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バンコク週報
食品トレイ
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演義トランプ
台風

下敷
感動
炭酸
トランプ
電灯
安物
ベルマーク
パズル
嗅ぎ煙草


役に立つとは限らない

それでも知らずにいられない

バンコク週報 03/02/08

 バンコク週報という新聞がある。タイのバンコクを基地に主にタイのニュース、そして東南アジア全般に関わるニュースを掲載している。日本語の新聞である。日本でも定期購読が出来る。日本の最新音楽ヒットチャートなどもそのまま載っている優れた情報新聞である。しかしこれは何故か横浜のニュースパーク内にある新聞図書館には収蔵されていない。何故だろうか。

 このバンコク週報はタイの首都バンコク周辺の新聞スタンドなら大抵売っているのてタイ土産に丁度いい。値段は85バーツであるが、週刊新聞であり日本語に飢えている場合なら高いとは感じないだろう。

 まずバンコクに着いたら、おそらくドンムアン空港に到着したとして、エスカレータの横の階段を使って地下駐車場まで降りてみる。すると地下にはセブンイレブンがある。そこでバンコク週報を売っている。バーツ紙幣を小銭に崩す手間もこれで省ける。セブンイレブンであるから吹っかけられることもない。

 このバンコク週報、当然日本のニュースも掲載されている。一律横並び官公庁発表そのまま垂流しの日本の新聞よりも深いところまで突いていることもある。

 参考までにサイトを紹介しておく。

http://www.bangkokshuho.com/

 だれかインターンシップに応募してみないか?


食品トレイ 03/05/08

 食品トレイというものがある。

 回収して再活用するためにスーパーなどでは牛乳パックと並べて回収ボックスを設置していることが多い。たまたま喫煙コーナーの前に回収ボックスのあるスーパーで一服していた。その回収ボックスから回収している人を見るともなしに見ていると、色つきのトレイと真っ白のトレイを分別している。

 話を聞いてみたところ、白いトレイはそのままリサイクルに回せるが色付のものは処理工程が煩雑になるので事実上燃えるごみとして捨てている。こんな色付のものなんか作らなければいいのに。今着ているこの服はペットボトルのリサイクル服。真っ白いトレイは回収して再利用にそのまま出せるけどね。どこの回収ボックスでも後で白いものと色付のものは分別している。

 それは知らなかった。発泡スチロールのトレイならば必ず再利用に回せるわけではないのか。思えば刺身用の青いプリントトレイ。肉用の木目調トレイ。寿司などの黒っぽいトレイ。こういうものは燃えるごみなんですか。しかしよく見るとリサイクルマークがあるが。「もともと白いトレイだったからリサイクルマークがついている。浮かせ彫りふうのマークは残ったまま上にプリントするからそうなる。これは回収できない」

 そうなのか。話を聞きながら色付トレイを見比べていると、木目調トレイの節目模様のように見えたところに何か書いてある。目を近付けて見てみると「この表面は剥がせます」とある。おやおやと思って端っこから板ガムの包み紙を銀紙とパラフィン紙に分離する気分で慎重に角から爪を立てると、予想以上に簡単に剥がれた。それはもうダンボールからガムテープを剥がすぐらいの勢いで変に千切れることもなく、剥がしてしまうと白いトレイになった。手前も驚いたが、回収していたおばさんが「ええええええ何それ」と唖然としている。「なんか剥がせるって書いてたから」

 そのあと別の色付トレイを剥がせないものかといろいろ試してみたが、「直接プリントしてあって紙やすりででもない限り無理」「カッターがあれば一つあたり10分ほどで何とか剥がせそう」の二通りのものしかなく、木目調節穴に「剥がせます」とあるトレイは他に一つもなかった。

 そのトレイは白くなってしまったので回収されるトレイに混じってしまったし、剥がした木目は小さく丸まって静電気でくっつくので勢いをつけてごみ箱に捨ててしまったし、そのごみ箱は色付トレイを剥がせるものがないかと漁った後であるから、木目剥がせますトレイは「そこのスーパーのトレイなのか」「何用に使われていたトレイなのか」「何か際立つ特徴が他にないか」の疑問が残ったまま、謎のトレイとして記憶に残ることになった。

 わざわざ剥がしてから再利用しましょうとある以上、彼のトレイが「色付トレイは回収しても再利用できません」の証拠証明になるわけであり、何としてでももう一度見たいものだが、その後そのスーパーのトレイを見てみたところで陳列されているトレイには必ず何らかの食品を載せているわけであり、どうかすると薄切りのスポンジで隠されている場合もある。結局見つけることが出来なかった。

 形は通常サイズ、ずんぐりむっくりの刻切れを入れてあるような雰囲気のサイズ。長くシャープなタイプではない。木目調で節穴模様が二つ三つあり、その節穴をよく見ると「剥がせるよん」といった内容のことが書いてある。

 彼のトレイを捜せ。奴は色付トレイが回収されずに燃えるごみ扱いされることの証拠なのだ。


冷蔵庫 04/04/29

 再販店、通称リサイクルショップというものはその値段よりむしろ珍しい品物を並べているところに価値がある。

 というのも、以前そういう店で珍しくて欲しい物があったのだ。店頭用の冷蔵庫で、それは大きいものではなくて駄菓子屋の店頭でチェリオが入っていたり、銭湯で珈琲牛乳が入っていたり、民宿でビールが入っていたりする四面ガラス張りで取手には栓抜金具が付いていて常に浮いている水滴が涼味を誘う冷蔵ショーケースのことだ。

 冷媒なりモーターなりがあると思しき下の方はガラスではなく、「ぽきゃりすうぇっと」の広告板が嵌め込まれたまま三万円で売られており、どうしてもこれが欲しかった。そもそも冷蔵庫とは酒を冷やす為にのみ存在するものだから、謎のタレ、使わなかったヨーグルトのスプーン、食パンの袋を止める空色の爪、何度も落としてあちこち凹んでいる保存食のつもりである缶詰、最早いつ使ったのか覚えていないチューブわさび、かっちり固まってしまった煉瓦のような砂糖の塊、卵パックの中に入っていた賞味期限とサイズが書かれた紙の帯、割箸、爪楊枝、洗濯バサミ、果てはマッチ、そんなもん全部冷やす必要あらへんやんけ!

 四面ガラス張りであり、常から中が見えるので無駄な物を冷やす恐れはなく、中に入れた缶ビールの積み方並べ方ラベルの見え方にまでこだわる確率が高いのであって、そこには作り過ぎて始末に困った丼一杯のポテトサラダが安置されることを気に病む必要など微塵もない。ジョッキとグラスを布巾の上に拭かずに洗い晒しで置いて冷やすのもまた気分の盛り上がろうもので、そこに佃煮などがあっては絶対にいけない。

 広告板も何か手を加える必要がある。そのままに懐かしい雰囲気を楽しむのも悪くはないが、折角ならば店頭用冷蔵庫のまま部屋の中に違和感なく収まるよう改造を施したいものだ。

 そういうことを考えているのは今になってからのことで、その時は明日三万円揃えて午前中に買うて夕方配達して貰おと、ただ欲しいだけの一念であった。

 翌日三万円を用意してから買いに行くと、さも当然のように売れてしまった後で、それでも一縷の望みを託して「あの・・・ここにあった店頭用の冷」「昨日売れました」

 最上段にグラス類、、二段目に缶ビール、三段目にウィスキィ、最下段に日本酒をずらりと並べて眺めてみたかった。思い返す度に悔しさは増す。


潰す 04/06/10

 最近はペットボトルのラベルに点線が当たり前のように入っているから剥がすのが楽でよい。

 点線のない頃は歯を立て爪を立て鋏を立てて挙句本体に傷を付けてしまってその場で飲み切らねばならない事態に陥ることがよくあった。飲み切ってからではラベルを剥がす気にならないのは不思議なことで、飲みながら一息ついている時に引き剥がしたい欲望に囚われるのである。瓶などのラベルも同様で、飲み終えてからではとてつもなく面倒な気がするのに飲んでいる最中は気付けば端っこからちくちく剥がしている。

 ペットボトルというのは再生再利用の優等生と考えられているが、再生の為に必要な費用を考えるとまだまだ進化の余地はある。ところで空のペットボトルとは実に嵩張ると思ったことはないだろうか。消費が多ければ大量の空きペットボトルを眺めて再利用の環に参加している実感のような錯覚が湧く。しかし中身が単なる空気であるから無駄に容積を占めることが少々複雑に感じることもある。

 尻の方からべきばきぼきばきと鳴らしつつ寝袋を巻くように畳んでゆき、最後に栓をして圧力を利用して折り畳まれたペットボトルを眺めると、これまた無意味な充実感に囚われる。潰す音と体積の減少が引き起こす錯覚なのだが、悪いことではないから構わない。

 しかしより楽に潰せないものだろうか。これがあるのですね。非常に潰しやすいペットボトルというものがある。皆様覚えていませんか。一昔前、いや今でもあるだろうが「蛇腹式の水筒」がありましたね。提灯式に伸び縮みする仕組みで、出掛けに精一杯伸ばして中にお茶などを詰め、飲み終えたら圧縮して高さを半分くらいにして持ち帰る。難点として耐久性がなく、じきに酷使された蛇腹から染み出てきて、ある日とうとう詰めるそばから漏れ続けて寿命を悟る。一季持ち堪えれば元を取った気にさせて、しかし次の年は見向きもされない哀れな蛇腹式水筒が、その欠点と利点を活かしてペットボトルに採用された。

 これは凄い。押し潰すのが非常に楽で、耐久性の不安は一回使い切りで再生に回す事で解消される。ラベルは蛇腹を無視して巻けばよいのだし、よいこと尽くめではないか。ところがこれは耐久性の不安に関連するのだが、まず中身を詰める際の圧力に不安が感じられる。輸送中、少しでも変形すれば裂けてしまう可能性もある。

 この点で大手からの蛇腹ペットボトルは当面見ることはないだろうが、これはひとつの可能性だ。


実験 04/06/18

 七月三十一日に世界トイレ流し大会が実施される。

 これはつまり、世界各地で時間を定めて一斉にトイレの水を流すと何が起こるのかという下らない好奇心に突き動かされた者が参加する、あまりにも馬鹿馬鹿しい催しである。時間の無駄であるだけならばよいのだが、水という資源の無駄遣いを考慮せずして実行される暴挙である。

 時間はアメリカ中央標準時で07月31日7:00pmである。この時間に狙いを定めて世界各地で一斉にトイレの水を流し、何故か水の出が悪くなったり何処かの川が氾濫したりダムが決壊したり海流の向きが変化したりするのではないかという期待感を打ち壊す為に実施されるものだ。世界とは言っても水を使わない地域もある。この情報が届かない地域もある。この情報を知っても参加しない人が多い可能性もある。早い話が何か面白そうなことやってみるべいかという暇潰しから始まった企画なのだろう。説明を見ると五分前には着席するなり何なりして待機せよ、実際に用を足してもよいし足さなくともよい、トイレの蓋を開けておくか閉めておくかは任せる、と書いてあるのだろうか。

 アメリカ中央標準時で7:00pmつまり19.00、ということは、日本とアメリカ中央標準時の時差が15時間なので、19.00に時差の15を足して34.00、そこから一日分の24を引いてつまり前日の10.00、そしてアメリカはサマータイム実施国で04/04から10/31の期間中につき一時間早くなっているので、日本時間前日の09.00。つまり、日本から世界トイレ流し大会に参加する時間は、07/30午前09.00丁度となる。計算は間違ってないか?

 以前英国全土で時間を決め一斉に飛び跳ねて、地震を起こせるかどうかなる騒ぎをニュースで見聞した覚えがある。微震を検知はしたが、これを正式な地震と認めるかどうかで困っている旨の締め括りであったが、あれは結局地震と認知されたのだろうか。

 比べてこちらは実験とは名ばかりで単にトイレの水を流すだけ、一定の地域で集中的に行えば局地的な水不足が起こるだろうが、世界各地で同じ時間にトイレの水を流す行為は通常の営みの中で時間が一致する確率から僅かに上がるだけであろうし、あちらこちらで同じ時間に流しても目に見える大きな変化はあるまい。単にその日のニュースを見て「あ。これ俺も参加した」くらいの感想が泡のように消えるだけの、世界中の人々が一斉にトイレの水を流したところで別段何も起こりはしないことを納得する為の壮大な儀式である。日本時間は07/30午前九時だ。


演義トランプ 04/07/29

 三国志トランプ315円、JORKERが孔明と仲達で、一枚毎に違う人物のイラストと名前に出自、主な逸話と死ぬ場面の簡単な略歴がある。簡体字だが、多少習っていてよかったと思うのはこのような時なのだが、緻密な背景の上に載せた稚拙な人物イラストが突込みどころ満載だ。

 それで一枚づつ順番に見ていたわけだが、ハートのエースが曹操ですよあなた。演義だから極悪な面構えの曹操がハートのエースですよ。確かに演義では悪役扱いでしたが本場でも曹操の人気は高いわけですよ。曹操はまあ信長と考えれば間違いない性格と立場の人でありますが、それでもハートのエースは荷が重い。演義でハートのエースに相応しいのは貂蝉ですが、彼女はスペードのクイーンに在ります。曹操の名前と格から見ていずれかのキングに配すべきでありましょう。

 いっそのことスート毎に国を分けてしまえばよいのに、ハートのキングは一番凶暴なイラストの張飛です。普通はこの張飛のイラストを見ただけで「あ。ジョーカー」と思いますな。桃園の契りで劉備関羽と義兄弟になる重要なやくどころでありながら最も悲惨な顔に仕上がってあります。顔が鼠色とは閻魔大王より酷い。

 それにしてもダイヤ7の呂布が随分男前に描かれているではありませんか。暴虐の悪王董卓を弑逆してみずからがその席に登ってしまったいわば木曾義仲の立場でありますが、富士額に切れ上がった眉と引き締まった口元、顔色もよくて爽やか過ぎるようです。もう少し頭が悪そうな雰囲気が欲しいところです。

 その呂布に殺された稀代の悪人董卓ですが、ダイヤのエースを張っており、お髭が向日葵の如く生えている中でにこやかに微笑んでいるのが大変に不気味であります。張飛と入れ替えても通用するでしょう。清盛といった役周りの人でしょうか。

 ハートの10夏侯惇なのですが、彼の絵は仁王立ちで左手を腰の剣柄に添え、右手で射られた直後の引き抜いた矢を握り締めているところです。伝わるところでは眼を矢で射抜かれてしまい、矢を引き抜くと目玉もずるりと抜けてしまった、しかし折角親から貰ったものだから捨てるに忍びずと言い放ち自らの目玉を喰ったそうであります。問題なのは彼が射抜かれたのは確か左眼であって、しかしこの絵では潰れているのは右眼であります。

 あとはまあ、スペード7の馬岱なんてお目目ぱっちりの髭面でどう見てもホモであり、ダイヤ8の公孫瓉は明らかに宣教師の顔つきであり、ダイヤ5張遼は肩車でもして腹の中にもう一人いるのではないかと思うほど胴のバランスがいかれており、クラブ3魯粛は「一杯行こうよ」と誘っているようであり、クラブ2の劉璋は何か歌っているようであり、ダイヤ9の于禁はタコ踊り中の酔っ払いであり、廖化に至っては印刷がずれている。スペード10の黄忠が最も格好よい。

 あまりにも面白すぎるから、三国演義にのめり込んだ過去をお持ちの方は是非、眺めて大笑いするべきかと思われます。


台風 04/10/01

 台風の回転方向について。

 どちらに回転していようが別段損もなく益もない。なので知らなくてよいが、偶然知ってしまったので報告しておく。台風とは地球の自転を理由に必ず反時計の左回りとなるもので、自転がどのような原理で作用しているのか理解の及ぶところではないのだが、とにかく台風は必ず左回りであるという事実が前提とされている。

 さて、格別の破壊力を発揮した台風は伊勢湾なり洞爺丸なりと命名されている。上陸こそしてみたものの多少の被害だけで駆け抜けて熱帯性低気圧に変身したり、妙に遠慮して細い日本海を無理矢理なぞるように抜けたりした場合は単に台風〜号と呼ばれる。

 アメリカでは元々女性名を愛称とし、いつか男性名と交互になったニュースの記憶がある。ところで日本於いては全ての台風に愛称を付けたりしないのか。それを目的に探していたら、「アジア名」なるものにぶつかった。

 なんでも2000年から台風にはアジア名なるものが付けられているそうで、台風と相性のよい14の国と地域から予め十個づつ提出された名前が発生順に割り振られるという。その国地域とはカンボジア、中国、北朝鮮、香港、日本 、ラオス、マカオ、マレーシア、ミクロネシア、フィリピン、韓国、タイ、アメリカ、ベトナムであり、今年は韓国から一号を命名し以下タイ・アメリカと続く。

 今年日本の提出した名前は九号に採用され、日本がその名前候補を星座から採っていることには異論ないが、「2004年台風九号 = Kompasuコンパス」これは情けない。他の国では結構使われているそうなので、日本語と日本文化を喧伝する折角の機会を逃す手はない。星座に限らなくともよいが、どうせならば神話や民話、文学から採用すればよいではないか。織姫とでも名付けておいて、「大型の台風織姫は次第に勢力を増し、明日午前二時頃紀伊半島に上陸する模様です」「こちら潮岬です、現在織姫の激しい風と波に襲われています」「織姫の影響で各地の交通機関が」「織姫は各地に被害を」忘れられなくなるだろう。

 他の国の名称候補の選択は流石に上手い。今年のベトナムは観光地だ。香港の出した「Tingtingテンテン」は八号に採用されたが、これはキョンシー世代として親近感が湧く。中でも感心するのはミクロネシアの命名で、十三号は「Rananomラナニム」となった。意味は「こんにちは」傍迷惑な台風に付ける名前として秀逸である。しかもミクロネシア語でのこんにちはを何となく覚えてしまう。どうせ日本では不謹慎だなどと喚く馬鹿が大手を振るから無理にしても、「猪突猛進」「ど根性」「ファイト一発」などの名前を付けたなら、今よりずっと台風に注意を払うようになる筈だ。「台風猪突猛進は現在沖縄周辺で停滞しており」「台風ど根性は北海道に再上陸を」「台風ファイト一発は小笠原沖で熱帯性低気圧に」

 なお、今年珍しく真西に滞進した台風十号のアジア名は「Namtheunナムウーセン」、命名はラオスで、意味は「川」という。

その他詳細についてはこちらを参照のこと。
台風の名前について
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/help/tcnames.html.ja


印 04/10/07

 紅葉マークなる高齢者運転中を表す橙と黄の涙型印がある。

 これが何故か「落葉マーク」と刷り込まれており、矯正する為の努力が悉く無駄なまま半ば絶望感に包まれて落葉マークと口走るわけだが、この度あれを至極冷静に「枯葉マーク」と呼ぶ人が居り、僅かばかりの安堵が湧出した。「高齢者マーク」と呼んでおけば安全であるが、逃げの姿勢は心苦しいから今後も強気で攻める。

 知らなかったのだが、道交法には「紅葉マークの表示義務」と共に「高齢ドライバーの保護義務」なる条項があって、運転者は危険を防止する為の止むを得ない場合を除き紅葉マークを付けた普通自動車に対する幅寄せや直前への急な割り込 み(無理な進路変更)をしてはならないとある。そしてこの条項を知らなかったり無視した場合には罰則があったりする。表示義務違反は反則金が四千円で減点1、保護義務違反の場合は大型車が七千円普通車・二輪車が六千円の減点1、これはなかなかに厳しい。

 初心者マークの表示義務については承知していたが、保護義務として割り込んだ時に違反扱いされるとは知らなかった。それでも初心者マークと高齢者マークの二種あることを覚えておけばよいと信じていたが、「障害者マーク」なる印の存在を知って途方に暮れる。世界は拡いな、おい?平成十四年と言うから二年前で、白抜きの四葉を象ったもので「四葉マーク」と呼称されているらしい。これまた表示義務と保護義務があり、それぞれ罰則も同様となっている。問題は認知度であろう。もしかして手前が知らないだけなのか?

 割り込みが禁止されているとは言え、真後ろから一旦横に出て前に割り込む場合を除いて、平行して走りつつ進路変更をする際に車の前と後にしか付いていない印をどのようにして見ろというのか。車内にぶら下げている状態ならばまだ視認する可能性もあるが、平たくなっているボンネットの上に貼り付けられているものを確認するのは、通常割り込みが完了してから感謝の点滅を出そうとした時であることが多い。

 その他車椅子の印や赤ちゃんが乗っていますの印なども「やさしくしてね」と表明しているわけで、了解して車間距離をとればとるほどその印が遠くなり、しかし後方でいらいらしている者には見えやしないから長めの車間距離の間に割り込まれる。なるほどと合点して後に更に抜き去ってゆくなら問題ないが、合点したから車間距離をとる場合は一台分後ろにずれる。しばらくして別の車が長めの車間距離に割り込み、そしてそうだったのかと長めの車間距離をとる。少しづつ後退だか交代だかしてゆくのが微妙に歯痒い。


下敷 04/11/19

 柔らかい下敷が好きなのは筆圧が強いせいだろう。

 暑い季節は扇ぐのに適した下敷が有用であるが、それは団扇として使用することが前提となっており、生徒と呼ばれる年代ならば教室に団扇を持ち込むことは許されないから扇ぐ為と敷く為の二枚が必要になっていた。

 風を送り易い下敷はプラスチック製で硬く、大きくは曲がらず限度を超えるとぺきりと折れてしまう。掌でそれぞれの短い辺を挟むように持ち、折れない程度に彎曲させては戻した勢いで反対面に彎曲させてを繰り返してぴゅわんぴゅわんと鳴らしたくなる下敷は、その硬さで下の紙に圧力が掛からないことを目的にしている。書心地は硬い机に直接書き込むのと変わらない。書く際にかつかつ鳴るのも耳に障る。

 書道では毛筆に対して硬筆と呼ばれる鉛筆書道があり、6Bや7Bなどの異様に太くて恐ろしく折れ易い鉛筆を使用するのだが、これに対してラバー下敷が必需品となる。ちょっとした事務机には透明のマットが元より付属しているが、あれを下敷サイズに切ったものと想像すればほぼ正しい。感触としては「十枚程度を重ねた葉書に強く押し付けながら文字を書く」あたりが適切であろうかと思う。

 書き損じた場合には紙が凹んだり破れたりするのだが、夏は柔らかくて冬に硬いという癖は慣れると快適なもので、裏に書いてあった文字が下敷に転写されて別の機会に新しい無地の紙へ再び転写されてしまうという致命的な欠点を無視しても使う理由は書心地の良さに尽きる。

 強い筆圧でものを書く人種は、だから硬い下敷に限らず硬い面が嫌いなのであって、筆圧が強いから芯が折れなかった場合や芯の折れないペンの場合は、書き損じると飛行機雲の如き長い線が発生する。適度に熟れた桃の表面に爪で何かを書く時、書き損じても飛行機雲にはならないように、ラバー下敷は書き損じてもめり込むだけで済む。

 強い筆圧とラバー下敷を配合した場合、裏から見れば活版印刷されたかに見える印象が残るわけだが、その印象が満足感に変異するのは不思議なものだ。


感動 04/11/26

 サッカーなるものは、さほど興味がなかった。

 いつだったか、何かの大会でどこかのアナウンサーが「ゴールゴールゴールゴール」と連発しているところは偶然に見て、喧しいと思って以降はまるで興味の向きから消えていた。ところがワールドカップで皆が皆騒いでいたものだから、なんとなく巻き込まれて見てみたものの、選手の顔と名前が一致しないどころかそれ以前にまず名前を知らないから話にならない。

 実況は単なる応援に成り下がっていて、解説は「いいですよ」と「おしいですね」しか言わないのであって、余りに馬鹿げているから音を消しサッカーとはなんら関係のない音楽を流してみた。スポーツニュースでゴール特集の際に、また野球でファインプレー特集の際に何か曲が流れるだろう、あれを通常のサッカー中継に応用させるものだ。するとわあわあ言ってボールの取りっこをしているだけに見えたサッカーが何と、緻密に構成された圧倒的な迫力のエンタテイメントに見えるではないか。

 これに驚いて、歌詞の意味がよく分からない洋楽から、何かもっとぴったりの曲はないものかと試してみると、いわゆる感動を押し付ける系統の曲で丁度よい雰囲気になることが判明した。ボールが一旦外に出てスローインされようとしている時、仲間に指示を出す姿が大写しになったり、シュートが外れて悔しがっている姿、時折映るファンの姿、ファウルで転んで痛がっている姿、直前のプレーが低速再生される瞬間、ゴールが決まって違う角度から低速再生される瞬間など、サッカー中継は動と静がうまく配分されていることに気付く。つまり流れる曲に臨場感はそのままだから不思議な感動に包まれるのだ。

 個人的には「暴れん坊将軍のテーマ」が最も盛り上がったのだが、これはつまり「盛り上がる曲」と刷り込まれているからであると判断し、どこかで聞いたことのあるような感動を押し付ける曲「負けないで」や「それが大事」などのべたべたなところを中心に五十分作って前後半で計二回流せばよい。動きの激しいサッカーならばチーム事情や選手個人に興味はなくても確実に引き擦り込まれてしまう。

 ただし、サッカーには興味ないがサッカー中継を見るのは好きであるという趣旨の発言の真意を説明するには骨が折れるから、これまで通り「サッカーには興味ない」と後半を省略している。


炭酸 04/11/27

 ドライアイスとは、二酸化炭素を凍らせたものだ。

 溶けても気体に戻るだけだから厭らしく濡れたりしない為に、冷蔵保存する必要のある際に利用される。また溶ける過程でもくもくと立ち上る白煙も便利なもので様々な用途に使われている。

 しかしながらドライアイスとの初対面時において、基礎知識を知っていることはまずない。何かもくもく煙の出ている氷砂糖のようなもの程度の認識しか持ち得ない子供は好奇心と本能が一体であるからそのまま素手で掴む。一拍おいて指に張り付いている事に気付く。慌てて振り飛ばしたら火傷している。知識のある親や兄姉は爆笑している。火傷に見えて実は凍傷なのだが、通常の生活では凍傷よりも火傷のほうが身近である故か「やけど」と表現されている。凍傷の訓読はないかと探してみたら辛うじて「しもやけ」が名乗りをあげた。凍傷の定義を調べてみると、計四段階で第一度がしもやけ、第二度が水疱形成、第三度が皮膚全層の壊死・潰瘍の形成、第四度が深層部の組織壊死状態とある。確かにこれは火傷に似ている。

 中にはドライアイスを貪り喰って鼻から滝する荒行者もいるようだが、口の中は一体何がどうなっているのか実に気になる。少なくとも白煙は確実に二酸化炭素なのだからその最中に息を吸い込んではならず、もぐもぐやりながらゆっくり鼻から吐くわけで、口の中に唾液を溜め込んでおいて口腔に接着されないよう心掛けても、ペットボトルに水とドライアイスを詰めた危険物を想像してしまうと恐ろしい。

 さて、このドライアイス、日本語ではどう呼ぶのか。固形炭酸と固体炭酸が拮抗しているようだが、後者は中ほどで「〜たいたん〜」と「た」が連なるので避けたい。しかし気体液体に対応する固体を無碍にも出来ないから、いっそ使い分ければよい。物質名なら固体炭酸、製品としてならば固形炭酸と呼ぶことにしよう。

 しかし製造過程はこの度知った。冷やせば塊になるのだろうと単純に考えていたが、低温と圧力を保って細い管から噴射して粉雪状とし、その後押し固める必要があるらしい。

 ところでこのような注意看板を見つけた。

ドライアイス取り扱い注意
http://www.showa-tansan.co.jp/html/dryice/caution/caution.html

 これが滅法面白い。「略。凍傷になります。」「略。酸欠になります。」「略。酸欠になります。」「略。破裂します。」「食品添加物ではありません。中略。ソーダ水等の炭酸飲料にはできません。」出来ないのか。液体に固形炭酸を放り込むと炭酸飲料になるものと信じていたが、ならば炭酸飲料とは如何にして製造されるものであるか。

 これは液体に圧力を掛けたまま炭酸ガスを溶け込ませることで可能となるらしい。炭酸ガスと気体二酸化炭素の違いが今ひとつ理解出来ないが、強引に同一であると仮定するならば、固形炭酸が溶けたら炭酸ガスになるわけだから、絶対に破裂しないような、また破裂しても安全を確保できる状態に於いて、牛乳と固形炭酸を同時に封じ込めておけば、牛乳ソーダと相成る計算だ。

参考サイト
昭和炭酸株式会社 ドライアイス
http://www.showa-tansan.co.jp/html/main.htm
参考ページ「ラムネの作り方」 情報提供:ぞーりむしさん


トランプ 04/12/11

 「世界のトランプフェア」に迷わず吸い込まれてみた。

 背の模様は上下があっても手品用でない限り全て同じ柄であるから世界中から集める意味はない。集めてあるのは数字の面に様々な絵などを描いてあるもので、一組五十二枚とジョーカー分の絵が収められていて、それが世界中から百種類以上集められており、ちょっとした展覧会のようだ。

 正方形のものはベルギーを筆頭に幾つかあったが、トランプとは基本的に長方形であることが了解されているから円形のトランプを見ると動揺する。これはどう考えても「酒場で誰もトランプを持ち合わせていないからやむなくコースターに数字とマークを書き込んだことが発祥」としか思えないわけで、数えたところ日本製を含めて五種類あった。「ハリー・ポッターの丸トランプ」なんて大量に売れ残ったことが想像されて苦笑する。あれはどうやって繰るのだろう。

 名画や風景、動物画などは珍しくないが、五十二種類の錯視は欲しくなる。ジョニーウォーカーラベルのトランプは赤と黒があって楽しい。「浮世絵」は構わないがオーストリア製となれば複雑な気分になる。北斎の「五十三次」は数がぴったり一致しているので素晴らしい。バイシクルの小サイズも気になるし、「世界の小便小僧大集合」これは当然ベルギー製だ。「演義トランプ」も当然のように並べられていて、中華街に比べて値段が倍のようだがそれでも高過ぎる印象はない。またエロトランプは一切置いていないわけだが、我等が暈しの国としては仕方あるまい。

 イタリア製のものは多く凝った絵であり、芸術の国であることに由来するのか、それともイタリアと言えば芸術だから絵ばかりを集めたのか判らないが、イタリアのトランプはこうあるべきだとの雰囲気が漂った品揃えであった。全体的にオーストリアとベルギーが多く、彼の地ではより多彩な図柄があるだろうことが察せられる。

 売筋の順位が発表されていて、五位までのうち二位の日本を除いてオーストリアが独占している。一位は箱にマリリン・モンローの「ムービースター」スター名鑑、二位は日本製「はらぺこあおむし」絵本からトランプに、三位は「ミュシャ」アルフォンス・ミュシャのイラスト集、四位は明らかに日本向けの「HANADEKA」子犬の鼻アップ写真集、五位が「名画」となっていた。

 日本製の中には「交通標識トランプ」なるものがあり、無理矢理学習に役立てようとする執念には恐れ入るが、それならばいっそ開き直って「都道府県プラス幾つかの名所トランプ」「数学公式トランプ」「英語慣用句・熟語と状況のイラスト付きトランプ」など可能性は無限だ。遊びじゃなくて勉強しているのだと必死に言い張る子供が増えるだろうが、その姿は親の楽しみでもあろうから売ってあれば買い与えるがよい。

 小規模ながら催しとしては相当充実した内容であるから見かけたら是非立ち寄るべきだ。折角だから縦二センチ横一センチの成人男子親指の爪サイズで全部重ねても竹牌よりも小さな免税トランプを買ってみたが、まず繰れない。試行錯誤の末に左手の親指と薬指と中指と人差指の第一間接だけを使って固定し、右手の親指と人差指と中指の第一間接だけ使用すればヒンズーシャッフルは出来た。つまり指先だけでちまちま繰るわけで、これで問題は解決したろうと思えばさにあらず、配れない。左手の指をインド食事式の形にすれば配ることには成功したからあとは普通に使えると思ったのに、今度は「積んだ山から上の一枚だけを引く作業」が困難を極めた。携行するには便利だが、遺憾ながら使い心地は最低であることを述べておく。


電灯 05/02/02

 読書の手元を照らす小さな電灯について。

 読書ランプと呼ばれたり読書スタンドと呼ばれたりするが、読書をしなくても部屋の飾り照明として大切なものだ。

 機能一点張りを象徴する扇風機のような電源を持つ電灯はたかだか小さな明かりを灯して消す為に使う労力との釣り合いが取れていないような気がして腹が立ってくるもので、点けっ放しであるか点けないかの道を辿る。

 次は洗練された雰囲気の電灯で、これは都合九年間も使ったから未だに愛着がある。人の体に流れている微弱な電気を利用したスイッチで、金属部分にそっと触れたら微かな電子音がして明滅する。明るさの調整も出来、台はペン立てなどを置けるよう薄く平坦になっていたから優れものであった。

 それに飽きたわけではないが、引越しで持ってゆく程でもないから新しい塒では新しい電灯を必要とした。読書に限定せず、間接照明として利用可能であるものを探してみたが、花瓶に傘を被せたランプなど趣味ではないから難航する。

 やがて質屋でハリウッドライトを見つけて「これしかない」と思い込む。撮影用の臨時照明器具で、舞台の上や下に並んでいるような奴を一個独立させて移動足に差してあるものだ。通常の手元を照らす電灯は幾つかの関節で角度や方向を変化させるが、これの場合調整移動足に差してあるからまず高さ、そして差してあるから当然方向、そして上下に首を振る角度、そして最も気を惹くのは花弁のような板で明度の絞りが出来ることだ。

 効果的な照明の為に極限まで機能化されたものだから無骨と言うより他ないが、外連味溢れる佇まいが気に入ってしまう。

 これは三年前に買ったものだが、大いなる問題がひとつあった。無骨であるから本体は移動足の車輪以外は全て金属製であり、すなわち熱伝導性が優れているので、長時間点灯させておくと熱くて触れなくなるのだ。首の後ろにある感嘆符「!」のような今時珍しいスイッチも当然金属であって、熱くなる。長時間とは言っても元来撮影用なので一時的に強い光を発することが目的であり、一時間点けておくと花弁で火傷する。熱くならない電球が開発されない限り使いこなすのは難しい。


安物 05/02/06

 百円均一の店で。

 玩具の一角を覗いてみると、「将棋の駒 木製」とあったから深く吟味せずに買ってみた。早速開けてみると確かに木製であるが、角がざらついていて百円であることに納得する。それでも将棋駒は一式で四十枚だから一枚あたり二円五十銭、これで採算が取れるものかどうかと心配になる。携帯将棋盤付属とあるが、それらしいものがないので箱をひっくり返して降ると折り畳まれた紙がばさりと落ちた。嫌な予感を確かめるべく拡げてみれば「御将棋盤」と印刷してある。めげずに駒を並べてみると歩が余る。一枚は予備らしい。その駒も当然彫るなどの手間は省かれ単に印刷されただけで、しかも金銀桂香が同じ大きさであるから違和感が凄い。大局将棋の駒に転用するならば纏めて買う価値はあるだろう。

 また豆麻雀牌も売っていたのでこれまた吟味することなく買ってみた。するとレジで言われるではないか。「こちらの商品は210円となっておりますが、よろしいですか?」二百円でも安いから問題ないさ。開けてみると問題の塊であった。彫り込まれておらず印刷だけであるから盲牌は不可能で、それは使っているうち次第に白が増えてゆくことを意味する。赤はなく白は計八枚なので紛失を想定してあるのだろう。しかし今時使わない花牌も律儀に入っている。点棒は印刷された厚紙なのであって、自ら切り離す必要があるらしい。これなら現金で遣り取りする方が楽に思える。牌は異常に軽いので中が空になっていることが推察される。幾つかの牌を弄んでいると、からから鳴る奴がいた。眼牌であるから対処の必要がある。豆牌をじっと観察してみると、背と本体がプラモデル式に合体しているだけであることに気付き、こじ開けるとごみが出てきた。想像通り中は空であったが、これなら板錘を詰め込むことで重量感は再現可能だろう。秤は百円で売っているだろうか。


ベルマーク 05/02/10

 そう、子供の頃わけも判らず集めていたベルマーク、あれの仕組みを解説しよう。

 ベルマークについて心得ていたのは「品物によって点数が違っていて、集めて学校に持ち寄って、すると何かの役に立つらしい」程度のことだ。それでは小学生並みだから、大人としての知識に修正する。ただし判明した事態は非常に複雑だ。小学生では理解に及ばないと思う。以下可能な限り簡略な箇条書きにして並べる。

・ベルマークの目的は教育資金である。
・参加資格は学校や幼稚園などのPTAに限る。
・その運動に協賛する企業は商品にベルマークを付ける。

・ベルマークを発見すれば切り取って保管する。
・集めたベルマークは点数や番号ごとに分類して計算する。
・協賛企業別に整理袋に入れ、送り状と共にベルマーク財団へ送る。

・ベルマーク財団が点検し、検収済み送り状が返送され、一点一円で貯金される。
・財団を通して協力企業から学校で使う教材備品を買う。消費税がかかる。
・購入金額の一割10%が財団の援助口座に寄付される。
・その援助口座から援助事業を展開する。

 「協賛会社」とは商品にベルマークを付けている会社でベルマーク預金を提供する。
 「協力会社」とはベルマーク預金で教材備品を買える会社で援助の資金を提供する。

 このややこしさは日本で生まれた運動であることを確信させる。元々は1960年に設立された財団法人教育設備助成会が始めた運動で、僻地校・被災校・養護学校・盲学校などを対象として援助活動が展開し、1990年には初の海外援助が実施された。教育助成事業であり、教材備品を買った額の一割が寄付されるのだから学校以外で集めても余り意味のない話ではある。また高校でも扱っているようだが、小学校の参加が最も活発であるようだ。

 一部の生命保険にベルマークが付いていることは初耳だが、何点付くのだろうと多少は気になる。どうしても参加したい場合や、何となく習慣で集めてはいるがどうすればよいのか途方に暮れている場合などは近くの参加学校に寄付するか、あるいは僻地などの資金難に喘ぐ学校に対して「教材の購入資金にしてくんな」と送りつければよい。ただし一点一円なので百点集めても百円にしかならないから、一万点は集めたいところだ。

 どうせなら会社ぐるみでベルマークを集めて、集めた点数に応じて会社からボーナスを出し、纏まったベルマークは応援したい学校に寄付するなどの運動をすればよい。さて、では一体何処の懐が削られているのかと考えてみたのだが、協賛企業は一点一円の寄付をしても利益を出すだろうし、協力企業は一割の寄付しても利益を出すだろうし、かといってベルマークが付いているから高いわけでもないだろう。考え方としては「協賛企業・協力企業の利益が多少減る程度」なのかもしれない。それで世の為になるなら善きことである。

ベルマーク (参考) http://www.bellmark.or.jp/


パズル 05/02/13

 パズルが好きである。

 一頃パズル雑誌がまだ四種類しかない時代から愛好していて、丁度景品法だか何だかが改正されて雨後の茸みたいに増えて以降は馬鹿馬鹿しくなってやめたが、それがマージャンを覚えた時期と重なるのは偶然だと思う。

 パズルの王道と言えばジグソーパズルであり、これも多少の経験がある。一枚目はジャック・ルイ・ダヴィット「ナポレオンのアルプス越え」千片で一週間かかり、二枚目のサグラダ・ファミリア千片は三日で完成させてしまった。

 一人暮らしを始めると家具として一枚掛けてみようと千片のコルクに印刷された鴨が飛び立つ晩秋の夕暮れの図をこれは二日で組み上げた。余りにも簡単に思えたから通算四枚目として「香港夜景」二千片に挑戦すると、これは三週間ばかりかかった。それでも簡単に思えたから、豹らしき奴が木の上で尻尾を垂らして寛いでいる図・全体の三分の一である背景は真っ黒二千片に挑んだ。

 二千片の約三分の一とはつまり六百片以上が無地の黒なのであり、途中で諦めて放っておいた期間も含めて半年掛かった。形を分類して切口を眺め一片づつ嵌めてゆくのが楽しいのは最初の勢い付いている時期だけであることを理解し、以後ジグソーパズルとは数年無縁である。

 しかし上の経歴を持つ人間が壱万円札を握り締めて眼鏡を作りに行く途中で「球体パズル・古地図540片、7140円」を見つけてしまったら展開は簡単に読める。以下はその報告だ。

「プラスチック製」 ジグソーパズルは通常幾重にも重ねられた紙製であるが、これはプラスチック製で掻き廻すと非常に煩い。どういうわけか中国製なのであった。

「全て同じ形」 ジグソーパズルの欠片と聞いて想像するのは「上と下が凸、右と左が凹の四角形」であるが、中には「四辺全て凸」のようなお茶目な形もあったりする。しかしこの球面パズルの場合、全て左肩上がりの通常形である。大きさや角度が多少違うようだが上下左右と肩の割合は全て同じとなっている。形が同じだから間違えてもぴったり嵌まり、しばらく気付かない。当然のことだが絵柄は上下左右関係なく印刷されている。

「まずはここから」 球体の天辺と底にあたる部分だけ、各5片づつが予め組み合わされて小袋に入っている。底から組み上げてゆけばよいらしい。

「完成見本が役に立ちません」 古来より地球の地図を正確に平面に書き起こそうと無駄な努力が重ねられてきた。辿り着いた教訓は「球を展開するのは無理だから地球儀を利用しろ」であるが、球体パズルの完成見本は外射方位図法ふたつと心射円筒図法で構成されている。すなわち「真上から見た感じ」「真下から見た感じ」「真横から見た感じ」であるが、いずれも平面の為歪んでいる。地図も歪んでいるが本体の絵も歪んでいるようだ。ビーチボールの完成見本が欲しいところだ。

「端がありません」 ジグソーパズルの基本としての、まず枠だけを抽出して組んでしまい後はそれに繋げてゆく遣り方は球体パズルには通用しない。つまり最初から本気で一片一片検討せねばならない。

「古地図だから球体ではありません」 球体パズルなのに、地球全土の地図なのに、大航海時代の地図を球体に貼り付けるから無理が出る。つまり半分くらいは地図だが残りは星座や季節に応じた絵などを配置してある。地図の縁は特徴があるからこれだけを抽出して組んでみよう。

「印刷がずれています」 球体だから多少ずれていても仕方ないとは思う。しかし正しく嵌めても印刷がずれていたり色が違うと不安になる。

「すぐに外れます」 平面のパズルならば、結合させると滅多なことでは外れない。球体だから幾つかの欠片を結合させても、置くと外れる。「ここと、ここが繋がってて、さっき外れたここは、こっちに繋がってたから・・・」

「見つけても無駄です」 絵だからどの場所の欠片かはすぐに判る。平面の場合は「このあたり」と置いておけばよい。球体だから折角その欠片がどの部分かを判別しても、繋がらなければ意味がない。「ををを!これ喜望峰や!」しかしどうしようもない。地道に繋げてゆくしかないらしい。奇を衒ったパズルなのに最も基本的な楽しみ方が続くとは不思議なものだ。

「世界地理の知識が必要です あとラテン語も」 別にそんな知識などなくても十分楽しめるが、あれば多少時間が節約出来る。組み合わせは簡単なのだが、序盤まだ球体になっていない段階では、赤道を繋げると北極点が落ち、セイロン島を嵌めるとアフリカ大陸が落ち、イングランドを嵌めると南極が落ちる。それでも続けるうちに「メキシコのあたりはないか」「ここはインドシナ半島だ」「もしかしてこれが日本なのか」月名はユリウス暦に準拠しているようだが、IとJの区別がまだない時代を想定しているらしい。やはりセプテンベル等と読むのが相応しい。

「美術や文学の素養も必要です」 必要ないが、あれば楽になる。季節に応じた絵はそれぞれ意味があるらしい。「をあ。これドン・キホーテ」「あれ?これ落ち穂拾いやんけ」「このおじさんダ・ヴィンチやんか」

「終盤は楽しむ余裕がありません」 何しろたったの540片だから速い。残りが百片ほどになると絵柄を鑑賞せずにぱちぱち嵌めてゆくので異常に速い。完成が近付くと更に速くなる。

「最後の一片はポールペンの柄なのでこんこんと叩いてください」 嫌な予感を胸に秘めこんこんと叩けば予想通り中に落ち込む。貯金箱の気分ながら振っても振っても出てこない。三つ四つ外して一番緩い奴を最後にそっと嵌めて完成する。

「結構大きいです」 直径23センチと聞けば頭ぐらいじゃないのかと想像するが、実際はバスケットボール並みである。完成すると簡単に外れたりはしない程度の結合力はある。しかしとり落とせばめり込んで外れる可能性が高い。浅い椀型の作業台はそのまま保持台になる。

 買ってきたその日に徹夜して、精神の壊れる時間帯に北極点が何度も落ちて笑いが止まらず、それでも十四時間ぶっ続けで完成した。もし買うかどうか迷っているならば買いたまえ。絶対に面白い。


嗅ぎ煙草 05/03/14

 強い酒を飲むと一時的に花粉症を忘れる。

 眠っている時も苦しくはないから不思議に思う。それでも起きた瞬間から洟水は容赦なく垂れてくるから起きるきっかけとなっているのかもしれない。眼の痒さに耐えかねて掻き毟ると頭が茫とし次の日から目脂が発生して瞼が開かなくなる。

 ここ数年花粉症とは無縁であったから完全に油断していて瀕死だ。眼は目薬で対処することとして、鼻をどうするか。粘膜が敏感になっているのだから、鈍感にすればよい。数年前と違って今では対策の目処はついている。

 嗅ぎ煙草で粘膜を破壊しよう。以前馴染の煙草屋で嗅ぎ煙草の話になり、「これなんだけど最初の内は少しづつ吸わないと粘膜がやられるよ」と言われ、またの機会にしますと答えたことを思い出し、ついにその機会がやってきたことを直感した。

 銘柄は「RUMNEY'S」、ラムネイズと読むそうで、EXPORT SNUFFとあり、英国製の輸出仕様の嗅ぎ煙草であった。森林の香りやらミントフレーバーやらの宣伝文句を超越してSNUFFという単語には危険な雰囲気が漂っている。そう感じるのはそういうビデオが地下で出回っているとかいないとかの無責任な噂が原因であって、しかし最近はスナッフビデオなど話にならない程の映像が氾濫しているので気にしないことにする。

 燐寸箱程度の木製を模したプラスチック製の容器で、左下に青い円がある。ここを廻すと適量の粉が出てくる。鼻で粉末を吸い込むわけだが危険なお薬を服用する際と同じ行為であるから外見の普通でない人は公の場で吸引するべきではない。だから益々怪しさが漂うという悪循環に繋がるのだが、ともかく左手握り拳の表、親指と人差指の間の僅かな平野に耳糞の分量を落とし、まずは右の鼻を右手人差指で塞ぎ左の鼻から吸い込んだ。誰かに見られたら即座に通報されるだろう。

 嗅ぎ煙草は茶色く、出汁をとってかすかすになった鰹節を擂り潰して醤油で煮詰めて乾燥させ粉々にしたような雰囲気で、こういうふりかけがあったような気もする、と考えながら花粉症を不感症にするべく粘膜を馬鹿にしようと吸引を繰り返していたが、それほど簡単に粘膜が破壊されるならばとうの昔に花粉で破壊されている。いや、破壊されたからこそ洟水が止まらないのかもしれないが、何しろ洟水が止まらない状況下ではミントフレーバーも糞もない。ついに垂れてくる洟水に抵抗出来なくなって思い切りかむと花粉症特有の透明な洟水ではなく、下痢の後に尻を拭いたような汚い塵紙になってしまい、うんざりしたので酒を飲んで眠ることにする。




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