗面器に最後の湯を出す。溜まった洗面器の湯を椅子に掛けて流す。洗面器は椅子に裏返して置くのが正しいが、混んでいるなら蛇口の下に置いてよい。

 湯船に浸かる時、シャンプーや石鹸などを洗い場に放置しておくのは厳禁である。公衆浴場での席取りは迷惑であるし、使いそうになるし、邪魔だし、突然手が伸びて持ってゆかれるのは驚く上に気が悪いし、いいことは一つもない。湯船のすぐ外に置いておこう。いろいろな湯船があるから全部入ろうという貧乏根性は捨てた方がよい。銭湯は嬉しそうに入るものではない。遠慮と遠慮と遠慮の世界なのだ。

 尚付け加えておくと、色のついた薬草風呂は小便率が高い。


間男作法 03/05/22

 間男には作法というものがある。

 例えば暇潰しにセールスマンに化け、相手の家にて事に及ぶ場合、当然のようにナンバープレートが目立つような場所に駐車などしてはいけない。駐車違反でレッカー移動されるのも後で証拠となりうる。必ずや数区画離れた場所に停めるべきだ。

 また、何かの修理人であるなどの、近所の人に対する言訳を用意しておかねばならない。間男として言訳するのではなく、相手が言訳するためだ。特別話題になるようなものではなく、「ふーん」で終わる身分を用意しよう。

 取り合えずはさりげなく家を見て回る振りをして脱出口を確認しておく。温泉旅館で探検しながら非常口を確認するのと気分は同じだが、こちらの場合はかなり真剣である。

 そして不用意に煙草を喫う事も避けたほうがよい。どうしても喫いたいならば相手の煙草を貰うか、馴染みならば予め相手と同じ銘柄を用意したほうがよい。旦那の銘柄に合わせるのも一手だ。相手も相手の旦那も煙草を喫わないならば我慢するべきである。非喫煙者は煙草の匂いに驚くほど敏感であることを知っておこう。

 便座。これを上げておくのは致命傷でもある。たとえ小用であっても便座を下ろしたまま腰掛けて済ませる癖を普段からつけておけばよい。

 靴は当然持って上がる。履脱しにくい靴を履いてゆくのは甘い。直ぐに履けて全速力手で逃げることの出来る靴で行く。

 脱いだ服は脱いだ順に重ねて置くと順番に身に付けることが出来るし、そのまま引っ掴んで隠れるなり逃げるなり出来る。

 ズボンを中ほどで折ってハンガーに吊るすのは、主婦の身に染み付いた習性であろうが、これは絶対に避け、自分で畳もう。逆さになったポケットからいろいろ落ちるのだ。財布が落ちたら気付くだろうと思うのは希望的観測であって、慌てている時は落ちたことに気付かず、踏んで転びそうになって初めて「うお落としてた」と拾い上げる事になる。踏まなければ完全に忘れているはすだ。ズボンはポケット部分を中に折り込むようにして畳む。ハンガーに吊るすならばベルトを引き締めてハンガーの肩に引っ掛ける。この場合はいざとなればハンガーごと持ってゆくわけだから全ての服をハンガーに纏めておく。

 なお、靴下を靴の中に入れると逃げようとして靴を履く時に困るので、靴下は上着のポケットなどに入れておく方がよい。

 ここまで警戒する必要があるだろうか。相手の家庭を壊す気で間男するならば何をどうしても構わないだろうが、そんなつもりが全く無いなら相手の立場を最大限考えて行動しなければならない。

 ところで何故か宅配便なり書留なり回覧版なり実家からの電話なり邪魔が入るのであって、相手の家で溺れている以上これを避ける方法はない。その度に服を掴んで逃げるか隠れるかの選択を迫られる。戻ってきた相手はその怯えた態度に思わず笑うのだが、笑い事ではないのだよ。

 不幸にして旦那が帰ってきた場合、服と靴を掴んで逃げ出すことが出来ればよいが、出口が他に無い場合、マンションの高層階である場合、一旦どこかに隠れる事になる。大抵ベランダ、押し入れもしくはクローゼット、時としてベッドの下などだ。トイレや風呂に飛び込むのは自殺行為と言える。我が家に帰るとまずトイレに行くだろう。そこでこっそり服を着ようとしている男がいたらどうするかね。「あ。トイレ借りてました」靴を持ってトイレかね。風呂は。風呂は絶対に避ける。何故ならば、どうにも脱出が出来ない時、相手が旦那を風呂に入れている隙に逃げ出すことが出来るようにするためだ。

 裸で飛び出すともうその周辺には顔が出せなくなる。安全第一、用心に越した事は無い。

 旦那と鉢合わせして言訳の出来ない場合は、取っ組み合うとまず負ける。信じられない馬鹿力に加えて武器を持つと大怪我させられる可能性もある。大体腰がへろへろ膝がかくかくの状態で立ち回りなど無理というものだ。謝り倒しても通常無理だから「男同士の話をしませんか」と二人きりに持ち込んで、女を紹介する話に持ってゆき、なんとか許して貰おう。因果を含めたホテトル嬢なら財布は痛いが心は晴天、慰謝料を考えれば安いものだ。

 なお、付け加えておくと、使用済み避妊具を包み紙ごと持ち帰るのは紳士としての当然の嗜みである。

 立場を変えて、忍び女もまた同じ行動を取ればよい。その際使用済み避妊具を包み紙ごと持ち帰るのは淑女としての当然の嗜みでもある。


箸遣い作法 03/08/07

 いい年をして箸をまともに持てないのは恥を元に割腹すべきかと思うが、実は結構多い。

 世界人口的に見れば箸を使わない者の方が多いが、日本の日本食で育ったにも関わらず箸をきちんと持てない人間に限って妙に嬉しそうに「持ち方変でしょ」と自慢するのは、さんざん言われ続けて頑なになったあまり攻撃は最大の防御であると勘違いしているだけに過ぎない。指が思うようにならない者にとって重大な侮辱であることに気付く神経さえ、ない。

 ある種の個性だとでも勘違いしているのか「こんな持ち方でも普通に食べれます」攣りそうな指使いをしておいて普通とは恐れ入る。箸の持ち方など三十分程で形にはなるのだ。ただやる気がないだけであろう。「魚の鱗を一枚だけ掴んで引っ張れ」ならばさすがに多少の修練を要するだろうが、それでも最低限見苦しくない程度に持つ訓練をしないのは、指に欠陥があるわけではなくて、お脳の一部に欠陥があるからに相違ない。

 箸の持ち方を練習させられたのは幼稚園の頃。丼を二つ用意して小豆を移す練習を、練習とは思わずある種の遊びと捉えて、一週間も経たずに使えるようになった。その経験上、箸をまともに持てない人が奇異に思えて仕方がない。丼小豆は皆やっただろ?そう聞くと

「幼稚園はずっとスプーンでした」
「でも小学生になったら」
「先割れスプーン」

 貴様は給食しか食べずに成長したのかこの糞馬鹿。家ではどうした家では。箸ですけど。いつ覚えたのか、どんな練習で。なんとなく持てるようになってましたから。それは持てるうちには入らんのだ。自己流の基本を身に付けていないやり方で確かに用は足せるだろうが、それはただの自己満足と呼ぶのだ。

 丼の練習の際に確かに何故こんなことをという疑問も確かにあったが、「載せ箸駄目」「刺し箸駄目」「迷い箸駄目」「舐り箸駄目」と何をやっても駄目であって、さきっちょで摘むことだけが唯一許されていることを知った。いつか箸のタブー大全なる文章で二十何種類ものやってはいけない○○箸一覧を見て、「もしかしてナイフフォークのほうが楽なのではないか」と思ったこともあるくらい極めれば厳しい箸使いを、ひとまずは最低限、普通に持ってくれないか。「右手で持ち上げて左手で下から持ち直して右手を返して持つ」も可能ならするべきだが、握り拳の間から箸が突き出しているのは、それは君、昔の小学生なら「ベアークロー!」と叫ぶレベルの持ち方であるよ。

 右手で箸を持つ際の説明を文章でやってみよう。

 まず右手の力を抜いて胸の前に出し、指先はすべて左に向け、手の平を手前にする。そして卵の尖った方を指先側へ包み込むように持つ、指で鳥籠を真似る形のところへ、まず箸を一本親指と人差し指の間の水掻きに、箸の頭から二割五分のあたりをつけて箸の先から四割のあたりを薬指の第一間接中指側の爪横にあて、そのまま落ちないように箸の上から三割のあたりを親指の腹側第一間接、骨の出っ張りの下で引っ掛けるように押さえる。この段階で箸が固定され、親指は真っ直ぐ伸ばされて十時の方向を向き、薬指は親指に抵抗するべく緩やかに曲がりながら七時のあたりを指し、その裏に小指がぴったり寄り添い、そして中指と人差し指は淫靡な形で途方に暮れている筈だ。そこにもう一本を挿入すればよい。もう一本の頭から四割から四割五分、位置は下の箸に合わせればよいが、その辺を親指の先爪の真裏の人差し指側と、人差し指の第一間接を曲げずに第二間接を百二十度で曲げて曲げられた人差し指の内側を沿うように人差し指三接目の下の親指側にあてがい、中指の人差し指側の爪真横で受けると、二本目は一本目と平行に固定される筈だ。そしたら後は親指薬指小指を動かさず、親指を支点にして中指で上の箸を上下させると箸の先がかちかち鳴らせる。持てるじゃないか。簡単だろ?


背広作法 03/08/13

 背広であるが、普段立っている時から釦を外しておく流儀ならば別に構わない。中途半端に釦を留めているなら聞いてくれ。

 椅子なりに腰掛ける際には釦は外すのだ。背広とは、立った時に最も映えるようデザインされているものだから、腰掛ける動作及び座って静止する状態は背広にとって不自然なのであって、それは釦を留めたまま座り、机に肘でも突くと襟に皺が寄ることでわかる。肩甲骨のすぐ上のあたりがぴんと張った背広は張った部分のすぐ上が浮いてしまい、それが襟に被さってきていて、思わず「その背広フード付いてるんか?」と問い掛けたくなるような皺が寄る。間抜けなニュースに間抜け面で間抜けな短評を述べる「何だかよく知らないけどその方面の専門家とされているらしい人」「何だかよく知らないけど名前が売れているらしい人」が、勿体つけた口調で御託を並べているその襟が、肘を突いていても突いていなくても皺が被さっているとそこにばかり目が行き、何を言っていても信用出来なくなるし、若者が身にぴったりした背広を着て皺が寄っていると、背広だけでなくて精神も余裕がないのかと思うし、何より醜い。そのくせ胸に飾りハンカチを挿していたりするものだから「つまり中身が何もないのだな」とわかる。「背広が人を着て歩いている」とはよく言われることだが、背広には選択権や拒否権を与えるべきであろう。

 釦であるが、輸入物のドラマや映画、特に法廷シーンに顕著であるから注意して見るがいい、立ち上がりながらさり気なく釦を留めているところを。座りながらさり気なく釦を外しているところを。釦を留めたまま座ると、留めてある釦と襟までの距離が短縮されて余った前身頃は膨らむように折れてこれまた醜く浮いてしまう。内ポケットに常時用があるならともかく、大変見栄えがよろしくないから、釦ぐらい面倒がらずに留め外しをしなさい。

 きちんと脱いで袢架に掛ける時は問題はない。しかし袢架のないところで背広を脱ぐ時、椅子の背に引っ掛けることも止めよう。あれは姿勢が良くて背中で襟を潰してしまわないよう椅子に凭れず背筋がしゃんと伸びている人にのみ許される特権であって、凭れる癖のある人が椅子に背広を掛けておくのはただの馬鹿である。そして馬鹿は後ろを通る人に袖口を踏まれたりする。背広を畳んで置く時、表を表にして畳むことは汚れるのですべきではない。「置く辺りが汚れていて背広が汚れる」「背広が汚れていて置く辺りが汚れる」の二通りに解釈できる理由であるが、表面的にはそれぞれが謙遜の理由を口にしつつ、実際は両方を兼ねて裏を表にして畳んで置く。そもそも背広を畳んで置くこと自体が既に間違っているから長時間そのままにしておくべきではないし、長時間放置すると襟が不思議な捩れ方をして前の折り返しが甘くなってしまう。

 そして背広下、スラックスであるが、「上着」に対して「下着」と使えないのは大変もどかしく、どうにかならないものかと常々思うが、ズボンの適切な訳語が今の所は存在しないので仕方がない、片仮名が嫌いだからと言って「ずぼん」では相当情けない。スラックスであるが、時折短すぎる人がいる。おっさん世代に多いようだが、世代が変わっても新たなるおっさん達が短いのは不思議である。採寸の際に直立して裾がだぶつかないようぴったりの長さで決めてしまうから座った時には靴下が見え、足でも組めば脛毛が「おはようございます」どうかすると足を組まなくても座っただけで脛毛がそよと揺れている人もいる。「裾がだぶついていると足が短く見えるのではないか」と考える裏には「足が短いから裾がだぶついていると思われたくない」とする恐怖がある。しかしそのような短いスラックスはそれだけで全体のバランスが崩壊していて、正面から見ているのに「斜め上から見下げているような」錯覚に襲われてしまうことを知るがいい。裾の長さは靴を脱いだ状態で、「必ず踵を踏んでしまう長さ」が理想なのであって、それは人前で靴を脱ぐ習慣のない国で生まれて発達した背広の宿命であるし、それだけ長く取るからこそ、座っても様になるし、何よりだぶついた裾は、靴を隠し、かえって足を長く見せる効果があるのだ。伊丹十三は「お洒落の要諦はズボンのシルエットにあり」と喝破したが、少しの間行き交う人々を眺めれば、やがて納得するだろう。

 それからだ、いい大人が半ズボンなんて穿くな。バミューダ?その恥ずかしい衣服は半ズボンと呼ぶのだ半ズボンと。半ズボンにサンダルぺたぺたも情けないが、半ズボンに靴下に靴とはどういう了見か。さらに半ズボンに靴下にサンダルとは君、君のような人が襟に皺を被せて脛毛を出しているに違いないね。


劇場作法 03/08/18

 劇場、映画・演劇・演芸・講演・板論その他これに類するものの観客として席に着く際また着いてからは様々に禁忌がある。

 まず開始時間に遅れることは何としてでも避けたいが、遅れてしまえば仕方がない。映画の場合は時間があるなら次の回の頭まで待つことも可能であるが、そうでない場合はただひたすらに低姿勢で静かに静かに音を立てないよう臨まねばならない。

 会場に入る扉を、育ちの悪さか躾のなさか無神経さ故かその全てを兼ね備えた者かが、手を離して力任せに閉めるものだから「ばったーん」神経が無いと書いてあっても何と読むのか知らないのだろう。劇場に限らず全て手で開けた扉は手で静かに閉めねばならぬ、これは教わるまでもない話だと思っていたら「教わっていないから知らない」教わるまでもないとはつまり自ずから身に付ける必要があって、長ずるに及んでいつのまにか身に付いていることなのだ。そうでなくとも閉める扉については中学生の段階で入試における面接練習の際に教わった筈だ。「僕は教わってません。自分の体験が常識だと思ってるんですか?」いや手前の体験が全て常識やったら社会は速やかに崩壊しとるけどね、知るべきことを知らないのは常識がないと言うね。常識にない振舞いを常識にあらずと書いて「非常識」で、この言葉には当然「常識がない」という意味があるわけだが、「非常識」という言葉は強すぎて度外れた特異な振舞いに対しては相応しいが、普段四六時中よりちまちま常識のない者は「無常識」と呼んでもいい気がする。しかし「無常識なんて言葉使う若者が増えている。なんと非常識な」とは言われたくないから、ただのカスと呼ぶ。

 さて、ジョン・カス氏は会場の空気を大幅に入れ換えて後、足音を高らかに響かせて席を探す。下駄じゃないんだから踵で床を蹴るな蹴るな蹴るな蹴るな蹴るな。踵の減り具合を心配しているのではなくて当然我々の鼓膜と精神力と集中力を心配している。出来れば靴底全て擦り切れて裸足で歩いて欲しいものだが、それだけ面の皮が厚ければ面で歩いてくれないものかね。ねえ、カス氏。日本人は奥床しいから前の方の席は軒並み空いてるよ。前の方行け前の方。駄目駄目駄目駄目日本人は奥床しくておまけに足が短いから劇場の椅子は前後に余裕など全くない造りになっとるのだよ。例え空いていても人の膝跨いで跨いで真中まで行くのはとてもとても迷惑なんだ。折角干渉されないように早目に来て真中の方に座ったのに後から来た奴に膝跨がれる気持ちなんて一生判らんのだろう君は。折角見通しの良い後ろの方に座ったのに後から来た奴にもったりもったり前を横切られる気持ちも同様知らないまま死ぬんだろう君は。

 鳴らすな携帯を。何の曲か判らんうちに止めるな携帯を。もう一度鳴らすな携帯を。釦音消して黙らせろ携帯を。落とすな携帯を。点検するな携帯を。とっと仕舞え携帯を。お前はもう持つな携帯を。ついでにやな、音消す振りしてのメールチェックはバレとるぞ。

 喋るな。役者の名前判らんなら後から調べろ。後で色々話すのが映画の楽しみやねんから。あれはダニー・デヴィードやからもう黙れ。笑うタイミング判らんなら無理すんな。途中でトイレ行くな。もう帰ってくんなお前は。戻るの早過ぎんねんお前は。手洗ったんかお前は。静かにそっと座れそっとをををををを!劇場の椅子はな、横に一列全部繋がっとんねん干柿みたいに。ひも?ちゃうちゃう、正月餅の上に積木気分で干柿載せるやろ竹串の。あんな感じや。せやから勢いよく座ったらこっちも沈むねん座席が。勢いよく凭れたらこっちも角度深なんねん折角ぴったり形作った体勢から更に。その角度に体勢慣らした頃前に屈んだらちょっとだけ戻んねん凭れる角度が。小刻みな貧乏揺すりが小・刻・み・に・伝・わっ・て・来・ん・ね・ん。やめろやあああああ。足組むてお前膝の真上に足首あるがな。それ足組んでる内には入らんぞ。足首だけの貧乏揺すりも禁止じゃ禁止。もうそれ貧乏揺すり言いたないわ。この先それは「短足揺すり」な。

 足を前の席の背に突っ張らかすな。前の人席に合わせて作った形壊れるがな。肘掛は早い者勝ちやねん。ガム禁止じゃ。口閉じてガム噛めん奴はサウナで死んどけ。音の出る諸々の食べ物全部禁止じゃぼけ共が。ただし喉飴は必需品やからな。咽る奴咳き込む奴は喉飴なしで劇場に来る資格ないぞ。背の高い奴と不自然な程座高だけ高い奴は後ろ行け後ろへ。そしてエンドロールは最後まで見とけ。


受け皿 04/05/27

 こう、箸でもスプーンでもフォークでも何でもよいが、その先に食物を引っ掛けて口元まで運ぶ際に、利き手ではない方を下で受け皿の形にしている姿は不恰好に思えるのだがどうか。

 右利きで箸を遣うと仮定する。左手に懐紙を持っているならともかく、剥き出しの掌を右手と連動させてそろそろと移動させている。無事口に収めた直後の左手の姿は大仏の如くある。「なみだ箸」というのは箸先から汁などをぽたぽた落とすことだが、それを警戒するならば器を左手に持つべきであり、持たずに手を受け皿にしているのは汁気を切るという動作を省いた上の中途半端な作法意識と思われる。

 単に塊である場合、普通に箸が扱えるならば落とす心配はまずないが、それでも万が一を考えてもしくは中途半端な作法意識の発露による受け皿手が痛々しい。束になるような物の場合受け皿を作りたくなる気持ちは判らないでもないが、それなら手で皿を作るのではなくて正規の皿を使って貰いたい。

 途中でぼとりと落とした時に掌で受け止める事は、咄嗟の事ならよい反射神経だと感心するかもしれんが、最初から受け皿の手を用意しているならば箸の保持力に自信がないふうに見える。左手を使わないときでも卓に載せておけというのは基本だが、物乞いするかのような掌の動きは正直に言って目障りだ。そもそも掌に落とした物をどうするつもりか。ガラ用の器に掌を傾けてぶちまけるのか。そのあとで掌を拭くのか。掌から箸で摘み上げて喰い、そのあとで掌を拭くのか。まさか掌に口を吸い付けて喰うのではあるまいな。

 あれを見る度に感じる微妙な苛立ちは何なのだろう。あれはもしかして礼儀正しさを過剰に誇示しているのだろうか。「箸遣いに自信がないのでいざ落としても大丈夫」としか見えない。掌で形を作るくらいならば器を持つ方が遥かに美しい姿だと思うのだ。




Copyright 2002-2005 鶴弥兼成TURUYA KENSEY. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. 著作権について リンクについて 管理人にメール お気に入りに追加

[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析