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男のポケット
バンダナ
時計
小銭入れ
ブランド
ジッポ
BLACK DEVIL


耳掻
鍵束


薄着
ベルト
裾上


「気取る奴と気障な奴の違いは何か?」

「花を育てる奴と花束を贈る奴」

男のポケット 03/06/17

 さて、男のポケットについてはどうだろうか。

 一部の特殊な人々を除いてセカンドバックを持つ男は余りいないので、どうしても鞄かポケットにいろいろ詰め込むことになる。そして毎日内容が変わるわけではないからそれぞれに定位置が決まってくる。この定位置は通常中学生・高校生あたりで決まってしまうことが多いようだ。ポケットのあるズボンを穿き出す年頃だ。しかし話を聞いた中に一人だけ小学生の頃に定位置が完璧に決まっていたという男がいた。詳しく聞いてみると、思い違いをしていた。ませた餓鬼だったのか、育ちがいいのかと思ってしまったのだが、話はもっともっと単純だ。

 落ち着いた勤め人に見えたが、実はかなりのズボラであると前置きして、いや、これは聞いた話を相槌を抜いて再構成したほうがわかりやすいだろう。

「実は結構ズボラなんですよ。結構というかかなりというかね、昔から。それで小学生の頃です。鍵っ子だったんですが、鍵をよくなくしまして。四回だけですけどね。それで四回目になくした時に母が突然怒り出して鍵のポケット決めなさいと叫んだわけですよ。小学生のズボンですからね、ポケットの場所なんか全部バラバラですからね。成長期でいろんな服を貰ってくるから統一性もないし。それでも鍵は右の尻と決まりました。右尻ポケットならほとんどのズボンに付いてますからね。付いてないズボンは、いかにも取って付けたような、実際そうなんですが、普通とは逆の台形のポケットが縫い付けられました。鍵が落ちにくいようになんでしょうね。口のほうが狭いポケットです。あれは駄目ですね。一目で自分で付けたポケットと判る上に『間違えたの?』ですからね。それは穿かなくなりましたが。「せっかく付けたのに」と言われても子供心というものがありますからね。鍵は右尻に決まりましたがあとついでにいろいろ決められてしまったんですよ。左尻が財布。右前がハンカチ。左前がその他。何も言う暇がなくて「あーあー」でした。でも決めてしまうと凄く楽ですね。その頃からずっと今でも変わってませんよ。習慣というか癖というか。それでもいろいろなくすことはなくすんですけどね。そうそう、この前父がポケットから色々出すのを見ていたら何と全く同じ定位置なんですよ。あれには驚きましたね。思わず母にこっそり聞いてみたら『父さんがそうしろって。親子っぽいしって』で、父に聞くと『母さんが親子なんだから同じにしようよって言った』ですよ。まあそんなことなんでしょうけどね。本人たちは凄く照れてるんですが、実は僕が一番照れてることに気が付かないんですね」

 いい話ではないか。「親子」を強制している気もするが、彼はきっと生まれた子供が男の子ならば鍵を右尻に、その他全く同じ定位置にさせるのだろう。そしてやがて親に言われたことをそのまま言うのだろう。嗚呼、家族だ。

 ところで手前の配置ははどうか。何度か変わっているが、今落ち着いているのは右尻に財布。左尻にバンダナ。右前に時計・小銭入れ。左前に鍵・ライターとなっている。現在不思議にひとつも鍵を持っていないのでライターと煙草を押し込むこともある。左尻にはティッシュを詰め込むこともある。

 ところが「衣替えの季節」というものがある。年中スーツならば迷うことはないが、ろくに葬式にも行かないのに普段からフォーマルスーツを着ていた時代、ポケットが多すぎてどこに何を入れたかわからなくなる。やはり最初はすべてのポケットを使ってみたくなるのであって、ペン挿しには当然ペンを挿すし櫛ブラシ用ポケットには当然コームを入れる。内ポケットには携帯電話、メモなどを入れるし、背広の右前ポケットの中の小さいポケットには何を入れるべきか悩む。当然こんなことは一日あれば、コームを紛失し、シャツの胸ポケットに入れた煙草、背広の携帯電話が重なって鳩胸になり、そもそも背広のポケットの蓋のようなベロが出るべきか収まるべきか悩んでいるのを見ると、「背広のポケットは使うものではない」との結論に毎年達する。

 男のポケット、使わずに済ませたいものだが、確かに小学生の頃から比べて、今ではポケットなしでは生きていけない気もしてくる。それだけのものを今、果たして抱えているのだろうか。今ポケットに入っているものは大人になった証なのだろうか。このポケットの中身がそれぞれあの頃からより成長した象徴なのだろうか。メンコは名刺に、暗号帳はシステム手帳に、ビー玉はパチンコ玉に、消しゴムは別のゴムに。成長?とんでもない。本質的には何も変わっていない。遊びの対象が変わっただけだ。では「大人になれ」とはどういうことだ?「遊びを止めてつまらない人間になれ」ということかな。ポケットはどうなるのだ。大人の男なら鞄ぐらい持ってるさ。では鞄の中身は。ううむ、大して変わらないか?


バンダナ 03/06/18

 ハンカチを持たない男も多く、更に自らアイロンをかける人ともなれば「潔癖症」「完璧主義者」「暇人」等の烙印を押される。どうせ一日様々な局面で使うことになるからアイロンの意味はほとんどない。しかし「ついでにハンカチもアイロンを」の気分がわからないわけではない。水を注ぎ込んでしゅうと言うまでじっと待ち、幾つかあてた後、高温になってぷしゅうんぷしゅうしゅう「さあさあ調子が出てきたでぇ」と嘯いているかに思えるアイロンを見て、「折角だから他に何かないか」とハンカチ、靴下、タオル、布巾、眼鏡拭き、果ては玄関マットを「再び毛羽立たせてみよう」確かに暇人ではある。

 女性がアイロンを当てたハンカチを持っていても何も違和感がないが、そのハンカチを使わないというのは何かおかしくないか。「違います。使うハンカチはこれ。こっちはいざという時に」つまりこうだ。誰かの非常事態に素早く取り出して貸してあげる為に、アイロンを当てた綺麗なハンカチを使わずに持ち歩いているのだ。彼女にとっての「誰か」とは、当然「もろ好みの男」に限られるわけだが、なかなか機会がないとぼやく。少し考えると、「ハンカチを持ち歩く清潔ないい男」は貸す必要がないし、「ハンカチを持たない不潔な男」は好みではないとなってしまい、永遠に出会いはないようにも思う。しかし「清潔ないい男がたまたまハンカチを持っていない時を。それに持っていなくてもいい男はいるでしょ」いると思うが、同時に彼女もいると思う。いずれにしろ、諦めないのは大切な事と学んだ。もし今お茶を零したらハンカチを貸してくれるだろうかと考えたが、貸してくれなければ悲しいし、その前に「俺ハンカチの代わりにバンダナ持ってるから」という会話があったことも思い出して、冒険はやめておいた。

 ハンカチを持つのは照れがあるのでバンダナを使っているわけだが、用途が広く大変重宝する。安く売っているところで纏めて買うので、勿体無いとは全然思わず、遠慮なく捨てる事ができる。ただ、一度困ったのはトイレでティッシュがなくて、「さらばだ」と呟いてけつを拭き、捨てようとした時だ。バンダナは嵩があるので流してはいけない。今まで二度流してみて二度とも詰まらせたまま逃亡した経験からして、必ずごみ箱に捨てねばならない。ところがその時個室の中にごみ箱はなかった。ない場合は結構多いので洗面台の下に捨てようと考え流して個室を出るが、出てもごみ箱はない。さあどうする。手には糞したあとけつを拭いたバンダナ。どうする。どこに捨てる。まずは手を洗おう。その前にバンダナの摘むべき場所を確認しておこう。出てどこかで捨てよう。「きちんと手を洗ってハンカチで手を拭きながら出てきた人」に見える事を祈りつつ、けつを拭いたバンダナを慎重に捧げ持ち、つい癖でそのバンダナで手の水を拭き取りそうになった時の焦りが心臓の高鳴りに残ったまま、必死にごみ箱を探す。濡れたままの手でハンカチらしきものを妙な持ち方で摘んでうろうろしている人がいたら決して近寄ってはならない事がこれでわかる。

 バンダナは買った当初、ごわついているが、何度も洗い、使っているうちに馴染んでくる。ところが使い心地が最高の状態になった頃を見計らって不測の事態がやってくる。何かを結ぶ必要があったり、洗う気にもならないものを拭く必要に迫られたり、犬との引っ張り合いに使ってみたりしてその命を全うする。ハンカチを何枚か用意して使いまわすのではなくて、一枚のバンダナを擦り切れるまで使って洗い干す。薄いから簡単に洗えるし広げておけばすぐに乾く。風があれば数分で乾いてしまうのでアイロンなどあてるのが馬鹿馬鹿しくなる。乾かそうとして窓に貼り付けることはあまりしない。乾けば自然に落下するのであり、落下した窓の下辺りというのは通常埃が待機しており、洗った意味がなくなることも多い。

 辮髪であった時代、海賊風に頭に巻いていたが、今は大人しい髪型であるから、まずはただのハンカチ代わりとして使うほか、風呂に入る時に使う。タオルの代わりに用いる。乾くのが早いから実に有難いのだ。軍手ひとつで風呂に入る人を見て以降バンダナひとつで入ることが増えたが、気をつけねばならないことがひとつある。バンダナでサウナに入ってはならないのだ。サウナ室では厚手のタオルを敷いてあるが、そこに色落ちしたバンダナから滴る水が腰を抜かすような染みを作るのだ。通常黒いバンダナを使っているが、腰を上げて出て行こうとするとそのあたりには紫色の染みが付いている。「そんな色のもの何か出したか」と激しく動揺するが、バンダナの色落ちと気付けば、少し落ち着く。そして誰もいなくなるまで我慢して、一人になった瞬間染みのついたタオルを裏返してこれまた逃亡することになる。


時計 03/06/19

 腕時計には個性が出る。一点豪華主義と言って貧乏を丸出しにしている奴もいれば、真冬にダイバーズウォッチをしている奴もいる。風呂に入る時にダイバーズウォッチを外す奴もいる。つけたまま入ればそんなに見せびらかしたいかと笑われ、外せば防水の意味がないとやはり笑われる。だからダイバーズウォッチを普段の生活で装着しているのはとても勇気がある人であり、ただの馬鹿とも言う。

 タイの土曜日チャイナタウンで買った邦貨およそ三百円程のネックレス型の時計をしていた。ネックレスとはいえ、ただのステンレスの長い鎖であるから姿勢を変えるとちゃらちゃら鳴ってうるさい。ことに猫背であるからそれが浮いていると「今姿勢が悪いのだ」と自然に気が付くのだが、何しろ三百円、実に十分元を取るまで使ったと思う。およそ三センチの天道虫の形をしたステンレスのケース、天道虫の触覚が大きく突き出ていて、それを頭の中央に寄せるとぱちんぱちんと鳴って羽が開く。中には一センチ半ほどの、女性用腕時計の小さい奴が納まっている。文字盤は黒灰色で数字のところには宝石らしくカットしたかに見えるガラス粒がくっついている。12のところだけ赤い粒で一応上下を間違えることはない。この三百円で買った時計の電池を交換する為には、千円払わねばならない。その度に理不尽な思いに囚われるのだが、最近めでたくぶっ壊れたのでもう気に病む必要はない。竜頭が知らぬ間に脱落して竜頭の付いていた細棒が曲がっており、文字の代わりに配置されていた粒が何故か全て自由に動き回っている。多分最初に外れたひとつが跳ね回って次々別の粒を解放したのだろう。傾けるとざらざらと鳴って下に押し寄せる。そしてこれは砂時計よりも役に立たない。何故ならば、全部の粒が綺麗に移動するわけではなくて、必ずひとつふたつ針と針の間に引っかかっているので、針が先へ進まない。壊れたのはそれだけかと仰せか。では問うが、竜頭を直し、文字盤の粒を一掃し、修復もしくは別の文字表示にする修理代に幾らかかると思うのだね。電池交換で千円だぞ。二度交換したから既に六つ買ってお釣りが来ている。この修理に本体幾つ分払えばよいのかね。

 従って今、手前が持ち歩いている時計とは、懐中時計であって、大阪は四天王寺の古物市で買ったものだ。人差指と親指で輪を作るとそこにぴったりはまるサイズの蓋なし表裏ともガラス歯車発条その他機構が丸見えのローマ数字のものだ。最初に落とした際に裏蓋がぱかりと外れて慌てたが、よく見ると中の部品は一つも外れず平然と動いている。どうやら派手に見えるのは単なる仕掛けで、普通の機構に少しばかり何の役にも立たない飾りをつけてケースに押し込んだものらしい。

 だから随分乱暴に扱った。ことりと机に置いただけで裏蓋が外れたときにはさすがに溝を爪楊枝でぴよよよよよとえぐったが、手入れと言えるのはそれくらいだ。しばらく使っていると段々外れなくなってきた。やはり溝の滓を除去したからだと満足して、ついでにそれならさらにぴかぴかにしてやろうと爪を立てて無理矢理裏蓋を外すと、外れ難くなっていた理由がわかった。単にゴミと錆びが接着剤になっていただけであった。

 どうももう少し構ってやったほうがいいのではないかと考えていじくりまわして針を外してみると、くにゃりと曲がってしまう。この薄い針は一度曲がると二度と元の形には戻らないのであって、それをわかっていながらいろいろ試してみたが、どうしても別の針と干渉してまともに動かない。仕方がないので鋏で切り、金輪際絶対に針には触らないと誓いを立てながら元に戻すと、秒針が短針よりも短い。そして秒針を剣に見立てると中心が鍔になり、反対側に短く出ている柄のようなところ、こいつが短針よりも短い秒針に対して妙な角度がついている。つまり、短い短い秒針が遥か遠くに12を指した時、本来直線となっていて6を指すべき柄は4を指している。短い短い短い秒針が4を遠くに一生懸命指すと柄は8を指すものだから「へ」にしか見えない。そういうものを、毎日螺子を巻かなければならないガラスにひびの入った時計を何故使っているのか。もしかしたら手前はとても情が深い人間なのかもしれない。あるいは必死に元を取ろうとしている欲が深い人間なのかもしれない。欲が深いから情も深くなるのかもしれない。単に同じだけ深いだけかもしれない。情と欲が深い。これは合体させてはならんな。「情欲が深」黙れ。時計を相手に何を言っておるのかね。


小銭入れ 03/06/20

 財布についてなのだが。

 右尻に入れる財布には小銭を収納する機能が付いておらず、というよりも財布が硬貨で膨れ上がっているのが嫌いなので紙幣と硬貨を分けることになる。長い間硬貨はそのまま右前に放り込んでいたが、歩く際にちゃらちゃら鳴るのはどうにも耐え難い。そこでいくつかの小銭入れを使ってみたが、開け閉めが大変で気を抜くと団子状に膨らみ、しかも目当ての硬貨だけを摘み出すのは非常に難しくつい掌にぶちまけることになる。小銭入れが事態をややこしくしているだけであることに気付いてからは、ちゃらちゃら男に戻ったが、ある時、理想的な小銭入れとはどんなものだろうか、出来るなら自分で作ってみようかなどと考えて、半日かけて出た結論がこうだ。

一、膨らんではならない
一、開閉が手軽でなければならない
一、目当ての硬貨を簡単に摘み出せねばならない

 これを小銭入れ三原則と名付けて、形を模索するうちにどうやら理想と表現してもよいのではないかと思えるものが確固と浮かんだ。形は薄平べったいライターのサイズ。銀行で細かく両替をしたら凶器になりそうな塊がごろりと出てくるが、あれをずらして寝かせた形に収納すればよい。縦に細長く、旅行会社の前のパンフレット状態で硬貨を詰め込む。開くときは上からではなく、最も長い一辺だけを残してスーツケースのようにぱっかり開く形がよい。中で動き回ってちゃらちゃら鳴るのでは意味がないから何か柔らかい生地で裏打ちされたもの。当然五百円玉が余裕を持ってすっぽり収まりながらもちゃらちゃら鳴ってはいけない。そしてそう、当然皮製でなくてはならない。小銭入れだからこそ、皮でなくては。しかしそういうものを売っているところを見たことがないぞ。確かに一度もない。何故だ。あれば便利じゃないか。「硬貨だけを集中管理出来て簡単に開き簡単に摘み出せてしかも薄いライターサイズの小銭入れ!」これもしかして作れば馬鹿売れするのではないだろうか。儲かるのではないだろうか。をををを。素晴らしいアイデア商品ではないか。

 そして今。合成へなへな皮革の三辺ファスナー小銭入れを使用している。真黒に焦げた餃子を叩き潰したゴキブリのような雰囲気ではあるが、使い心地は抜群だ。ちゃらちゃら鳴らず、ポケットがぽっこり膨らまず、硬貨の出し入れが感動するほど楽なのだ。

 で、この小銭入れ、悲しいことに売っていたのだよ。百円均一店印鑑入れのコーナーに。


ブランド 04/05/20

 広告とは売り込みたい側が金員を支払った上で媒体側の宣伝が実行されるものだ。

 ところが世の中とはややこしいもので、金員を喝取した上で勝手に喜んで宣伝してくれる阿呆を多数抱えている企業もある。金を貰って宣伝するなら話は判るが、わざわざ金を払って宣伝するなんて奴が一体どこにいるのか。

 そこらじゅうに居りますな。商品だけではなくて商品とともに品質の保証と格式を買ったのだと言い張る間抜けの多いことと言ったら呆れるばかりだ。ブランドに熱中するそこの皆様、貴様等のことだ。

 ねえ。原材料費と人件費に加えられた無意味な印の、鼻血を噴出す程の上乗せ分が有難いですか。品質保証を謳っておいて有料で修理させることに疑問を感じませんか。ブランド信仰者とは、大枚はたいた上に喜んで宣伝している馬鹿に見えませんか。

 品質と品質の保証は金でどうにかなりますが、格式は買うものではなくて内面から滲み出るものであり、「格式を買う」と言うのは「私のどこをどんなに絞っても格式など出てきません」と表明しているに等しい。

 己の価値観を持っていないから金で測ることの出来る安易な目安に飛び付く。それがどれほど醜悪なことか判らないのか。なるほど金で測るのも一種の価値観と言えなくもない。その代わり「君の価値観はつまりお金か」と言われると反論してはならないことになる。

 ブランド品を持つことが何になる。下劣な見栄か?自己満足の優越感か?誰もが持っているから欲しいのか?誰も持っていないから欲しいのか?有名だから欲しいのか?理由もなく欲しいだけか?

 「高い物を身に付けていないと馬鹿にされる」というのは、回りに金で物事を測る奴しかいないだけのことであって、わざわざその馬鹿と同じところまで降りてゆく必要などないではないか。飾りに凝るから飾りしか見て貰えないのだ。一度全ての飾りを取り払ってごらん。その時貴方には何が残っていますか。


ジッポ 04/06/27

 考えてみればジッポライタでは随分無駄をしたものだ。

 なんとなく数えてみると七台使ったことになる。殆どが大学生の頃の話だから馬鹿馬鹿しい。最初にあったのは無地の一番安い型であれは分解して以降のパーツ取り専用となった。保証書が無かったからこれは仕方がない。拾ったものだった。

 二台目は自分で買った。黒ニッケルのもので下地を出すべくせっせと角を擦っていたものだ。これが最も長くそして過酷に扱った。ジッポライタはどうしても蓋の開け方や点火方法をあれこれ研究したくなるもので、最終的に完成したのは上下逆さにヒンジを向こうに、そして下に位置するジッポの蓋を持ち、手首を上に返すと本体がその重みで回転しつつ開き手の甲で受け止め、親指をずらして火花を飛ばす技であった。余りにも大袈裟ながら同じ方法で点火する人を見たことがなかったので悦に入っていたのだが、ある日突然本体と蓋を繋ぐヒンジが切れて蓋だけ手に残して本体は遥か後方へ吹っ飛んだ。そのようなとち狂った点火方法をする人がいない理由を悟り、修理に出し、新品のインサートになって返って来た。これは今でもある筈だ。

 三台目はゴールデンバットのデザインだった。煙草のゴールデンバットが箱になった記念のキャンペーン懸賞で当てたもので、オールドジッポの雰囲気を醸すレプリカで、暫く使っているうちに黄銅は手垢で輝きを失っていよいよ古い雰囲気になった頃、何処かのカラオケ屋でテーブルに置いたまま席を外し戻ってみると消失していた。

 四台目もまた無地のもので、これは合宿教習の最中に教習車のシートの隙間に落ちていたもので、芯も綿もないただの抜け殻であったが、単純な機構であるから瞬く間に再生させた。布団の綿を詰め込み、百円ライタを分解して石を流用し、芯は黒ニッケルの修理で得たインサートのものを半分に切って捻じ込んだ。オイルを注して点くようになると同室の教習仲間に呉れてやったから実質所持期間は一日もない。

 五台目はチタンコーティングのもので、鏡のような存在感に惚れ込んだが、一度アスファルトに落としただけで瑕だらけになり、「チタン製」と「チタンコーティング」の違いを学習し、以降鏡のように磨き上げると余計に瑕が目立ち、だから益々乱暴に扱い、そして磨かなくなり、やがて虹色になった。手の油が作用したのだと思う。これも探せばある筈だ。

 六台目はトーテムポールとcanadaの字が掘り込んであるもので、バンコク土曜チャイナタウンで掘り出したものだが、同時に買った初代てんとうむしの時計が既に使い潰したことを考えると少々感慨深い。これは黄銅だが直ぐに錆びるので手入れに難渋し、タバスコに漬けて汚れを落としてから半紙で包み、そして密封した。今どこにあるだろう。

 七台目はベトナムジッポで、これは卒業記念に貰ったものだが、どこで紛失したか忘れた。非常に悔しいが仕方がない。考えてみると自ら金を出して買ったものだけが残っているのであって、ただで入手したジッポは悉く手を離れている。そうは言っても勿体ないとする思いは強い。やがてジッポは持ち歩くものではなくて、しかし蒐集するほどの気合はなく、日常的に使うには少々面倒で、あれこれを計算して「割に合わない」と結論し、火が点けば何でもよいとする合理主義者となった。飽きただけでもある。

 煙草を喫い始めたのが大学の二年で、実質三年間で七台を廻して飽きたのだから無駄以外の何物でもない。底やインサートの年度記号を暗記したり削ったり磨いたりとそれなりに熱中した筈なのに、腕時計やサンダルまでもジッポに染めていた阿呆は今百円ライタを愛用しているのだが、ひとつだけ皆様に聞きたいことがある。

 何故百円ライタは一度も紛失しないのか?


BLACK DEVIL 04/09/20

 なんとなく馴染になった煙草屋では「AROME VANILLE」を主軸に変な煙草を色々試す奴」と認知されていて、「こういうの入ったんだけど、どう?」と薦められた煙草が「BLACK DEVIL」であった。

 普段の装いが常に黒一色であるから、黒包装されたJPSも結構喫うのだが、それと似た雰囲気の黒い箱で、赤い丸が蓋にひとつ胴の表と裏にひとつづつの合計三つ、その赤丸の中には二本角で三叉の熊手を持ち左足を右足の前で爪先立たせてちょいと気取った姿勢の黒い悪魔が笑っている。臍と乳首にみっつの点があり、これは悪魔の赤子らしいと知れる。

 BLACK DEVILの文字もまた書体の不明な書き殴った風であり、それは「20 BLACK FILTER CIGARETTES」の文字も同様であって、それだけならば実に嬉しくなる雰囲気を醸し出している。しかし残念なことに、この煙草、専門店の人が「新しく入った」と言う通り、警告文が激しい。表の胴にはこう書いてある。

喫煙はあなたにとって肺気腫を
悪化させる危険性を高めます。
(詳細については厚生労働省のホームページ
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/main.html
をご参照ください。)

 表の下三分の一がこれで占領されていて風情もへったくれもない。裏の下三分の一にはこうある。

未成年者の喫煙は、健康に対する
悪影響やたばこへの依存をより
強めます。周りの人から勧められても
決して吸ってはいけません。

 やけに目立つのであるが、この文面ならば未成年者は大喜びで見せびらかして吸うことが確定してしまうではないか。タールは10mgニコチン0.8mg、何処からの輸入なのかとひっくり返していると、「HEUPINK BLOEMEN Ootmarsum HOLLAND」とあった。これは確かオランダの筈だ。

 ひとまず蘭製と承知して、「バニラ系統の味で結構美味しいよ」と言われたことを思い出し早速一服点けることにする。包みを剥がして蓋を上げ、フィルタ周りが黒いのを見て感心する。白か茶色しかない煙草のフィルタにはやはりうんざりしていて、アロバニの黄色フィルタも洒落ていて気に入ってはいたものの、真っ黒は珍しい。そう思って一本引き抜くと、全部黒い。

 全部黒いとはつまり葉を巻いている紙が白ではなくて黒いのであり、フィルタそのものは白いがフィルタ巻きの部分は艶のある黒で巻き紙は艶消しの黒、そしてフィルタには線だけならまだしも気分を壊す文字が入っていたりするが、時として番号も印刷されていたりするが、このBLACK DEVILは金色の線を一本だけという外連すれすれの格好良さだ。

 香りはバニラというよりも、夏の海水浴場の焼けた砂のようで、つまりココナツナツミルクだ。悪くない。喫ってみると薄い甘さが鼻から抜けてゆく。黒い巻紙が燃えるところに不思議と魅入られて、これは大変気に入った。箱の警告文がその全てをぶち壊して余りあるのだが、灰皿は燃えてしまって煤と成り果てたフィルタ達の如き様相であるが、惚れたものは仕方がない。どうせ自販機などには入りはしないだろうから暫くは俺の傍らに居ろ。


髭 04/09/30

 髭というもの、実際は剃るのが面倒で無精しているわけだが、実は一応長さを揃えてはいる。

 どういうわけか生来髭が薄く、特に鼻の下など産毛程度のもので、下顎の中心部分つまり「梅干!」と叫んで皺を寄せるあたりだけ太く硬い奴等が疎らに生えている。通常「山羊」と形容される。自らの薄さから考えると、口の周り全て覆い尽くし挙句揉上まで繋がっているなど信じられないものである。

 それでも梅干部分は普通の髭と呼んで差し支えない奴等が生えてくるので対処せねばならない。毎日剃るなど面倒極まりないので無精髭が選択されるのだが、髭というものは鏡でも見ない限り状況を把握することが困難であり、それはつまりあまり注意を払わないことを意味しており、無精髭であるからそれは問題ないかに思えても、時として妙な癖が付いているところを手遅れになってから知ることになる。

 長さを揃える為には電剃刀や安全剃刀を使わない。必要なのは鋏だ。櫛を使うほどの分量はないので手櫛の気分で、しかし分量がないから単に人差指と中指で挟み、余ったあたりを切り落とす。三糎の目安は格別の意味もなく単にそれが切り易い長さであることに起因する。それでも三糎あれば奔放に跳ね回るには充分であり、それ以上伸びると次第に揃わなくなってきて、やがてまた切り揃える。

 髭が髪の如くしなやかに艶をもって存在してあればよいのだが、髭の短さと強張り具合は寝癖への敗北が約束されている。寝癖が単純に「右向け右」なり「左向け左」であるなら構わないのだが、困るのは途中で屈折したまま固着することであり、それは非常に見苦しい。一般に髪の寝癖の場合は湿らせて乾かすことで修正可能だが、厄介なことに髭は乾かすと元の形に戻る性質を有している。形状記憶なる表現が適切であろうかと思われる。

 それらの辛苦に耐え切れず諦めて毎日剃るのは敗北主義者である。


裾 04/11/04

 ジーンズはもう数年来穿いていない。

 作業着にブランドがあり、中古に非常なる値段が付けられていることに肩を竦め背を向けてきた。スーツの下をスラックスと呼んでいて、これはジーンズまでの強度はない代わりに何しろ通気性に優れ、色が落ちたりせず、夏涼しくて冬暖かいからずっとスラックス派で、ザックを背負っていてもスラックスの場合侮られることは少ない。インディジョーンズ風の帽子との相乗効果で、過去にたった一度だけ考古学者と思われたことがある。

 普段激しい作業などしやしないのにジーンズを穿くのは服飾観念として一般的になっているようだから、他人が熱心であったりすることに不審は持ち合わせていないが、「ダイビングしたことないのにダイバーウォッチしてるのは馬鹿だ」とジーンズ穿いた奴が宣うところに居合わせてしまうと、真っ直ぐに積み上げられている背骨が崩れ落ちる感覚に襲われる。

 夏には暑く重くて冬には冷たく重いジーンズを愛好する人々を誹謗するつもりは殆どない。ただ少しだけあるから聞いておくれ。主義として私服ではジーンズ以外穿かないことを貫く信念は評価したい。「洗わずに干す」という常識を超えた常識が跋扈している事も、それが主義ならば大腸菌等を撒き散らさない限り構わないと思うべく努力する。

 また裾を長めに取って足首の上でだぶつかせていることは、足を長く見せる効果があり全身が引き締まって見えることを知っているわけだから、非常に喜ばしい。なのに私服でジーンズしか穿かないと公言している奴に限って、スーツの裾が短か過ぎるのは何故か。君は、君達は、立った状態では裾がだぶついていて、座って足を組んだ状態で丁度踝を覗かせる程度の裾の長さが、最も格好よく見えることを知っていながら、何故にスーツで足を組んだ際に裾と靴下の間から脛毛に挨拶させているのかね。

 スーツの裾がだぶついているのが格好悪いとでも思っているのかね。君達は立った状態で裾のだぶつかない長さぴったりのジーンズを見てどう思うのかね。多分手前が君のスーツに対して考えているのと同じことを思っているよ。立った状態で長さがぴったりで、座って足を組めば脛の半分まで裾がずり上がるジーンズは格好良いかね?君はそれをスーツで実行して格好良いと思っているのかね?

 スーツの裾の長さもまた、だぶついて立った状態では靴下が全く見えずに靴に被さっている状態が望ましいのだ。椅子に座っても少し長めで、足を組んだら丁度良い長さになる程度の裾が理想なのだ。ジーンズと同じだろ?

 見苦しいぞと言ったところで納得しまい。もてないぞと言った場合の結果は絶大なる効果が約束されているが、それでも意図してスーツでは短足に見せたいと望むならば何も言うまい。


耳掻 04/12/09

 実は重度の耳掻依存症である。

 綿棒とは痒さを和らげる効果があっても耳糞を掻き出すようには設計されていない為、重度の耳掻依存症である人間は匙状の竹耳掻を欲する。確かに綿棒は耳の中の産毛を捻り切る機能を備えてはいるが、匙で耳糞を掻き出す快感を知る者からすれば次善以下の下策である。匙になっている耳掻がどうしても必要だ。

 しかしながら耳掻とはよくよく行方不明になるもので、普段の何でもない時には迷わず待機している癖に必要とする瞬間は何処かにお隠れ遊ばしておられる。「耳が痒い。今すぐ耳掻が欲しい」と思ってしまった以上、いくら小指を付き立てても満たされず、爪楊枝の頭を恐る恐る突っ込んで掻いてみても根本的な解決には至らず更に痒みは増す。

 新品の竹耳掻は匙の角度が急であり不用意に使うと出血の可能性があるので、包装を解いてまずするべきは匙の角度を寝かせることである。何かに押し付けてゆっくり角度を調整すればよいのだが、気が急いている場合は噛んで強引に好みの角度を作る。しかし急激に曲げると薄い竹はあえなく疲労して望んでもいない「角度自在耳掻」と化す。耳糞を掻き出したと思ったら匙である筈の部分が単なる箆に成り果てている。これは角度を決めてライターあたりで炙って焼きを入れればよいのだが、少しでも焦がしてしまうと諦めてそのまま燃やす。

 鞘のついた金属製の耳掻は角度の調整が難しい上に痛いのであって、観光地の土産屋で一度買って失敗すれば以降見向きもしない。また観光地の耳掻は悪戯として誰のものとも知れぬ耳糞がごっそり張り付いたまま放置されている場合があるので手を出すべきではない。封印包装されているものが安心だ。

 しかし耳掻の喜びは耳糞を掻き出すところにはなく、実は耳の中で立てられる音が最大の理由となっている。がさごそと聞こえる日常生活では有り得ない響きが何故か病み付きになる。毎日穿っておれば耳糞はほとんど出ないから不燃感が残るわけだが、それでも耳掻を差し込む角度を変えると思いがけないほど奥まで入り、鼓膜を擽ることで集中力を鍛錬するようになる。


鍵束 04/12/20

 キーホルダーは何を使うか。

 いわゆる鍵束であるが、その中心の輪に何を用いるかは格別の拘りがなければ単なる輪で済ませている場合が多い。

 一方カラビナを使って十数・・・・・・鍵の助数詞は何だ。錠前ならば一錠二錠、それは薬だ。おや?ざっと調べてみたが鍵には固定の助数詞は存在しないのか。一本二本でよいのか。そうか。カラビナを使って十数本の鍵を重そうに束ねて満足している者も居る。あれは落下音が自動的に警報を兼ねているから合理的と言えなくもないが、ポケットの中に収めず腰にぶら下げているのは執事のつもりかと思う。

 鍵束は簡潔にして要を得ておればよいのであって、無駄な装飾はポケットが見苦しく膨らむので避けるよう心掛ける。しかしながら鍵束を分解する必要に迫られたり、紛失したりすれば、気分を変えてみようと何か変わった鍵束を作りたくなるものだ。

 一人暮らしを始めると所持する鍵の数は急速に増えるのであって、束にしておくことで普段の便利を確保しつつ、紛失時には身動きの取れない状態に追い込まれるわけだが、それでもまとめて管理することの長所が多いから束ねる。

 手前の場合、まずは単なる輪であったが、その後一人暮らしなのに鍵が異常に少なくて余りにも寂しく、つい出来心で針を外した疑似餌を装着した。一センチ角程度の河豚みたいな魚が鍵束に連なっているのは不思議に和むものであったが、使っているうち次第に塗装が剥げてきて、半透明の丸いでこぼこの物体と化した時点で諦めた。

 次は南京錠に鍵を通して、これは数年愛用した。南京錠も当然吟味した上で最も小さかった縦横一センチで厚さ四ミリ程度の、しかし値の張るものだった。可能な限り単純にしようと考えた結果、間に輪を使わず、鍵の小さい穴に直接南京錠を通したものだから、妙にぼってりとした鍵束となりポケットは少々膨らんでいた。南京錠の鍵を紛失したから事実上分解出来ずに使い続けるよりほかの道はなかったことも長期愛用の理由に挙げられる。ある日鍵屋で一式全て複製して元の鍵は処分してもらい、ついに決別したが次の鍵束の輪には何を使うべきかとしばし考えた。

 先頃てんとうむしの懐中時計が空中分解し、ばねのないまま組み立てて、それが再び空中分解して今度はねじが消えた。すると懐中時計の蓋の役目を果たしていたてんとうむしの羽根を固定出来なくなり、直径一センチ余りの立ちもしない置時計となった。これに使っていた鎖を鍵束の輪に使ってみようか。鎖は一本のそれぞれ先に時計と留具がある形ではなくて、首飾としても使用可能な輪鎖であるから、さほど膨らむまい。

 非常に快適だ。何しろ鍵束を出す際に掴む必要がない。適当な指に適当に引っ掛かればずるずる引き摺り出すことが出来る。時折鎖の癖に結び目が出来ていて腹も立つが、一応金属製の鎖だから浮いたりせず底に沈んでいて音は全然発生しないし、なのに落とせば恥ずかしい程派手に響くから紛失する心配はしなくて済む。

※後から気付いたが、「南京錠を開けて」と言えば安く済んだ筈だ。


糸 04/12/22

 スーツやコートの新品であれば、裾に糸が付いている。

 仕立てた場合にも付いているかどうかは経験がないので知らない。基本的に吊るされている場合やブレザー制服の生徒などが裾の切れ目を糸で縫合させたまま闊歩する。本人はおろしたての新品を着ていて得意気な様子を隠そうとしても、それが新品であることは後ろから見た人は全員難なく察することが出来る。

 買ってきて、値札や商標のあれこれを一通り外したつもりでも、糸は裾の末端しかも裏側であるから目立たない。試着した筈なのにいそいそと着てみて、正面から眺めて満足する。横を向いて満足する。後ろを向いて首を捻って満足する。何故に振り返った鏡で眺める後姿に裾の糸を発見出来ないのか。

 その原理は至極単純だ。貴方も試してみるがいい。例えばコートを着て鏡に映った後姿を眺める時は、何と「自分の顔しか見ていない」のだ。あとは精々肩口までの曲線を点検して、次は顔と服の色合に考えがゆく。裾などまるで気にしない。裾を見る時は裾の長さと裾から出ている足を見て、「足が長く見えるだろうか」としか考えておらず、切れ込みが新品の証として縫合されたままであることに思いが至らない。

 ただしこれは微笑ましい類の恥晒しであるから、基本的に情けない話ではない。それでも道行く人の裾が縫合されていれば「新品で誇らしいのだろうな」と思い、気を悪くさせないように注進したくなるわけだ。「あのもしもし。いえ怪しい者じゃありません。違いますスカウトじゃないです。違いますナンパじゃないです。違いますキャッチセールスじゃないです。違います勧誘じゃないです。待って下さい話を聞いて。そのコート新品でしょ?だから話を聞いて。やめて大声は出さないで。違いますって。だから!そのコート!裾に新品の糸が付いたままなんですってば!」しかし残念ながらそのような台詞が吐けるほど肝が据わってはいない。

 だから気の毒に思いつつ半笑いで眺めていると手前の表情と視線につられた人が「ふ」と笑い、それにつられた人も「ふ」と笑い、意地悪ながらも経験があるからこそ笑えるのだと見送るだけなのだ。


櫛 05/01/07

 平べったい櫛は幾つ買ってもすぐ紛失する。

 男は通常櫛を持ち歩かないものだが、平らな偽鼈甲の櫛は例外だ。あの形状の櫛を特に「combコーム」と呼んでいるが、combが指す内容は、我々が普段コームではなくブラシと呼ぶ櫛も含められる。

 あの櫛を紛失する状況は凡その見当がついている。何かの拍子に屈むと落ちるのである。背広の左内側には何を入れるべきなのか迷うポケットが二つほどあって、上のひとつはペンでも挿しておればよいらしいが、時としてペン専用のポケットもあり、何を入れる為に存在しているのか悩みたくなるところへ懐中時計などを入れてみたりするが、とにかく底が浅い為にすぐ落下する。通常落ち着いた物腰で日々を送る人ならば何を入れても問題なかろう。しかしそそっかしい人間からすれば何か落とした物を拾うべく腰を折り手を伸ばすと拾った瞬間にシャツのポケットから煙草が落ち、煙草を拾った瞬間にライターが落ち、ライターを拾った瞬間に手の荷物が均衡を崩して散乱する。再起動の為に仕方なくしゃがむ羽目になる。

 この過程で妙に底の浅いポケットから櫛が落ちるのは至極当然の事であり、他の落下物に紛れて落ちればそれに気付こうものだが、何しろ底が浅過ぎるので大した動作でなくても簡単に落ちる。またこの平らな櫛を買うと丁寧な事に鞘が付属してくるわけで、鼈甲に似せたプラスチックの櫛を皮に似せたビニールの鞘に収めただけでも妙に雰囲気が漂い嬉しくなるのだが、しかし鞘は落下時の消音効果が抜群であるから困るのだ。

 僅かな身振りで音もなく落下した櫛に気付くことは事実上不可能なのであって、何度も買い何度も紛失する。紛失することが判っているのだから最初から買わねばよいのだが、急遽櫛が必要になる機会があった場合、出来るだけ荷物にならないように存在感も実際にも薄い櫛を選ぶのであって、その後は半日持てばそれでよしと考えるから「まだ落としていないか」と確認することもなく忘れてしまう。

 従って本物の鼈甲で作られた櫛を買う可能性は絶対にないと誓うことが出来るのだ。


薄着 05/01/13

 思わず「アホですか」と呟いてしまうほど寒い。

 割と汗をかく体質だから基本的に薄着志向であるが冬には難渋する。「着るのは二枚」という戒めは少々無謀であるが、北上する機会は滅多にないので鼻水垂らして空元気を張っている。それでも関東冬の夜はかなり厳しい。

 実は寒冷蕁麻疹という持病があり、それが身体鍛錬の理由になっている。急な寒さに対して発疹するもので、蚊に喰われたような跡が無数に出て、掻き毟ると腫れは酷くなる。蕁麻疹が出るのは主に手首や太腿と臍周りであって、実に掻き易くて痒い場所に限られているのが腹立たしい。 体質に拠るものだから伝染はしないし説明する時は「鳥肌の激しいやつ」で問題なく、単に痒いだけで他の身体機能には一切の影響がないから格別不自由することもなく、是が非にも治療せねばとは思わないのであって、だから消極的な体質改善すなわち「鍛える」が選択される。

 鍛えるとはいうもののずぼらな性格だから継続的に何かをすることは出来ないので「冬でも二枚しか着ないこと」という鍛錬の概念が薄い行為を通して寒さに強くなろうとしている。実際のところ寒さに慣れてしまうと「見ただけで寒そう」と言われても当人は割に平気なのだが、そのまま暖かいところに入ると今度は 温熱蕁麻疹が出てしまう。

 寒冷温熱いずれの蕁麻疹も出てしまうと仕方がないので痒みを必死で忘れねばならない。下手に暖めたり冷やしたりすると発疹は益々赤く鮮やかに浮き上がる。時折「もう消えたか」と確認する程度では決して消えず、完全に忘れてしまわなくては消えないのが不思議なところで、だからある程度心理的な要素があるのかもしれない。

 寒冷蕁麻疹は暖かい地方から寒い地方へ引越すと急に出たりするから誰であろうと油断してはならない。手前の場合何年も冬の薄着を続けているが、それでも水風呂に入るとあっさり発疹が浮かんでくる。「それは何の病気だ」「何処で貰った」などという言葉は聞き飽きているので遠慮願いたい。


ベルト 05/01/20

 女ほど衣装に気を使わない男にとって、ベルトは重要な意味を持っている。

 それは男の装飾品の少なさが、無意味に派手なネクベルトや高価な腕時計やサイズよりブランドに拘る靴に向かうのと同様の重要さであり、すなわち他に飾ったり気を使ったりする小道具が女より少ないからこそ、相対的に重視される。

 当然全く気にせず用をなせばそれでよいと考える男も大勢居るのであって、彼等にとってベルトは単なる消耗品で草臥れてきたら躊躇いなく新調するから格別の注意は喚起しない。

 しかし新しいベルトを入手して、それは当然「大は小を兼ねるのだ」との妙に長いベルトを前に迷う男が存在することも事実だ。そのままでは孔が行き過ぎるから、端を切るか適正な位置に孔を開けるかの選択なのだが、新しいベルトを切るという行為は後ろめたく感じられ、ならば切らずに適正な位置に孔を開けるかと言えば、予め並んでいる孔から随分離れた位置が適正なのでそこだけにぽつんと開けるか、それとも全く役には立たないが眺めて満足する為にぽつぽつぽつぽつぽつぽつと新しい孔を連貫するか、とにかく迷う。

 中には迷わなくともよい金具がある。孔に引っ掛けて固定するのではなくて挟みつけるだけなので長さが自在に調整可能なものだ。これは大変に便利であり、時として片手で締め緩めすること出来るくらいだから一度使うとなかなか止められない。しかし挟む機構が半円の歯車様のものだからベルトには縦に筋が幾本も付いてしまう。長さの微調整が可能な代わりに跡が汚く残るから寿命は短い。

 手前の場合ベルトの金具でない方の先が左の腰のループを潜っていないと落ち着かないのであって、だからベルトを新調する度に困るのだ。蛇革やエナメル質のベルトは趣味に合わないので無地の革しか使わないが、合成の革であれば躊躇なく穿孔も切断も出来ようのに正式な革に対すると毎回慄くのだ。これは本革なのだ。勿体無いと思わないか?

 そもそも孔を開ける為の道具がないから錐やらレンチやらを動員して表から裏から攻め立てる。慎重に表から位置を決めてもいざ貫通してみると最初からあった孔の列を微妙に乱しているのが腹立たしくなる。

 ならいっそ切ってみるか。そこで思い至る。手前はこれまでベルトを切った経験がない。そういつも孔を開けて対応してきた。何事も経験だからやってみようか。しかし切り過ぎたらどうする?孔は幾つかあるのだから留まるかどうかは心配ない。心配なのは金具の左すぐにベルトの先が来てしまうとちんちくりんに見えるかもしれないことだ。まずは腹廻りを測ろうか。ズボンは67を穿いて少し余裕があるからそれより少し長くすればよい。測ると71だった。さてこの71は何処から何処までの長さであるのか。

 眼前で締めて緩めてを繰り返し観察した結果、金具の先端と目標の孔の距離かと推定される。その長さを丁寧に測って切る前に眺めてみるといかにも短く見える。不安になったので少し弱気に少し長く残して切る。早速締めてみると適正な位置に孔がない。だからさっき測ったじゃないか。精一杯長く使おうとして一番締まる端の孔を基準に測ったから、長めに切るとそこより先には孔がなくて当然じゃないか。

 ベルトを切るという行為は上の結果極度の精神的疲弊を招き、微調整の為にもう一度切るなどという選択肢はなく、無念ながらも普段通り少し列を乱した孔が穿たれた。

 切られたベルトは鞄の持手に加工するには短過ぎる。何かに使えないものかと思案した結果、とある観光地の土産屋で半田鏝で革を焦がしながら文字を書き入れる芸があったことを思い出した。だからこれは鏝で焦がして何かの文字か文様を描く為の素材としよう。そうしてまたひとつ宝箱にごみが増えるのであった。


裾上 05/03/09

 絝の読みは「はかま」で、示偏を「はかま」とし、以降は糸偏を「ズボン」と読むことにする。

 絝の裾は通常足の長さに合わせて調整されるが、調整した後に固定する方法として折り返しの長さが判別出来ないよう同色の糸で縫い付ける方法と裾上テープを利用する方法がある。糸で縫い付けた場合は近くに寄ると確かに縫い目が見え、裾上テープの場合は折り返しの高さが段差によって一目瞭然となるのでこれは好みの問題となる。裾上を頼む店に店によって違いもするが、どのような方法であろうと固定されているならば問題はない。しかし内側に折り返された裾が何かの拍子に外れてしまえば悲惨な目に遭う。

 一時的に長袴のような歩き方になるのは仕方がない。針と糸を絶えず携行している男は滅多に居ないから折り返しの癖を信じてその日を乗り切ろうとするわけだが、その後の処置として裾を上げて固定せねばならない。仲が良くて針と糸を常時携行している家庭的でいい女が身近に居たならば応急処置を施して貰えるが、そうでない場合は男の知恵が発動される。

 「ホチキスで留める」確かに留まり、長袴状態にもならず折り返した内側と筒の内側にある耳とを留めれば針の痕跡は表面に見えないから快適に思える。だからつい本格的な裾上をしないまま、クリーニングに出しても外れず戻ってくるからそのまま穿こうとする。しかし糸で縫い付けたり裾上テープで接着させたりした場合と違い、脹脛の両脇二箇所をホチキスで留めただけでは折り返した裾が袋を形成する。穿くと足がその袋に差し込まれて出てこないのだ。

 しかし絝を穿こうとする状況では大抵何かの時間が迫っているもので、その場はひとまず足を通し裾上問題を先送りにして凌ぐ。以降は単にその繰り返しである。この循環を断ち切る為に針と糸でちくちく縫うのは何故か気恥ずかしいから裾上テープを用意する。テープは濡らした後に熱したアイロンを押し当てて接着させる仕組みであるが、説明書を詳しく読まない性格の人間はここで失敗することになっている。

 濡らせたテープの何処に糊があるのか不審に思いながらまずアイロンを当ててみるとぴったり張り付く。ただし張り付いた先は絝ではなくアイロンの裏だから焦るのであって、そのまま指で剥がそうとして充分に熱されたアイロンで火傷する。

 ひとまずアイロンが冷めるのを待ち、銀色の糸に見えた物質が糊であるらしいことを把握し、アイロンの糊を念入りに拭き取ってから程よい長さに折り畳んだ裾の間に挟み、アイロンは直接当ててはならないことを学習したから今度は問題なく接着出来る筈だ。

 再び熱されたアイロンを慎重に動かし、完璧に接着出来たと確信した喜びは直後に打ち砕かれた。裾の長さを決める為暫定的に折り返していた裾はどういうわけか表に折り返してあったので、耳が露出しており汚くて長過ぎるダブルの裾になっていた。

 再び焦って引き剥がそうとするが実に完璧な接着であったから下手をすると裾の方が破れてしまう。蒸発して接着したのだろうからもう一度濡らせばよいのではないかと考えて濡らしてみても何故か剥がれない。手遅れになってから説明書を読み始めた。すると「剥がすときは濡らして熱せよ」とあるではないか。熱する必要があったのかと思い慎重に剥がしてみると糊の跡が非常に汚い。これを正しく裏返してアイロンを当てた場合、もしかすると汚く残った糊で今度はアイロンと裾表が接着されてしまうのではないだろうか。

 そもそも濡れた後アイロンを当てる度に剥がれるならば裾上テープの効能は一回きりとなるのではないか?もしかしてこれは使い捨てなのか?そんな筈はないから自分の理解がどこかで間違っていることを悟りつつ静かに夜は更けてゆく。




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