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何か話を
再活
かぞえうた
適当
だれだれ
突指
諦観主義
再活040407
金縛り
支離滅裂
安直
再活040723
再活041110
コネ
歩く
再活050108
集中
関節
再活050211


「くだらない。余りにもくだらない」

「そういう時もある」

何か話を 03/02/03

 山葵漬けをコールスローと勘違いしてスプーンにごっそりすくって大口開けて食べた瞬間悶絶した男の話を知っているかい?ではある温泉旅館の朝食に出た卵を当然温泉卵だと思ってあとでおやつ代わりに食べようと考えて、バス停でバスを待っている暇な時間に割ったらただの生卵でズボンを怪しく汚した男の話は?渋滞でイライラしていてたまたま来た救急車の後をすいすいついていったら急停車した救急車に追突してそのままその救急車で病院に運ばれた挙げ句違反切符と損害賠償請求を入院中に受け取った男の話は?「マルチ商法の騙す側になって一儲けしませんか?」という騙し文句に引っ掛かった男の話は?パンクしたタイヤを交換しようとしていて、一度外したはずのパンクしたタイヤを何故かもう一度装着した男の話は?急いでいて自動改札口を素早く通り抜けようとしたら早すぎて半身になっていた股間を直撃されて結局電車に乗り遅れた男の話は?「何かを忘れている気がする」と思いながら会社に到着してはじめて会社が休みだったことに気付いた男の話は?歯医者で「痛かったら手を上げて合図して下さい」と言われたから合図したら「はい我慢して下さい」と言われて何か納得出来ない気がした男の話は?そうか。知っているのか。

 じゃあ反対に面白い話教えてくれよ。


再活 03/07/16

 あのな、「柴とハスキーのハーフ」てそれただの雑種やがな。混血が美を生み出すことは知られていることやけどね、では混血にして雑種である日本文化はどやねん。そもそも文化ってなんやねん。大体な、「文化」て言葉安売りしすぎて誰も尊敬せんようなったしな。文化住宅。文化机。文化食品。文化包丁。文化鍋。文化干し。文化せんべい。あのな、「文化」が手の届かない位置にあるべきでないが、それでもさすがに生活感に溢れ過ぎやろ。下町の味噌汁の匂いが漂ってくるがな。確かに味噌汁は文化と言えなくもないがな、鍋に包丁は文化の名を冠するには荷が重くないかね。ぶんか、ぶんか、ぶんか、ぶんか、アホかお前等。

 梅雨なのか夕立なのかはっきりしてくれ。高校野球が始まる頃は赤蜻蛉が秋を運んできて夏はどこへ行ったのか尋ねたくなるわけだがね、あとから考えてあの蒸し暑い雨続きの日々が実は夏だったとは悲しい話じゃないか。そもそも日本で雨は梅雨に限らず年中しとしとじめじめざばざはざんざんごうごう降っているので特別晴天が続くといきなり「水が足らん」と騒ぎ出すことになってダムは春先にこっそり空けてあるから節電じゃ節電じゃと言い立てて電気代の値上げの観測気球を上げる。普段新聞広告に原子力発電は今日本で最も発電量の割合が高いと何も考えず情報を鵜呑みにする馬鹿共に散々刷り込んでおいて発電量割合わずか10%に満たない水力発電で「水が足らんから節電せい」とは馬鹿にするにも程があるが疑問に思う者は陰謀論者だとか左翼だとか言われて一億総右翼となっていることに今更ながら気付く。「水が足らん」「水が足らん」春先に放水してしまうダムを何の為に作ったのか問う気力もない。溢水罪だ溢水罪。

  禿が毛生え薬を売っていたら信用出来ない。太った人が痩身薬を売っていても信用出来ない。イミテーションを付けた宝石商も信用出来ない。だから宝石商はよく襲われる。鞄の発信機などという小賢しいものに一杯喰わされるのは癪だから身に付けている物を狙う。鞄を持って全力で走るのはかなりの重労働なのだ。保険業界との癒着の噂も多々あるが、狂言強盗でなくてもよく襲われる。そしてそれを防ぐ為に催涙スプレーをほぼ必ず持っている。しかし宝石の場合「窃盗」というより「強盗」の方が相応しい響きを持っておるね。被害額「数千万円」で「宝石窃盗容疑」とは爽やか過ぎる。

 遺伝子を組替えてある農薬への耐性を高めた稲の品種がこの先、認可されてしまうだろうがあれはどう考えても危険だ。若苗の時期に強力な農薬を一回散布し、雑草をすべて枯らしてしまう。あとは出荷まで一切農薬を使わなくて済むというものだ。これを安全と言い張るのは無理のある話であって、雑草を全て枯らしてしまうほど強力な農薬を浴びて平然としている米など食べていられるものか。「遺伝子操作されているから農薬は効かない」「枯れないということは安全だということだ」こんな矛盾した論理が通用してしまう程間抜けが揃っている国だとは思いたくないのだが、残念ながら遺伝子技術の進行は止まらない。協力な農薬をたっぷり浴びた米を食べて人体に無害である為には方法はひとつしかない。「ヒトを遺伝子操作して農薬に対して耐性をつける」しかない。いずれにしても同じブランド同じ産地のものばかり食べるよりは毎回違うブランド・産地のものを食べて有害物質の体内への蓄積を最小限に抑えるしかないのだ。

 適当な対話録で誤魔化す気力さえなく、ただ書き出しの挫折したものを集めて再活。


かぞえうた 03/07/18

 阿呆な飲み方をしている学生の騒ぎを見て懐かしく思い、手前が当時叫んでいたヨサホイ節を忘れないうちに記録しておく。節回しは、まあ判るだろう。

一人娘とする時にゃ 親に隠れてせにゃならぬ
二人娘とする時にゃ 下の方からせにゃならぬ
醜い娘とする時にゃ 風呂敷被せてせにゃならぬ
他所の二階でする時にゃ 声を殺してせにゃならぬ
いつもの娘とする時にゃ 腰の抜けるほどせにゃならぬ
昔馴染みとする時にゃ 思い出し出しせにゃならぬ
質屋の娘とする時にゃ 入れたり出したりせにゃならぬ
八百屋の娘とする時にゃ 人参茄子でせにゃならぬ
こー、ごほん。小馴れた娘とする時にゃ 体を預けてせにゃならぬ
とー、ごほん。友の娘とする時にゃ 友を忘れてせにゃならぬ
獣医の娘とする時にゃ 匂い嗅ぎ嗅ぎせにゃならぬ
十二単衣とする時にゃ めくりめくってせにゃならぬ
巡査の娘とする時にゃ 手錠覚悟でせにゃならぬ
自信のなさそな娘とする時ゃ ゆっくり構えてせにゃならぬ
銃後の娘とする時にゃ 帯を解かずにせにゃならぬ
如雨露で水やる娘とする時ゃ 木陰に連れてせにゃならぬ
柔軟な体の娘とする時ゃ 折り曲げ畳んでせにゃならぬ
除夜の鐘付く娘とする時ゃ 百八つ数えてせにゃならぬ
女給の娘とする時にゃ あれこれ注文せにゃならぬ
にじり寄ってくる娘がいた時ゃ 据膳喰わぬは男の恥ーっ!

 これが二十番まである方のソフト路線のヨサホイ節。ついでに十番までの数え歌も併録しておく。

ひとつ 一人でする一気を オナニー一気と 申します
ふたつ 二人でする一気を セックス一気と 申します
みっつ みんなでする一気を 乱交一気と 申します
よっつ 夜通しする一気を 絶倫一気と 申します
いつつ いつでもする一気を おサル一気と 申します
むっつ 無理矢理する一気を 強姦一気と 申します
ななつ 生でする一気を 子作り一気と 申します
やっつ 休まずする一気を 抜かず一気と 申します
ここのつ こまめにする一気をマンネリ一気と 申します
とーさんかーさん こーんな私を誇りに思って見て下さーい!

 銅鑼声張り上げて飲むなどもう考えられない。こういう一気飲みが許されるべきかどうかに関わらず、あれは確かにひとつの通過儀礼であり、かつ半死半生だった時代の記念碑でもある。酒の味など関係なかった。酒の量など関係なかった。「何回吐いたか」が勝負であった。鮮やかに甦るのはゲロの味だ。

 馬鹿は死ななきゃ治らない?死にかけて治ることだってあるさと思いたい。


適当 03/09/14

ようし、では突込の練習でもしてみようか。

・「餅のような肌」 知ってるか?餅はひび割れてカビ生えてくるんやぞ。

・「水を弾く肌」 脂症ですなあ。

・「白魚のような指」 家事をせい家事を。

・「カモシカのような足」 毛むくじゃらてか。

・「大きな眼」 西川きよしの物真似してくれ。

・「流れるような髪」 ・・・。

 実はここで誤変換があって、本題を外れてゆく。

 誤変換。目標「流れるような髪」 現実「流れるよう中身」

  この誤変換には腹を抱えて笑ってしまった。直後色々発展形があることにも気付いた。「波打つよう中身」「濡れたよう中身」「爆発したよう中身」・・・。

 誤変換では他にも「あそこの学祭」が「あそこのが臭い」

 ほんで突然壊れ気味になるのは安い酒飲んだからやけど、だから「火傷」はやめろや。第二候補が「焼けど」て関西弁の変換弱いよなあ。各方言に変換するソフトってあったよな。今でもあるんやろか。俵待ちの、て、俵万智やがな、パソコン入門みたいな本が丁度FMタウンズ2の時代で世、よ、あの中で紹介されてた方言変換ソフトみたいな奴で一般に使えるレベルの物今ならあるかもしれんなあ。ところで数年前、誤変換誤植そのままの文章で一部の話題をさらったあの本はどうなったんやろうか。タイトルも著者も忘れたから読みたいと思ってても探すことが出来ひんのやけど、ネットで探せばすぐやろうけどなんかそういうの面白くない品。しな。確か著者は女性やったと思う。くそう、出た当時に読んでおけばよかった。まあ、映画の喫煙シーン制限の要望書簡ておい、倫理誘導の行き着く先は昔なら暴発やったかも知れんけど今なら電脳空間への依存度を高めるだけで、電脳空間の存在感が増すだけやねんから、喫煙シーンの制限要求てな意味のないことする馬鹿が居ることに対して呆れ返るしかないわけでな。青少年への悪影響悪影響て法律で禁止されている殺人の、「殺人シーンの規制」とかしたら即刻ハリウッドは窒息しますがな。結局煙草苛めたいだけなんやろうね。ほんで「えんがちょ」の語源て何やねんと思ったら「因果の性」とかなんとか。しかし子供時分「えんがちょ」て言うたやろか俺は。確かに糞とか踏んだ奴を囃し立てる言葉はあった筈やが忘れてしもうた。でもあれよな、靴の裏で糞踏んでそれが何故手で誰かにタッチしたら汚くなくなるんやろうか。靴の裏で蹴りに行くならまだ話は判るけどな、まあ、あれは単なる鬼ごっこの変形やわな。


だれだれ 03/12/29

 「『お知らせします。○○○○さんちのスリムな生活やせる知恵』という本を御返却なさった方、図書館の本ではありませんのでカウンターまで取りにいらしてください」

 この放送も残酷だが、捨てることの出来ない気持ちは判るが正面切ってリサイクル本として届ければよいのだ。ついでに捨てるにも恥かしい本など最初から買うでない。本を捨てるに忍びず譲るに恥かしく思い切って図書館に紛れ込ませたら後はどうにかなるとの浅知恵に対する反撃は恥かしいタイトルの全館放送という形となる。名乗り出る勇気はないだろうし第一返却した直後逃げるように帰った筈だ。そもそもタイトルで「あ。棄て本」と誰でも思う。

 「椿説弓張月」は三島と馬琴の題名だが、これをずっと「ちんぜいゆみはりづき」と読んでいた。つまり読んだことがないわけであって、しかし折に触れ目にする振り仮名は皆「ちんせつゆみはりづき」であったから正式なところどう読むのか気合を入れて調べてみるとやはり「ちんせつ」であったから「貴様等読まんぞ」と決意したことがある。

 「気宇壮大」これをずっと「けうそうだい」と信じていたのにある辞書で「きうそうだい」と知ってかなり落ち込んだ。

 「ガリレオ・ガリレイ」か「ガレリオ・ガレリイ」か「ガリレオ・ガレリイ」か「ガレリオ・ガリレイ」か、なかなか覚えることが出来なかった。今?「ガリ=ガリ」と覚えていますよ。スペルはこう。「Galileo Galilei」

 良い問いは良い答えに勝ると言う。そしてくだらない問いにはくだらない答えが相応しい。この後半戯言にしておこう。


突指 04/03/01

 登る階段で段差を蹴飛ばしていきなり突っ転んだわけだが、いつもの如く冷静に手をつこうと出したところ、掌で角を押さえるべきなのに手が蹴り込みまで滑って左手人差指を突いた。それが三日前のことで、単なる突指であろうと気楽に構えていたが、関節が段々腫れ上がってきて今では曲がらない状態だ。指を鉤の形に曲げるなど到底不可能であって、現在キーボードを叩く際は通常左手人差指で打鍵するところを全て左手中指で代用している。不思議なもので何故か滞ることなく打ち続けられるのは、「指がキーを覚えているのではなく、手が覚えている」からなのだろう。

 突指の療法として、「引き伸ばす」「押し込む」「揉む」「冷やす」「放置する」などがあり、しかしこれらは全て気休めの迷信であると理解した。関節とその下は熱を持っているのであって、見たところ色の変化は全くないが、関節の腫れ上がった人差指はまるでツチノコのようだ。

 強引に曲げなければ完全に無痛なので、対応が遅れたこともあるが、困るのはタバコのセロファンを剥がす時で、右手に箱を持ち左手の人差指と親指で摘んで引き剥こうとしたら曲がらない。仕方がないから親指と中指で引っ張るわけだが、左手でOKマークをした際に、中指から小指までは少しづつ開くようになっていて、これが美しさの理由なのだが、このOKマークから人差指をぴんと伸ばして親指には代わって中指を接続する。すると中指と連動した薬指が少し角度を戻し、しかし小指はそのまま、つまり好意的に解釈すれば「狐」であるが、煙草のセロファンを剥く際にこの手付きをしていたら、ただのオカマだ。

 突指で済んで良かったとも思うが、突指の癖に三日掛けて序々に腫れ上がるとは一体何様のつもりか。指を曲げられなくする権利など貴様にはない。勝手に発熱するんじゃない。いい加減にしろ。


諦観主義 04/03/08

 力を持った多数派が民主主義を動かし、力を持った少数派が社会主義を動かす。

 民主主義とはつまり少数派の意見を聞き入れない事であって、社会主義とは多数派の意見を聞き入れない事である。

 民主主義は衆愚制であり、社会主義は独裁制である。

 民主主義とは多数決の運用を以って動くわけで、少数派の意見を圧殺する以上、これは全体主義に繋がっている。

 社会主義と全体主義が似た物として扱われているのはつまり、民主主義の欺瞞を表している。

 民主主義は無責任主義である。

 新たなる有効なシステムを構築出来ないのは、そのシステムが存在しないせいか、あるいは現在の運用者が喜ばないかのせいであって、つまり選択の余地としては「受け入れる」「受け入れない」しか存在しない。

 主義という言葉はそれぞれ相応しくないが、それに代わる有効な言葉もない。

 「*主義」で検索してみたら余りにも意味不明なものばかり出てきて笑ってしまい、纏める気力を喪失したので諦めて、そのまま並べて垂れ流す。


再活 04/04/07

 こう、新年にさ、新年かな、年末かな、干支の引継式なる平和に無駄なニュースが毎年毎年毎年毎年あるね。あっちゃこっちゃの動物園ほか通天閣でもやっとるね。前年の干支から新しい干支に双方当歳と思しき子供を用意してやってますな。それらしきニュースの雰囲気だけでまたやっとんな程度にしか感じなくなる程どうでもよいニュースだが、あれ辰年の時どうしてたっけ?辰。龍。んんん?ふと回りに聞いたが皆「そう言えば・・・」と絶句していた。次の辰年は九年後か?引継式マニアはどこかに居らんのか。

  「著作物とは著作者が思想感情を表現したもの」なので、ニュースなどは、本当に事実だけを伝えているなら著作権は発生しません。しかしどこの新聞社も著作権云々と言っておりますので、あれらのニュースは事実を伝えているのではなくて、思想感情を表現していることを暗に認めていますね。記事の文章や構成を著作物として主張する以上、「思想感情を込めた」と現行法上では解されてしまいます。「思想感情は込めていない、事実の伝達だが誰にでも書けるというわけではない、情報の取捨選択は著作行為である」と苦しそうですが、日々思想感情が込められている記事を読む度に、確かに著作権があると思えるわけですが、著作物性を認めると今度は「中立」「公器」なる言葉が僭称となるわけです。仕方がないですね。先頃読売が敗訴したのは「ニュースの見出しに著作権はありやなきや」で、裁判所の判断は「ねえに決まってんだろ」でした。

 電子レンジで米を炊く方法があるらしい。最も手っ取り早いのは加水炒めだと思っていたので興味が湧いた。しかしその手続きは煩雑であった。米1カップ水1・3カップを耐熱ボウルに入れ、ラップを掛けてから穴を三箇所開ける。ターンテーブルには割箸を二本敷いて台とする。600w五分500w六分、沸騰したら弱にして12分、その後10分蒸らす。知っておいて損はないと言いたいところだが、残念ながらその手順を覚えられない。一度でも実行すれば覚える可能性はあるが、そこまで追い込まれる状況を作り出すことは難しい。お遊びと考えても楽しさを見出すことが出来ない。

 書き出しの挫折したものを抱き合わせ放流。


金縛り 04/06/04

 「必死で羊を数えている夢」を見て魘されたことがあるか。

 金縛りとは意識があるのに体が動かない状態のことで、「意識があるのに体が動かない状態になっている夢」と区別をつけねばならないが、明らかに覚醒していて瞼が半開きで物が見えながら周囲の音も変容することなく聞こえてくるのに体が動かない時は、そのまま眠りに落ちると心地よいが、起きねばならない理由があれば非常に苦しい。

 浅い眠りの時に発生し易いわけだが、「浅い眠り」の意味するところは、「眠り始め」、「眠っている途中で浅くなったところ」、「眠りから覚める瞬間」、「一度起きて目覚ましを止めてから二度寝した時」

 最後の奴が問題だ。起きて目覚ましを止めてから少しぼうとするつもりで楽な姿勢をとるわけだが、眠らないつもりで目を閉じていると目覚し時計を止めた行為が「一度起きた」との安心を保証し、そして眠る。ここで全てを諦めて深く眠ってしまえば当面の課題は先送りにされるが、浅くて金縛り状態になった場合は、例えば机に突っ伏した状態なり、腕を変な方向に突き伸ばして体の下に敷いている状態なりが、楽な姿勢であった筈なのに動けないから拷問だ。指先ひとつも動かせず、瞬きさえも出来ず、何故か屁だけは普通に出ることが苦しくて情けなくて悔しくて悲しい。

 眠りっ屁はその人が金縛りに遭っている可能性を示しているわけだが、それより何か金縛りが直ぐに解ける方法はないものか。お経なんて却下だ。理に叶っていて効き目のある方法を、金縛りに遭ったその日は一日中考えている。


支離滅裂 04/06/06

・法律が存在しなければ警察官と裁判官と弁護士は失業する
・犯罪者が存在しなければ警察官と裁判官と弁護士は失業する
・ゆえに犯罪者は法律である

 これはどこも間違っていない。実際に、ある傾向の犯罪の多発を受けて法律が制定或いは改正されるわけだから、犯罪者が「俺が法律だ」と嘯くのは実に正しい。法律を無視して法律の枠外で生きる者こそがつまり法律を成り立たせていて、警察官と裁判官と弁護士の生活を支えているのだ。

 ところが仕事を失いたくない人々は「これは犯罪である」「あれも犯罪である」と次々に手を拡げるものだから犯罪の撲滅は不可能である。些細なことでも犯罪と認定される社会は遠からず崩壊する運命にあるが、歴史を糧に終局を先延ばしにする社会もたまにある。それとて長続きはしないのだが、長続きとは歴史を眺める立場から見た印象のことであり、実際にその社会と共にあれば出口のない絶望感に包まれる。

 好んで成長期の社会に身を置く人々がいる。成長期とはつまるところ混乱の最中にあるもので、締め付けの甘さが実力を存分に発揮出来ると承知しているからこその行動であり、彼等にとって安定期に入った社会は魅力あるものとは移らない。また安定期の社会の側も彼等を必要としない。

 彼等が弾かれる社会は安定期に入ったと言えるが、それは同時に緩やかな衰退期に入ったことを意味している。


安直 04/07/21

 「エチケット袋・ゲロゲロ」の命名感性に衝撃を受け、手にとって見ると特許云々とある。通常そのような場合はなるべく目立つところへ誇らしげに番号を印刷してあるわけだが、これはどこに書いてあるのか判らなかったのでおそらく出願中か出願検討中か勇み足なのであろう。

 それにしてもだ、酔った際に「え?吐く?じゃこれ!」と手渡された袋に「ゲロゲロ」とあったならば、嘔吐感に伴う涙と悲情の泪が混ざり精神的に追い詰められること請け合いだ。「おまえな、吐きそうで苦しいときにやな、なんぼなんでも『ゲロゲロ』はないで」

 それでも大抵はエチケット袋とは言わず、通称は「ゲロ袋」だが、それはあくまでも日常生活の中で使われる言葉であり、非日常たる嘔吐秒読み状態にあっては「袋ある?」と婉曲表現される。そこに固有名詞を投入してみたまえ。誰かが今にも吐きそうな中、世話役が叫ぶ。「ゲロゲロある!?」余りにも残酷ではないか。

 用途目的の確定には抜群の効果があることを認めよう。しかし本当に酔い易い体質の人間の気持ちを考えてのことかどうか問いたい。乗物に酔う者が「ゲロゲロ」を手にとって買う勇気があると思うのか。三セットで千円安売り店で八百円程度、それなら走行中の車の窓を開けて勢いよく吐き垂れ流し捨てた方がましだ。左側はもしかするとバイクが居るかもしれないし、居なくても後でそこを通ると滑るから、くれぐれも右の窓から噴射するがよい。

 「爪ピカッシュ」の感性にも腰が砕けた。このような伝統はケロリンがすべて悪い。そういえばケロリンが頭痛薬であることを知っていても、「ケロリン」の語源が、「ケロリン」の言葉の由来が、「ケロリン」の名が採用された経緯が判らない。安直に「けろりと治る」から「ケロリン」で、そのまま宣伝役に蛙を登用したのではないかと想像するものだが、実際のところはどうなのか不明だ。もしこの語源が正解であってもさほど嬉しくないだろうと考えるのは手前だけではあるまい。


再活 04/07/23

 仙人掌とはサボテンと読むもので、西部劇ではおなじみ棘々の植物である。噂に聞くのは「サボテンステーキ」の存在であって、見た事のないまま想像すると、アロエのような雰囲気と食感ではないかというあたりが精一杯だ。そもそもサボテンには如何なる効能があるのか知らないのだが、妙に体に良さそうな印象もある。ところでサボテンを天麩羅にしたならば、やはり「サボ天」となるのだろうか。

 「HIP-HOP」を知らない頃、いや今も正確な定義や性質は知らないままだし格別知りたいとも思わないのだが、初めて「HIP-HOP」という言葉を聞いた時、「ヒッポッポてなに?」と問い返した経験は忘れたい過去だ。

 超能力でスプーンを曲げるという技があるね。あの系統の超能力は何故金属に限るのだろうかね。サラダ用の木製スプーンをへし折らずくねくねに曲げることが出来るならば少しは感心するかもしれない。

 「轢き逃げ事件に御協力下さい」という看板をよく見るが、あれでは轢き逃げを奨励しているふうにも読める。「轢き逃げ事件の捜査に御協力下さい」と『捜査』の文字を追加すればそれでよいのだから、その程度の手間を厭うでない。

 書き出しの挫折したものを抱き合わせ放流。


再活 04/11/10

 安く売っていたシャツの袖に釦穴のないことを知らないまま釦を切り外してしまった場合、仕方がないからピンズで無理矢理代用する。しかしピンズ裏留の外れ易さは言語道断であり、何かして腕を上げて下げると外れ落ちて転がる音が聞こえる。これがまた跳躍力を備えていて確かに外れて落ちた音を聞いて袖を見て外れたことを確認していざ探してみても周囲には見当たらない。諦めて針側も捨てようとすれば、針の返しががっちりと引っ掛かっていて裏留なしで機能を果たしていることに少しだけ動揺するが、潔くその辺の樹木に突き刺して飾っておく。

 どうしても起きねばならない理由がある時、伸びをする気力さえも沸かない場合は指で瞼を抉じ開けて静止する。まだ眠っている頭に視覚情報が強制的に入力されて血が巡りだす。直後に溢れて止まらない涙は起床行動を促す要因として作用するから理に適っている。

 十数年来にわたる吃逆との戦いを経て、ついに確実にぴたりと止める物理的な方法を確立した。以前に編み出した技であって、その後も色々と試していたが、最終的に失敗なく三秒以内に止める方法はひとつしかなかった。すなわち「涙がそれぞれ最低一粒づつ出るほど本気でえづく」のであって、人前で披露するには有り余る勇気を必要とするが、確実に止めるこれ以上の方法は確認されていない。えづく際に肺の空気が搾り出されることで横隔膜に何らかの影響を与えているのではないかと推測するものだが、とにかく三秒以内に止める方法を体得したことで無生産な時間を削減することが可能となる。

 味と性能を兼ね備えた喉飴が存在しないのであって、甘くて好印象の喉飴は咳止めの力が不足している。咳止めの効果が抜群である喉飴は薄荷が強過ぎて後頭部が涼しくなる。トローチは最も望ましい均衡を持しているが、溶解が早過ぎてつい噛み砕いた切片が喉に張り付き咳を発生させる。

 書き出しの挫折したものを抱き合わせ放流。


コネ 04/11/17

 「人付き合いを大切にせよ」

 この言葉に類する表現は人生訓として数限りなく存在するが、幾ら遠回しに飾り立てようともその意味するところはただひとつ、究極の真理たる伝説の名言「コネも実力の内」に他ならない。

 コネクションを作る手腕を磨くことが奨励されているわけで、人的資源と言い換えたところで所詮は縁故人脈義理手蔓、「コネ作りも実力の内」というべきか、元々の意味は何もせず縁故を 持っているのは実力の内であるという銀匙主義を示した言葉であるが、縁故のあることが実力であるならば、縁故を作ることも同様に実力と評価される。だから「日々コネ作りに邁進せよ」と言えば済むのだが、残念ながらそこには権威が存在しないので角度を変えて修飾した「人付き合い云々」を講釈として垂れるのである。

 一心に打ち込める何事かを見つけられない者達による共通逃避題目の「恋愛至上主義」、これを唱えて将来に目を瞑ってる人々の場合は無意識ながらも上の教えを本能に従って実行しているのだが、その方向を少し曲げれば多少の名も残せように、目的へ至る為の動機が明らかに異なるので人生訓ではなく単なる手段のひとつとしか認識しないから馬鹿にされる。

 実は最初に誤変換があった。目標を「人付き合い」に設定し、ここで「ひとづきあい」と「づ」を用いれば本来は発生しなかった事故なのだが、入力する瞬間に「下手にづを使うと誤変換される可能性がある」と判断して「ひとつきあい」で変換した。しかしながら現実は「一つ気合」なのであって、煙草の煙で咽せながらも気分を奮い興して再び変換してみると、新たなる現実「一突き愛」が現れた。それぞれ内容が微妙に関連しているかに見えるあたりに足を取られてしまい、「たった一突きで済むならば楽だがそうはいかない」 「人付き合いはひとつ気合で一突き愛」などと並べてみたりするうちに、虚ろな気分が醸成されて以降続ける気力を喪失したので唐突ながら幕を引く。


歩く 04/12/13

 水上を歩いてみたいと思うのは本能なのか。

 古来より様々な方法が試みられたが成功と呼べる形式は確立されていない。水面を歩いたとの伝説を残す忍者が用いた水蜘蛛と呼ばれる浮輪は、人間の体重を浮かすことは不可能であって、また残っている書には肝心の技術は口伝として明らかにされておらず、水蜘蛛の他に何かの道具が必要であることを示しているものの、最早口伝は途切れて話にならない。

 確か西洋の古い問答で「沈むより早く足を前に出す、それを繰り返す」という理論が発見されてはいたものの、あくまでも理論上の話であって亀を追い越すことの出来ない兎と同じ類の小噺と思っていた。ところで円盤状の石を回転させつつ水面へ投ずると、石が水面を跳ねながら飛んでゆく水切りと呼ばれる遊戯があり、あれを見れば人間も高速で走り抜けたら多少は歩けるような気がするわけだ。当然これも理論上の話であるからまさか実践しようとは思わない。

 すると先日衝撃の映像を見る機会があった。某巨大移民国家には多数の馬鹿が存在していることは知られている。その国のとある動画保管庫には、日本国内ならば規制されるような本能に訴える作品や、「カメラは見た、決定的馬鹿の瞬間」の如き動画が多数保存されており、ニュースなどで「今週の世界の馬鹿」のような特集はここから拾っているのではないかと疑うほどの充実ぶりであって、その中に唖然とする動画があった。

 燦々と降り注ぐ陽光の下、ジェットスキーに興ずる奴が映っている。ジェットスキーとは小型の船やバイク式の船から綱を出し、その先にはスキーを履いた人間がしがみついて引き摺られながら水面を滑る遊びだ。スキーに限らずスノーボードなどを用いる場合もあるが、上級者は裸足で水面を滑る技術を有していて、その動画の男も裸足と笑顔で引き摺られていた。カメラは船尾から男を捉えており、画面には空と海と綱と男だけしか映っていない。

 すると突然バランスを崩したのか意図的に手を離したのか判らないが、とにかく綱の先端から男が離れたわけだ。それまでは高速で水面を滑っていたから勢いは止まらない。すなわち沈まない。そして笑顔のまま裸足で二・三歩ほど水面を歩いたのだ!直後思わず手を付こうとしてそのまま腕から沈んでゆく姿を最後に映像は終了したのだが、これを見た時には感心しつつ呆れつつ、人間やる気になれば何でも出来るのだなとしみじみ思った。


再活 05/01/08

 何故一月に蚊が居るのか理解に苦しむ。飛ぶ気力がないのかどうかひたすら壁を這い続けていて、指先で軽く押し潰して捨てたが余りにも覇気のない蚊であった為、多少の憐れみも湧いた。野菜が旬を失って年中供給されるようになった事と歩調をあわせて蚊もまた年中発生するようになったのかもしれない。

 ある文章の中で、読点の位置を前後に動かして別の意味を持たせる読み方を「薙刀読み」と言う。「弁慶がな、ぎなたを」と切った馬鹿に由来するもので、同音異字以外の誤変換ではこれがよく出てくる。同音異字では駄洒落にしかならないところを薙刀で切ると意味が著しく変化し、変化した内容は最初の文章を基にして抜群の効果を生む。しかし薙刀読みの最高峰はこれだ。
「乳癌は、男性にも稀ながら見つかります。」
「乳癌は、男性に揉まれながら見つかります。」
今後これを越える破壊力を持つ作品はまず出ないと思われる。

 飲み過ぎて気分が悪くなると同時に排便欲が発生した時、げろか糞かどちらを先に出すべきなのか。理性は先に吐瀉した方が心理的に楽であろうと告げている。しかし糞の方が切羽詰っているという本能の報告もある。便所の床に撒き散らすならばどちらであるかと考えれば糞が先である。糞の上に吐瀉するのは抵抗があるから一旦水を流すが、勢いよく気持ちよさそうに流れる水に誘われて吐いてしまう。水流が落ち着いたら流れなかった吐瀉物が浮遊している。もう一度水栓を捻っても水がまだ溜まっていないので流せない。

 犬だが、白いから「シロ」黒いから「クロ」左様なる安直な命名はやめたまえ。「綱を外して遊ばせていて、そろそろ帰ろうかと思って『タロー!』と叫んだら辺りの犬が一斉に振り向いたこっちを見た、そんなにタロウが多いのかと思った」という話もある。それは単に大声に驚いただけであろうと思うが、もう少し独創的で気の利いた命名をしなさいよ。そう思った経緯はこう。 「昔飼ってた犬はポチョムキンでしたよ。ゴールデン・レトリーバ」 「格好ええやん。戦艦ポチョムキンの、由来はあれは確かクリミアの提督で何とかいう女帝の愛人やったんよな?」 「う、詳しく知らないですけど、動物病院で薬の袋に『山本ポチョムキンくん 雄 五才』とかって書かれて珍しい名前ですねとか言われて」 「確かに珍しい」 「でもポチョムキンは長いから普段は省略して、通称ポチ」

 書き出しの挫折したものを抱き合わせ放流。


集中 05/01/16

 集中力にさほどの自信はないが、それでも時折集中していたことを後から知る機会がある。

 何かを書いている場合、仮にキーボードに向かっているならば両手が塞がっているから問題はない。手書きである場合や本を片手で読んでいる場合、そして空いている手に煙草や禁煙パイポを持っていない際に途方に暮れた手が大人しくしていればよいのだが、例えば親指の爪で額の同じ部分を繰り返し擦り続けていたりするのであって、気が緩んで便所にでも行きふと鏡を見ると額が青丹で出血を起こしていたりする。

 頬の場合は直ぐに皮膚が破れるから気付くが、額は何故か伸縮性に富んでいるから内出血を起こしていても全く気付かず、看板に激突したような跡が残ってしまう。どうかすると擦れ違う人の尋常ではない驚き方に当惑してやっと知ることもある。

 また足も割に感覚が鈍いので気付かない。ひたすら掻き続けていて本を捲る手を変えた際にページが血塗れになってから足を見ると気が遠くなる。そういえば途中で掻く力を弱めたような覚えもあったりする。

 そのような傷は集中力の証であるが、同時に精神の狭窄を示してもいる。煙草を喫うことも忘れるほどの集中は稀であるから、そのような傷が稀にしか発生しないことは喜ぶべきなのだが、それはつまり集中する機会が少ないことを意味しているから複雑だ。

 手遊びの道具として剣の柄によく似た木製つぼ圧しを一時期使っていたこともあるが、単純に痛いので集中出来ず、玩んでいたら取り落とした効果音で更に精神は引き裂かれ、最終的に落ち着くのはやはり禁煙パイポとなる。

 禁煙パイポも最近では紙巻煙草サイズばかりではなくてホームズの使うようなパイプとそっくりのものがあり、これはこれで重宝するのだが、口に銜えてぴこぴこ動かしていると集中力など高まろう筈もなく、結局は落ち着く為に一服しようかと煙草に手が伸びるのだ。


関節 05/01/28

 関節が鳴る。

 季節に因るものではなく単純に関節を鳴らす癖が止められないだけだが、最近は鳴る場所全てを鳴らし終えないと気が済まなくなってきた。

 静かな怒りを表現する場面にありがちで陳腐な指の関節は、中国式挨拶「拱手」のような形から指の根元を鳴らすのだが、それを越えると指の第一関節を伸ばしながら鳴らすことになる。

 中でも首の関節は鳴らし甲斐があるもので、準備運動として肘を膝に付けて手で顎を持ち、首を傾けてぺきぱきぽきぱき鳴らす経験をして以降は、首を振り廻すだけで鳴らせるようになり、それは風体に不思議な迫力を加えたらしい。

 手首も足首も股関節も一通り鳴らし終えると爽快な気分になった錯覚に陥るが、うまく鳴らなかった時が問題だ。拱手で指が一本だけ不発の場合は実に不快であり、何としてても鳴らしてやろうと突指もしていないのに引っ張ったり押し込んだり捻ったりした上で、どうにか頼りない音が鳴ったとしても突指をしたかのような痛みが残る。

 腹筋の格好で首を腹の方へ曲げると延髄のあたりから小気味よい音が鳴るのでこれまた止められないが、これは格別体に悪そうなので方便として腹筋を組み込む。「腹筋をする途中で鳴った」と自らに弁明するのだが、腹筋に飽きるとついでに腕を立てて伏せてみようと思う。そしてその最中に肘が鳴り、肩が鳴り、肋軟骨あたりが鳴り、注油するべいかとBLAVODに手を伸ばす。


再活 05/02/11

 梅干も蜜柑も葡萄も林檎も苺もワインもアルカリ性食品だなんて言われりゃ人間不信に陥っても仕方ないよな。科学的に見るとそうなんだとさ。それぞれの酸っぱさも何らかの効能があると認めた上で「そんでもアルカリ性」とはやる気なくすよな。「物事は見かけによらない、感じても判らない、分析しなければ」ってのは大層立派な箴言になると思うが、それを生むきっかけが「何で梅干がアルカリ性やねん!って思ったから」いうのは少々恥ずかしいもんでな。

 ま、関西人なら「大阪で生まれた女」とか「大阪ラプソディ」とか「雨の御堂筋」とか、育った時代が完全に外れておっても不思議に胸が熱くなるもんでね。大阪ラプソディは昔の上沼恵美子が歌っていたとか、雨の御堂筋は漢字出すの面倒臭いから一発目の変換で勝負するがオーやんフィーフィーが歌っていたとか、そのあたりまでなら知っとる。ほんである日驚愕するわけよ。「雨の御堂筋の作曲はベンチャーズ」「!」そう、パイプラインとかダイアモンドヘッドのてけてけの人々よね。そこで発生するのは「滅っ茶有名なあのベンチャーズが作曲を・・・でも・・・輸入品やったんか・・・」の屈折した誇りでな。あれはどうにかならんもんかな。

 籠で白鼠飼ってる場合さ、「狭いけど運動させにゃならん、その運動は飼主が見て楽しめねばならん」の旗の下で車輪が開発されたやんか。丁度良え速度で走りゃ安定するけんど少しでも疲れたら脱水機みたいになる奴な。あんな残酷で楽しそうな装置を鼠ごときに独占させておくのはいかにも勿体ない。確かに人間にも歩行機とか走行機があるけどな。それで十分笑える状況はあるけどな。どうせなら鼠と同じように車輪の中で走れるもん作れ。疲れても急には止まらんからごろごろ転がって危ないけどそれが楽しみなんやから安全装置なんか必要なし。遊園地あたりで「動物に与えられてる気晴らしを人間サイズに拡大したもの特集」とかやったらええねん。

  「輝き」を「蒲焼」と聞き違えて以降、頭から離れなくて困る。「鰻の輝き」てな気持ち悪いだけでな。ぬめっとるだけやし。「ダイアモンドの蒲焼」もどうかと思うでな。タレ付けて焼いたらぴしとか言うて割れそうな気するし。なんか紹介とかで「〜さんは何々賞に蒲焼ました」とか聞こえてまうと体中の穴という穴から空気が漏れるでな。もうやっとれんわ。

 書き出しの挫折したものを抱き合わせ放流。


雪 05/02/28

 静寂を切り裂くのは不意なる突風で、凍える躯を押さえ込みつつ拡げた足に力を入れ、細く息を吸うことで多少なりとも寒さを和らげるつもりだ。

 しかしそれらの方法が通用するのは雪が降っていない場合に限られる。雪が降る為には気温の低下が求められるのだが、その寒さに開襟シャツで対抗しようとすれば極度の困難が待機している。

 耐え難く雨が降っているならば仕方なく傘を用いることになるが、雪の場合は傘を用いるかどうかの判断に迷う。元々雪など数年に一度の割合でしか見たことのない人間に雪への正しい対処を求めることは間違っている。

 雪か積もっていれば傘が必要で積もっていなければ傘は無視という態度を一応貫いてはみても、服には雪が積もるのだ。例え傘を持っていても意味の不明な強風で雪が真横に飛ぶ中を傘など差していられないと慰めてはみても、傘を持たずに右半身だけ真っ白になっている己の姿を発見した時には何かが間違っていると確信しながらも解決方法を考え付かない。

 髪に積もった雪はやがて消えるが、正確には消えるのではなくて溶けるのである。すなわち水となって右半分の髪だけしっぽり濡れて乾いたままの左側がまるで寝癖にしか見えず悲しくなる。




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