「分類に窮するってつまり?」
「孤立しているわけだ」
- 名前 03/02/09
何気なく自分の名前を検索したら同姓同名異読の著名人を確認してしまったのでこちらの名前を変えます。
先方さんはこちらのことなど当然知る由もなく、ただ一人で踊っていただけですが、まあ、仕方ありますまい。
こちらの名前を「鶴弥兼成(つるやけんせい)」に変えます。
まだメタを書き込んでいないサイト本公開前でよかった。他にも問題あるなら今の打ちにまとめてかかって来んかい。
ハリウッドにマイケル・キートンという渋い役者がいます。彼の本名はマイケル・ダグラス。その名前で既に活動しているマイケル・ダグラスがいるので、本名のダグラスからキートンに変えたという話がある。こちらはそれほどのスケールではなく、しかも分野も違うし読み方も違うのだが、明らかに先方さんの名前を侵しているので変更しました。
キートンという名前、それはそれでバスター・キートンと関係があるのかどうかというまた別の混乱があったかどうかは定かではありません。
そう、映画といえば、クライブ・カッスラーのダーク・ピットシリーズがついに映画化されるようです。アメリカで大変人気のこのシリーズ、一度だけ映画化されたそうだが、あまりの出来の悪さに原作者のカッスラーが怒り狂って二度と権利は売らないと頑張っていたものをどのようにして説得したのだろうか。ブラッド・ピットの「ピット」の由来である主人公のダーク・ピット、一体誰が演ずるのか様々な噂が飛んでいてまるでわからない。カッスラー自身は無名の新人を起用したいと考えているらしいという噂もある。すべて噂だ。ブラッド・ピットがダーク・ピットを演ずる可能性については何故か不思議に話がない。年令設定の問題もあるが、これ以上の話題を作るのは無理だという程の組み合わせであるから実現するのではないかと見ているのだが、どうなるだろうか。
- 病院 03/05/14
病院では、病室では、煙草を喫ってはならない。
何故か。入院患者の体力回復を早める為、酸素を充満させているからである。確かに壁には酸素が噴出しているらしい穴がある。
何も病室で煙草を喫いたいわけではない。ただ煙草を喫うことが危険な程、酸素で満ちているならば、少しでも火の手があがった病院はあっという間に延焼して入院患者は誰一人助からないことになる。そんな話は聞いたことがないから、煙草を喫って爆発するほどの酸素で満たされているわけではないことがわかる。「通常より酸素が濃い」程度であろう。
それでもライターを点けたら炎は通常より大きくなるだろう。そして煙草はいつもより早く燃え進んでしまうのだろう。爆発しないにしても少し怖い。そして不味そうだ。
病院は極端に嫌いだが、それは自分が検査なり入院するのが嫌なのであって、自分が直接医者との接触がない場合は結構快適である。とにかくどこにでも坐れる椅子がある。ソファがある。自動販売機がある。売店がある。食堂がある。喫煙所がある。シャワーも風呂もあるがそれはさすがに無理である。
増築を繰り返しているうちに階層がずれていることもある。二階の渡り廊下を通り抜けると三階にいたりする。病院が古ければ古いほど九龍城の雰囲気とはこんな感じかと嬉しくなってくる。
病院にある本はといえば、入院患者用の病室のある高階のラウンジの隅に遠慮がちに並んでいる。ラーメン屋の棚とあまり変わらない構成だが、このようなところでしか読む機会のない雑誌などを手にすることが出来る。「爽快」まず普段は読む機会がまったくない。怪しい宗教本もよくある。病院自体がある宗教の運営であれば、その類のものは見かけないので、こまめに排除しているのだろう。図書室に一部屋割り当ててある病院となれば、入院する気になるかもしれない。
病院の食堂に味を求めてはいけない。量を求めてはいけない。計算し尽くされているであろう構成とカロリー表示を見れば健康になれる気がする。気がするだけであるが、それで十分だ。
- ゲームセットバッター 03/06/21
物心ついた頃世間を騒がせていたのは昭和六十年の阪神タイガースであって、その熱狂がそのまま「野球といえば阪神」と刷り込まれてしまったものだから、以来弱すぎる阪神に幾度も絶望したわけだが、1992年、甲子園を高校野球に明け渡して長い旅に出る通称「死のロード」を「Vロード」と言い換えた絶好調の年、ヤクルトに最後あっさり優勝を持っていかれて以後ヤクルトだけは許せない、つまりは熱狂的と言うべきか熱凶的というべきか、とにかく阪神ファンなのであるが、このコラムにおいて阪神に対する言及は、北杜夫のような「頑張れ阪神」は自分に対する縛りとして書かないことに決めている。
では何故今こうして言及しているか。今年絶好調だからではない。今年の阪神は確かに強いが外様が多くてなんとなく醒めた感覚で眺めているのだ。確かに伊良部は嬉しい。金本も嬉しい。星野監督も嬉しい。でも阪神タイガースなのかと問われて、去年の明徳義塾を眺めるような複雑な気分であることは確かなのだ。巨人が金に任せて選手を集めて強いのは当たり前じゃないかと馬鹿にしていたのに、今年の阪神を見るとそれは阪神のすることではないと考えてしまう。実際に阪神の勝利を聞けばどんなに抑えても勝手に腕が突き上がるわけだが、そんなことはどうでもよい。
実は、長年プロ野球をつかず離れず阪神を通して眺めていて大変興味がありながら、なかなか手をつけられないことがひとつあるのだ。不名誉でもあり、残酷でもあるそれをどうしても知りたいと思うのだ。それは何か。
「ゲームセットバッター王は誰?」
野球のルールを御存知ない方でも、「バッターがアウトになる」の意味は判るだろう。それで十分だ。負けているチームの最後の打者、彼がアウトになれば試合が終わってしまう、そしてそこでアウトになってしまう、負けたチームの最後の打者、ゲームセットにしてしまう打者が、引き分けでない限り必ず存在する。
純粋に巡り合わせが悪いのか、たまたま運が悪いのか、実力に不足があるのか、どういうわけかプレッシャーに弱いのか、ただやる気が無かったのか、とにかくその最後の打者になった回数が最も多いのは誰か。
ロッテ時代の愛甲選手が多かったとは聞いたことがあるが、実際、何故かいつもいつも最後の打者になってしまう悲しい選手は誰なのか。負けているチームであるから代打の専門家?それともクリーンナップの誰かなのか?まさかピッチャーであるまい。
このゲームセットバッター、正確には何と呼ぶのか知らないが、この不名誉な役回りをせっせとこなしている漢は一体誰なのか。この悲しい仕事を最も多く体験した打者の名は。
とても知りたい。残酷ではある。しかし沸き起こる興味が良心を覆い尽くして切に知りたいと願うのだ。公式スコアブックを調べれば、根気さえあれば割り出せるだろう。だが、スコアブックを全て調べる?そこまでして不名誉な選手を知りたいか?それを知ってどうするというのだ。笑うのか。その打者が九回ツーアウトで回ってきたらわくわくしながら見守るのか。
世の中には、単なる興味本位という無邪気さが、誰かを酷く傷付けることもある。
- 硬貨 03/08/21
小学生時代、切手を集めるのはごく王道であったが、その後より即物的な硬貨を集めるのが趣味になったから、いろいろ集めた。しかしそれは単に現金を溜め込んだというわけではなくて、「ギザ十」「楷書五円」「昭和六十四年」などであるから、ほんの僅か割増料がつく。
「ナミヤコイン店」の新聞広告を大切に持ち、微妙に価値のある硬貨を覚えていつも硬貨を点検していた。この癖は今でも抜けておらず手持ちの硬貨はとりあえず点検したくなるし、周りにいる人の硬貨も全て点検したくなる。一枚で千金の硬貨などまず流通してはいないが、それでも本来の価値の数倍の値が付くものはやはり別に取っておいてこれは使わないと決める。よく「あーギザ十ねえ。集めたけど使っちゃった」とほざく馬鹿がいるが、それは「集めた」ではなく「たまたま持っていた」に過ぎないのであって、ギザ十を価値あるものと考えて常から点検を繰り返しているならば、使うなどとんでもない話である。さて、ギザ十円青銅貨がもっとも判りやすく且つ流通量が多くて目にしやすいので、現役ながらプレミアム硬貨としての代名詞として「ギザ十」だけが知られているが、実は他にも結構あるのだ。
十円玉にギザギザが付いていたのはまだ五十円玉、百円玉がなかった時代のことであって、昭和三十四年から十円玉は縁がギザなしになっている。それ以前の十円玉は縁にギザギザがあるのですぐ判るから見つけた場合とっておくといい。実際はコインショップに売りにいっても「20円で」買い取られてしまうが、その店で売っているギザ十は百円近くの値が付いているものだから単純に使うのが悔しいだけでもあるが、また将来値が爆発的に跳ね上がる可能性もほとんどないが、「簡単に集めることが出来る」一点で十分楽しい。
基本的に昭和三十年代前半より以前の硬貨、及び昭和六十二年、昭和六十四年のものを手当たり次第集めておればよいだけであるが、記憶の限り、現在流通していながらプレミアムのついている硬貨を一通り並べてみよう。上から行こうか。まあ、通常であれば美品は縁がなかろうから傷汚れ擦り切れ硬貨を。そういえばバブルが弾けた直後は全てのコインが半分の価値に下がってしまって、「こういう時に値段が上がるんとちゃうんかい!」と考えたこともあるが、それはともかく、大抵は店頭価格が百円二百円程と理解されたい。売る時は当然二十円前後である。簡単に収集出来る程流通しているから当然の話だ。下の値段は流通品の店頭価格、買う時の値段である。
旧五百円白銅貨 昭和六十二年・\1500、昭和六十四年・\600
旧稲百円銀貨 昭和三十六年・\300、三十九年・\500
旧菊穴五十円ニッケル貨 昭和三十五年・\2500、三十六年・\350
現菊穴五十円白銅貨 昭和六十一、六十二年・\150 六十二年・\10000、平成十二年・\400
ギザ十円青銅貨 昭和三十三年以前・流通量多く集めやすいが安い。
ギザなし三十四年、六十一年、六十四年・あまり価値はないがなんとなく使いたくない。
旧穴なし五円黄銅貨 昭和二十三、二十四年・\100
楷書五円黄銅貨 三十三年以前・ほぼ\50
ゴシック五円黄銅貨 三十四年〜四十三年・ほぼ\50、平成十二年・\100
一円アルミ貨 昭和四十四年まで・\30〜、平成十二年・\70といったところか。値段は去年覚え直したものであるから今では変動しているかもしれないが、せいぜいこんなところだ。もちろんこれは傷汚れ擦り切れ硬貨の値段であるから、一度も使っていない硬貨であれば何倍にもなる。ただそういう硬貨は普通には集めるのが難しいのだ。
ご存知のように昭和六十四年は短かった。しかし昭和六十四年一円玉などアホみたいに出回っていて、一週間ぐらいしつこく見ていると一枚ぐらい見つかる。知らない人には「珍しい」と自慢も可能であるが、知る人なら「ふふん」で終わる。この年の流通用百円硬貨五十円硬貨は鋳造していないので有り得ないが、記念の組販売では少数存在し、これに多少の値がつく。昭和六十四年の五百円白銅貨、十円青銅貨、五円黄銅貨、一円アルミ貨は際立った特徴がなく発行年をしっかり確認せねばならないので、割に見過ごしやすく、つまりそれは見過ごされやすいから注意していれば集めやすい。額面以上の価値はほとんどないが、使うのは勿体無い。昭和六十二年全体的に発行量が少なく、これは取り除けておくべきである。昭和六十二年の五十円白銅貨は一万円だが、これは流通していない為で、プルーフ貨セットをバラすなりする以外に出回ることはない。従って見つけることはほぼ不可能だが、「五十円玉一枚が一万円」となればつい探しててしまう。絶対に見つからないのだが。これは美品なら一万五千円であるから、まずは「お宝」と呼んでも差し支えない。
ギザ十時代の五円玉はよく見ると字が「楷書体」なのであって、個人的にこれが一番好きなのであるが、割に多い。三十二年のものは少なく高い。平成十二年も発行量が少なくて妙に値がついている。一円玉に七十円とは大した額ではないが、よく考えてみると七十倍なのであって、見つけたら相当嬉しいものがある。「昭和三十三年の十円玉は高い」という伝説は、あくまでも伝説であって、美品であってもせいぜい二百円程。五枚ほど持っているが、合わせてタバコがやっと買えるぐらいである。
ギザ十円青銅貨、全部で二百枚ほどあるが、額面二千円で、売ったらおよそ四千円。しかしコインショップで二百枚買うとすれば二万円近く掛かるので、この差額に満足するのである。
それから紙幣の場合、番号が特殊で新品であるなら異常な値も付くのだが、それはまたひとつ桁の違う人々の趣味である。それでも少ない紙幣の番号が「123456」「888888」などになっていないか確認してしまう小市民は悲しさ包まれてギザ十にタバスコを塗りつけて磨き上げている。ウスターソースも効く。
- 図書館 03/09/02
咳と痰がが止まらないまま肺に水が流れ込んだかのようなむず痒さがずっと続いていて絶え難い苦しさだ。
いったん噎せ始めるとしばらく止まらず大汗をかくほどの騒ぎであるから「咳をする」ことは重労働であったと知る。屋外ではさほどでもないからもしかすると図書館の冷房に何か仕掛けがあるのかもしれない。禁煙パイポも喉飴も効かないから左手で口を塞ぎ右手の指を肋骨の間に突き刺しながらトイレに走り、静まるまで鏡を睨んで唾を吐き続ける。これでどれだけ体力を消耗するのか判らないが、噎せながら「生温いグレープフルーツジュースを利用した咳き込みダイエットてどうよ」などと考えつつ、涙目で階段をよろよろと上り下りする姿は、もしこれが柳々細々幽霊もかくやと紛う程の少年であれば満場の、特に女性陣の同情も引こうが、産念ながら育ち方を間違えたので実に気持ちよく歩き回ることが出来るのであって、それは図書館でも例外ではなく、いや、図書館であれば尚更、周囲の「肩が触れたら危ない人」扱いに日々心を痛めつつ、叫びながら走ってきたうるさい餓鬼が目の前に来てぴたりと声を止め足を止め呼吸まで止めているのを「静かになってくれてよいが人の顔見てそれは失礼かと思うよ」と考えつつどこかで息を呑んで見ているであろう母親向けのパフォーマンス用として大袈裟に子供を迂回してよろよろと自分の席に辿り着く。
眠れば咳が出ず快適であるから眠ってばかりいるが、眠り方も色々体位があって、まず机の上に腕を交差させてその上に額を載せる基本的な形、これは涎がノートに落ちるので起きてからしわしわになっているのを見ると実に恥ずかしいのであって、こういう瞬間は顔を動かさず目を最大限度働かせて周囲を伺って皆自分のことに集中していることを確認してしわしわノートを見られていないと安心したくなるのだが、実のところ寝ていた誰かが起きてからの動きの観察というのは同席者にとって非常なる娯楽であり、起きた瞬間何事もなかったかのように一生懸命何かを読み始める奴書き始める奴、しばらく茫としている奴、トイレかどこかへ行く奴、しわしわノートをさりげなく隠す奴、これは皆目の端で必ず捉えていることは手前もしょっちゅう観察者の立場にもなるのでよく判っているから、たまにはしわしわノートを破いて丸めて「気を取り直したポーズ」などをしてみるが、これも当然よくあるパターンなので結局は寝たら負けなのである。腕を机に載せず机に直接額という疲れ果てた体位もたまに見るが、この場合、涎はしわしわを通り越して池になる。池になったのを見てどのような行動をとるかという観察をしていることは、同席者のペンの動き及びページをめくる手が皆止まることでも判る。捨てに行くことが多いが、中にはそのまま帰ってしまう奴もいて、日本人の行動を律するところである「恥の心」がまだ生きていることを目の当たりにして微笑ましく思いながら、そこの涎席に座ってしまう奴が来ると「そう丁度その左手のところに涎池あったんよなあ」と腹筋が何本か切れるのである。顎肘をついてバランスをとりながら眠る人はしばらく気付かれないのだが、あまりにも動かないのでふと見ると寝ていることが判る。本を膝の上に置いて真下を向き集中している振りをしたまま眠る奴は、横の者にしか寝ていることがばれないので有効な手段ではあるものの、これは上半身の重心が下のほうにある人の特技であって、つまりお太り遊ばしている方だけが出来る技なので、普通の人がやってみると揺れる揺れる。しかし図書館で眠る者は皆鼾を全くかかない。これはやはり普段鼾がうるさいと言われている者は遠慮があるのだろうと思う。
図書館に於ける社会人と学生の見分け方は簡単である。消しゴムを使うのが学生、使わないのが社会人であり、浪人は大抵何かの問題集を解いているからすぐ判る。法律関係・医療関係の勉強をしている人は眠ることが少ないようだが、職業の見当は付けにくい。学習席でただ本を読んでいる奴は始終うろうろしてうるさくて実に邪魔なのだが、このタイプの奴が最も眠る確率が高いのであって、しかも頭皮の観察に最適でもあるから邪険にするのも忍びない。
- 元号 03/09/25
元号のことを西暦に対して和暦と呼ぶが、これは「大化」以降のことである。御存知大化の改新にて権力の移動があり、645年以来綿々と元号が連なっている。
この元号であるが、高嶋俊男の主張に賛成したい。つまり、「元号の決め方をもう少し考え直そうじゃないか」ということだ。元号の決め方とは、ただ縁起のよい言葉を選ぶというだけではなくて、出典があり一応の説明がつくものを選んでいるわけだが、その出典を他国の古典に求めることは、独立国として為すべきことではないように思えるのだ。言葉も文化も大きな影響を受けていることは否定など出来はしないが、それでも日本流に変容して再構築され、「確かに大きな影響はあるが、歴とした独立文化」である国の暦を、他国の古典から拠ることは、日本の古典を否定するのみならず、もっと重大なものを捨てていることになる。
次の元号云々とは、世が世であれば不敬罪として石でも抱かされようものだが、今の時代に不敬だと騒ぐのは、新右翼以前の古い方の右翼ぐらいのもので、では右翼はどの暦を使っているのかと言えば、キリスト教を元にする西暦でもなく、中国古典を元にする和暦でもなく、「皇紀」を使ったりする。「皇紀2663年」これはこれである意味立派というか、化石というか、何か不思議な夢の中で生きているらしいから当人たちがよければそれで構わない気もするのだが、どうせ右翼なら和暦元号を日本の古典から採れと一騒ぎしてもいいではないか。
日本の古典が中国の影響を受けていることは仕方がないにしても、一国の、独立国の暦を他国の古典から採用することは、膝を屈して額を打ち付けているに等しい所業であることを各々方、認識しているのか。独立国の尊厳を持ってはいないのか。
1979年に制定された元号法というものがあって、今の日本で最も短い法律と言えば「失火責任法」で内容は僅か一条「民法第709条の規定は 失火の場合には之を適用せず。但し、失火者に重大な過失ありたるときは 此の限りに在らず。」なのだが、それに近い短さの元号法は僅か二条、附則ふたつの四行きりである。
元号法(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。どうやって決めるかが明確にされていない。昭和の前「大正」「明治」も一代一号だったが、明治天皇の前の孝明天皇時代は明治から順に遡って「慶応」「元治」「文久」「万延」「安政」「嘉永」「弘化」と、合わせて八号を過している。この頃は特に色々あってころころ変えていた時代でもあるのだが、もともと何かよくないことがあれば気分を一新するためだけに変えてみたり、支配者の交代に元号を変えられたり、とにかく元号は沢山あって、645年以来、約1360年間でおよそ250の元号が確認されている。五年にひとつの割合である。しかもこれは昭和六十年間を含めての平均であるから実際は五年よりも短い。
早い話が元号とは、天皇の代を示すものではなくて、時代・世相を映したものであるということだ。天災があって元号を変えたなら、その元号は天災の記憶を内包したものとなり、支配者が変わり、時代が変わり、その度に元号が変わったわけだから、元号ひとつひとつが歴史であり、歴史・時代を端的に表したものが元号なのだ。元号からは天皇しか浮かばす、しかもその天皇は格別印象に残る動きはなくて「象徴」とされているから、天皇がぼやけるに合わせて元号もぼやけてしまう。
上に出た「万延」といえばフットボールが浮かぶし、「安政」と言えば大獄が浮かぶ。「元禄」ともなれば煌びやかに爛熟退廃したおそらく最も日本らしい日本時代が想像出来る。元号は天皇でもなく、文化でもなく、「文化」という元号もあるが、今で言うなら「流行語」として「時代世相を懐かしく思い出すような雰囲気」を纏った機能を持つものであったわけだから、この元号法は皇国を印象付ける使命を担ったものであり、そして後継者に悩む姓のない一家は元号どころではなくて、元号の拠り所がぐらついていることになる。
元号は皮肉なことに元号法成立以来その意味と機能を失ってしまい、昭和終焉の時には考えうるありとあらゆる混乱があったことは記憶に新しく、あの頃のカレンダーは恐る恐る昭和で印刷したりさっさと西暦に絞ったりと今思えば微笑ましくもあるが、それでも元号を使うなら、次の元号は日本書紀あたりからでも引けはよいではいかと言いたいわけだ。
- うるさい 03/10/09
図書館の四人掛けの席では誰かが荷物を置いたまま席を離れる時、必ず誰か一人がそこに残ることはたとえ見知らぬ者同士であっても暗黙の了解として成立している。たまに連れ合い同士で来て騒いだ末に飯に行き、全然帰ってこない奴等もいるわけだが、あれは図書館に来ているのではなく、時間潰しに来ているだけだから荷物だけ置かれた机には館員さんの手書きの警告書がセロテープで張られる。全く面識のない者同士で同じ机にいる時、電話をぶるつかせて離れた者が帰ってきたからトイレに立ち、戻るとその人が何か本を抱えてどこかに行くという、この呼吸がぴったり合った場合は実に気分よくお勉強が進む。
公立の図書館でありながら「貸し出しお待ちの『お客様』」と呼び掛けるほど低姿勢であるのは読書人口の減少によるものかどうなのか、とにかく最近図書館のサービスが向上している自治体は好感が持てる。図書館内での喫煙はもちろん、飲食も禁止されているのだが、大抵飴ガムジュースは黙認の方向にある。黙認ではなく放任でもなく、多過ぎて全員に注意などしていられないだけでもあるが、図書館に来る者で御行儀の悪い者は、大抵おっさんと相場が決まっていて、おっさんは盛大な溜息を吐く。おっさんはページを捲る音をわざとらしく立てる。また若者も当然来るわけだが、若者に限って「かかかかかかかかか」と音を立てて文字を書く。恐らくあの音で勉強した気分になるのであろう。あるじいさんはずっと自分の太腿をさすっていた。これもうるさくて気持ち悪くて新しく着席した人も皆直ぐに席を移動していた。
しかしながら我慢ならないのは何度も言うが「鼻笛」であって、また一段下の「鼻息」も大変苛立たしい。風邪を引いているのかどうか洟を啜る音なら別に何とも思わないし、盛大に噛む音も気にはならないが、実に規則正しく荒い鼻息や鼻笛は文字通り殺しても飽き足らない。最もえげつない鼻笛の奴はウォークマンを聞きながらの奴で、多分自分の鼻息が聞こえていないのだと思うが、吐く時の「ぴひょおおお」がうるさ過ぎて同席者一同の視線が複雑に交錯したこともある。睨み付けたら席を移動する奴も中にはいるが、「鼻息がうるさい事に自分で気付いていない」ような奴に遠回しな知らせ方は通用しないのであって、どこか遠くに空いている席があればこちらが移動する方が早いのである。しかしただ移動するのも癪であるからまずメモなどを移動先のところへ置いて領有権を示した後、辞書やら何やらの本を抱えて持ってゆく。戻ってきたら次は筆記用具、ノート、手帳などを持ってゆく。最後に鞄やらジャケットやらを持ってゆく。そのいちいち戻る際に「ワレとは同席したないねん」という雰囲気を努めて醸し出すようにする。出来れば移動先の席から元の席が見えると楽しい。新たに着席した者の動向を窺っていると、やはり程なく移動するのであって、鼻息嫌いが手前だけではないことを確認して少し落ち着く。
- 実家 03/11/01
実家という言葉の定義が実は難しいのだ。
大抵の辞書には最初に「生家」ときて、あとは「民法の旧規定で籍を移した者の元の家」のような記述が多い。
しかしながら「実家どこ?」という気軽に使われる言葉に込められている質問の真意とは、「どこで生まれたか」ではなく、「お主はどこの育ちであるか」「なに県人か」「間を繋ぐだけの深い意味はない」あたりなのだが、「生まれてからずっと親がそこに住んでいるから迷わず答えることが出来る」人ばかりとは限らないのだ。
手前は何度も引越しを重ねており、一人暮らしを始めて以降も親が引越しをしたり、親が何人かいたり、親がそれぞればらばらに住んでいたり、行方不明だったりするのであって、「実家どこ」と問われた際は、どうしても答えることが出来ない。実家の厳密な定義がないからだ。「どこの育ちであるか」おそらくこれが最大の問意であろうから、それに従って通常は「関西です」と答えている。
ある時、「実家ってどういう処を指すんでしょうね」と尋ねたことがある。その人は「親が住んでいる処に決まってるじゃないの」と答えた。手前の場合、親の一人が住んでいる処と手前の育ったところが「関西」として一致しているからまだよいが、中には「定年退職してトチ狂った両親が持物を一切合財処分してブラジルに移住してしまった」場合もあるだろう。既に「生家」は消滅しており、「実家」という存在がないわけだから、しかし「親の住んでいる処」という定義に従ってしまうと、「実家どこ?」「ブ・・・ブラジル」少々具合が悪い。行ったこともないのに実家とは呼べない。だから「親が住んでいる処」という定義は却下される。
第一「生まれた家・処」という定義にしたところで、「里帰り出産」という罠が待機している。手前はこの里帰り出産に該当するらしく、そうなると住んだことのない遥か九州が実家になってしまうわけだが、これはよくよく考えてみると、あくまでも「母の実家」であって、手前の実家ではない。「田舎」ではあるが、「故郷」ではない。この「生まれた家・処」定義も却下となる。ちなみに里帰り出産とは、生まれた本人が海外旅行する際に不条理を感じる元凶であるから、あまりしない方がよいかと思われる。アメリカで出産して国籍を取ろうとして、逮捕されてしまった母親の一団もいれば、代理腹で日本国籍がとれなくて苦しむ人もいるが、ここまで極端な騒ぎではなくて、出入国のカード記入に「戸籍住所」「住民票住所」「何県生まれか」場合によっては「連絡先現住所」すべて違う場合があるのだ。面倒臭いねん。なんでこないにややこしいねん。自分の住所一覧表持ち歩かなあかん情けなさ判るか?仮に戸籍と住民票と現住所を一致させても、「何処生まれか」は変更出来ない。
軌道修正して、つまり「実家」とは、何だ。親が引越したら「実家」はその引越し先にはならない事は先に証明した。「生家」これが例えば他人に売り渡した家であり、既に縁の者が住んでいない場合、やはり実家とは言い難い。「実家どこ?」「割羽市・・・今他人が住んでるけど」実家ではないと思う。生地も違うだろう。「生地」の概念も、元実家が取り壊されてパチンコ屋でも建っていたならば、「こ・・・ここが実家やねん」とは言いたくない。
「実家」とは、「自分が生まれて以降親がずっとそこに住んでいる場合にしか、存在しない」のでないだろうか。定義を最初に決め、それに従って手前の実家を規定しようと考えたことは、間違っていたかもしれない。現状で、「手前はどこを実家と考えているか」を確定させ、それを元に定義した方が早いのではないか。しかし手前は何処を実家と考えるのかに迷っているのであって、だから先に定義してしまおうとしたわけで、しかし定義することが出来ないので、ま、もうどこでもええわ。そもそもは土地観念に縛られ過ぎているからこうなる。実家?そんなもんないと。
- 遠回し 04/01/27
おい、そこの溺れ河童。お前だお前。右見た左見たお前だお前。貴様どの面下げて愛国心などと放坐くか。国の資源を喰い潰して国の資産を売り渡して国の根幹である律戒を平然と突き破りつつその口で愛国心などと言えた柄ではあるまい。
よいか。愛国心とは自然に湧興るものであって、押しつけるものではないし押しつけられるのでもない。もし押しつける必要があるならば、それは愛される資格のない国であるが故のことなのだ。
貴様は何を念ってあの夏を迎えたのか。あの夏は何を感っていたのか。貴様の歪んだ感傷に振り回される者がいることは、つまり物を考える力を育てて来なかった世代にも幾許かの責任はあろうが貴様の思想には反吐が出る。
左から大転回したこと自体は珍しくなくとも、言論を封殺した上で統制しようとは大した肝じゃないか。よくぞ今まで生き抜いたものだ。転回して再転回したふりをしたまま弓手に誘いつつそのまま露と消えた者達にはその凄絶なる道を鑑みれば仕方のないことにも思えるが、違って貴様は単なる権慾ではないか。
貴様を打ち倒す勢力を育てることが出来なかった世代はただ目標を与えられてそれを達成するだけの兵隊蟻に成り下がっていた。その兵隊蟻の子らである世代は働くことにさえ疑問を抱いた羊となっていた。では羊の下の世代はどうなるのか。貴様に予測が出来るか。貴様は百年の大計を考えずに行動したことでこの国の舵を誤った。手段がいつしか目的となって壊れた哀れな壁蝨よ。もう誰一人貴様を必要としていない。往生するがいい。もう十分だろう。
- 自動扉 04/02/18
関東に来て、歩く速度が微妙に合わず、人ごみでは少し苛立つことも多いのだが、最近は自動ドアに怒りを感じる。
普通の速度で歩いて自動ドアに突入する際、そのままの速度で通り抜けられるように素早く開いてくれるのが当然の理想であるが、どうも直前で踏鞴を踏んで開くのを少し待つことになる場合が多い。完全に開かないまま肩をぶつけながら強引に進むのは関西育ち共通の性なのだろうか。
そしてもしかすると関西と関東では自動ドアの開閉速度に違いがあるのではないかと思うようになったわけだ。自動ドアと言ってもどうせ工業基準みたいなものが決められていて「早すぎてはいけない遅すぎてはいけないつまり危険であってはならない速度」のような「この範囲内の速度とすべし」という基準がありその中で関東はほぼ標準の関西は限界まで素早く開くなどと、そういう基準あったりはしないのだろうか。
そこで「自動ドア」を検索すると、「日本自動ドア株式会社」が何番目かに出てきた。
「100mm/sec〜440mm/sec (16段階変速)」
「100mm/sec〜914mm/sec (16段階変速)」自動ドアには変速機能があるのですか。いくら数字に弱い文系でも上の意味するところ位は何とか判る。つまり一番遅い設定が一秒に10センチ、そこから十六段階で速度が増し、最も早い設定では一秒間に90センチ超開く。速過ぎる気がしないでもないが、実際のところ自動ドアが「すぱーん」と開いたら焦ると思うが、呆れる程素早く開く自動ドアを通った記憶はないのだが、是非一度だけでも見てみたい気がするのだ。
そして問題なのは閉じる速度である。歯車の設定上開く速度と閉じる速度を変えるには、別の制御装置が必要になる。自動ドアを設置する以上、それなりに利用する人が多いわけであり、利用する人が多いと酷使される運命にあり、酷使されながらも故障しない為にはややこしい機構よりも出来るだけ単純であるべきだから、開と閉の速度は同じ歯車を使った同じ速度であろうと推察する。
である以上、一秒間に90センチ超の速度で閉まる自動ドアは怖い。当然何かを挟んだら感知して再び開く程度の安全装置はあるにしても、もしその衝撃を受けてその場で動けなくなった場合、一秒間に90センチ超の速度でドアが何度も何度も攻撃してくる恐れもある。
ほどほどの速度に設定されている自動ドア、つまり自動ドアであるにも関わらずまるでそこにドアがないかのような気分で通り抜けることが出来、それでいて万が一挟まれても痛くない程度の自動ドアが理想だ。関西関東の違いは多少あるに違いないが、開閉速度を選択出来るならば、地方の特色ではなく、ドアごとに違うのだから、今後自動ドアを通る際は開く速度に注意を向けてみては如何だろう。自動ドアを設置している場合、メンテナンス作業の際に、一度最速の設定をしてもらって体感してみるのも面白いかもしれない。
これの発行が二月十九日、森ビル事故が三月二十六日。ほぼ一ヵ月後のことで、毎日何かを書いていると稀にシンクロする時もある。
- 忘 04/03/19
買物行く前に何を買うか忘れないようきっちり目録作っておいて、その目録を忘れてしまうことは心配しなくてもよい。誰でも経験がある。
一旦筆記した後だから通常頭の中に覚えていただけの目録よりは復元し易い筈なのだが、目録を数えて「幾つ」と覚えていても、指折って数えてみると絶対に思い出せない品物が必ずあるのは何故なのか。「確か七つで・・・あと一つは・・・」
ここでもう一度最初から数え直すと、最初には忘れていた物をあっさり思い出し、合わせて完全版が作成される計算になるところ、最初に覚えていた品が一つ入れ替わって忘却される。再び数え上げているとまた何かが入れ替わっている気がする。
これを防ぐためには頭の文字で語呂合わせにするか、買う店を関連付けて覚えるかすればよいのだが、元々は覚えるためではなく忘れるから目録を作ったわけであり、目録を作ったことで満足して覚える努力は放擲したから苦労するわけだ。
もう一度目録を書きながら作ればよいのだが、目録を忘れるようでは筆記具など持ち合わせている筈もなく、しかたなく覚えている限りの品を順番に入手し、その序にいくつか寄道と衝動買いをし、当初の目的全てを思い出すことのないまま「大事なことなら覚えている筈、忘れるのは大したことではないからだ」と自己暗示を掛けて家に帰った瞬間、思い出す。
「最初の買物の目的はこれだったのに」
関係ない品物、寄道、全てが馬鹿馬鹿しくなって再び外出する気力は萎み、空しい時間を過ごしてしまった虚脱感を振り払う為の儀式はただひとつ、酒飲んで寝ること。
- 限界 04/03/22
限界とは知らなければ越えられないもの
知らずに越えているならばそれは限界ではないそもそも「限界を越える」なる表現の矛盾をどう始末つけるべきなのか。越えられないところが限界であると考える場合に破綻を来す。越えてはいけないところを限界と考えるならば越えることは可能だがその場合は現実の活動に支障を来すことになる。
また「自分で設定する限界」と「他人が設定する限界」と「常識に設定された限界」があるわけだが、最も越えやすいのはどれだろうか。常識ならば越えやすいだろか。越え難いから限界の常識なのか。それが常識の限界なのか。
ややこしくなってきた。他人が設定する限界は常識と近い気もするのだが、ここで言う他人とは、不見不知の他人というわけではなくて、自分以外の者という分類であって、不見不知の他人はむしろ常識に組み込まれるべきだ。だからこの他人とは、知人友人のことを指している。
さて、この限界突破を「ブレイク・スルー」の意味で使うと仮定して、限界を越えることを肯定的に進めるとし、その為にはまず限界を知らねばならない。もし限界を知らなければ「越える」という概念は使えない。知らずにあっさり越えているならばそれは限界ではない。他人及び常識の設定した限界である場合は越えると表現される可能性もあるが、その場合は「ブレイク・スルー」の意味では使わない。
勝手に混乱しているだけのよう気もするが、この「限界を越える」という言葉の構成が混乱しているからであると思ってくれ。
- 尺貫 04/04/28
尺貫法を復活させろと叫ぶ馬鹿がいて、その理由は「日本の伝統を絶やすな」である。
いつの時代の尺貫法を指しているのか知らないが、おそらくそれはその人がかつて育った頃に使われていた一尺が30.30cm、一貫が3.75kgの時代だろう。それより古い尺貫は統一されていないし、その時代を生きていた者が健在であると考えるには無理があるからだ。
当然今でも一部で使われていることは承知している。建築の世界では未だ健在であるし、何より日本酒や米は合で表す方が馴染んでいる。これらを駆逐せよと言うわけではない。
十尺は一丈つまり3.03mになる。そして33丈は100mになる。鯨尺はまた別で、一鯨尺は37.88cmと、これは曲尺の1.25倍だ。そして一貫は3.75kg、これは「四分の十五kg」つまり、15/4つまり、3.75を15で割ると0.25それへ4をかけるとぴったり1kgである。ぴったり合致するのは不思議だと思いませんか。それとも数字のトリックでこじつけたと思いますか。
残念ながらこの尺貫法とは、明治二十二年制定の「度量衡法」でメートル原器とキログラム原器を元に定義したもので、それぞれ一定の計算をするとメートルとキログラムにぴったり合うのは当然のこと、国際条約で全世界の単位をメートル法に統一することになったのが1875年(明治八年)、日本は十一年後の1886年(明治19年)に加盟したことが契機となっている。しかしこの段階ではまだ尺貫法が中心であった。幾度かの改正を経て、大正十年にメートル法を主に使うべしとなる。そして戦後の昭和二十六年、度量衡法は「計量法」と名を変え更に改正を繰り返し今に至る。ついでに計量法を調べていると計量士なる資格のあることを知った。
さて、尺貫法を日本の伝統と言い張る輩は、それが西洋科学のメートル法を基準に定められたことを知っているのだろうか。昭和三十三年までは公式に使われていたから当然その頃の混乱を体験しているはずで、にもかかわらず日本の伝統を叫ぶことは見苦しい。尺貫の呼称は日本の伝統と言い張ると、実は元を辿れば中国にまで遡ることを知れば次は何を叫ぶかね。
尺貫法、日本で息衝いていることは認めるし、その存在を無くすには惜しいのだが、復活させよとまで叫ぶことは本人の勝手だがそれは今から歴史的仮名遣いに戻せと叫ぶに等しい。少し前にヤードポンド法からメートル法への変更に抵抗して罰金を喰らった者がイギリスのどこかに居た気もするが、人の体を元にしたフィートや尺は次第に消えてゆくだろう。それは様々な文化の壁を超えて共通の単位を獲得したことの代償だ。
- 呪文 04/05/19
花びら占いというものがある。
花弁を一枚づつ引き千切りながら「来る」「来ない」「来る」「来ない」と呟いている姿はあまり見栄えのよいものではなく、実行者は佇まいが薄倖である人に限られているが、通常見る機会はない。
受粉の機会を奪った上で一枚一枚引き千切る花として何を選ぶのか、花弁占いに最も相応しい花が何かは知らないが、少しやり方を変えてみたらどうか。
例えば花弁の数が決まっているものならば最初に「来る」「来ない」のどちらで開始するかで決まってしまうわけだが、何故「来る来ない」が花弁占いとして絶ち難い強固な印象を持っているのか不思議な気もするが、仮に蒲公英を選んだとする。花弁が多いので「時間潰し」という本来の目的にも適った選択と信ずる。そして「来る来ない」ではなくて、一度に花弁を二枚づつ毟りながら、「来る」「来る」「来る」「来る」「来る」「来る」「来る」これで安心だ。最後に一枚残っても、それまでの「来る」の繰り返しの勢いに任せてしまえばよい。割り切れたならばそれでよい。
当面の問題から目を逸らせて別の事に集中することが目的であるならば、糞暑い日に雑草を抜く時には「ビール」「発泡酒」「ビール」「発泡酒」「ビール」「発泡酒」と念ずればよく、また発泡酒に対する不信感のある者は二株づつ抜きながら「ビール」「ビール」「ビール」「ビール」「ビール」問題は一切ない。
ところでモヤシの髭を黙々と処理する姿は、情熱よりも執念が宿っているのであって、そこに「来る」「来ない」「来る」「来ない」を合成すると危険な香りが漂ってくる。その料理には呪いが掛けられている気もする。かと言って髭付きのままでは食事の真っ最中に糸楊枝効果が発生する。陽気にモヤシの髭を千切り続ける呪文など存在しないから何か音楽でも流しておくのが無難なところだ。
- 熱い 04/07/26
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うが、熱いものは熱いのであり、本当に熱い炊き立てのご飯などは、熱さの余り咀嚼を省略して一気に飲み込むと、胃にすとんと落ちても胃が熱く感じる。この時の気分は妙なもので、痒いわけではなく痛いわけでもなくただ熱さを感じていることの驚きが手で肋骨を掻き毟らせる。水を飲むと一瞬で胃に到達して一瞬で熱さが溶け消えてしまうのは大変心地よい。
餃子などを食べて舌や内頬・上顎に火傷をすると、薄皮が一枚捲れてしまう。捲れるだけならよいのだが、薄皮が完全に離脱せず一部で繋がったままというやる気のない磯巾着のように口腔を漂っている状態は苛々するもので、舌先と歯で引き千切ろうとしても上手く根元で千切る事が出来たならよいが、失敗すれば血の味が拡がる。歯と歯で噛み潰して切る場合、根元に切株が残るのであって、この辺の呼吸は爪の逆剥と似た按配だ。
舌を丸めることが出来ない人がいるらしいが、そんな筈はない。赤ん坊がミルクを飲む時には乳首や擬似乳首を丸めた舌で包み込みストローの原理で吸い付くのであって、これを忘れることが大人になるという指針でもあるが、経験豊富な大人の男は再びこの技術を活用することになる。
また別の大人は舌を先から三分ほどのところで少し凹ませて一滴程度の唾を溜め、そこに煙草の火を押し付けて消すというまばらな拍手を呼ぶ宴会芸などを身に付けたりして呆れられたりする。全く熱くないのに「じゅ」という音と赤く燃えている火を敏感であろう舌に押し付けて消すという怖めの印象を持たせる事が鍵なのであって、誰でも出来る技であることを知られることは避けたい。それでも一番最初に口の中へ煙草の火の点いた方を入れる勇気のあるなしが分岐点だ。たとえ下らない勇気でもないよりましだろ。
- 視 04/09/22
近視と乱視を飼い慣らすのは困難なもので、最近殊に不都合を生ずるようになったので、本格的に対策を練ることにした。
小中と視力には抜群の自信があり、実際その通り何一つ窮することもなかったが、高校時代に少し変調を覚え、それは明らかに濫読が理由であったが、まだ裏付けのない自信に溢れていたから何も気にせずそのまま成長する。
運転免許を取得する際には既に裸眼では危険であることを知っていたが、それまで眼鏡などというものを手にしたこともなく、仕方がないので先に検査されている者が答えている横で中段あたりの方向を暗記して無理矢理乗り切った。実際のところ片目で見えるただの黒い点を、直感で「左斜め上」などと切り抜けたのだ。円の欠けた部分を繋いだ線を印象付けて覚えたわけだが、今ではそれも通用しないので非常時のみ眼鏡を着用している。
度付の色眼鏡を長く愛用していたのは原付時代で、しかし夜になると明らかな光以外は何も見えないのであって、勘と度胸だけで信号のない交差点に突入する勇気を必要とした。後ろにトラックなどが来て煽られると、頑として譲らず「おお。明るい」と喜ぶ程の頼りない視力であった。
小学生の頃ある先生に「上瞼の目尻を押さえて後ろに引くとよく見える」と教わったことがある。それは高校時代から重宝している技術であり、広大な講義室の後ろに隠れて半分寝ていたりする大学生は、必要に迫られて板書を引き写さねばならなくなると目尻を指で引いて焦点を合わせていた。焦点の合う理由として「その辺りの筋肉が弱っているから、無理矢理合わせる」ということを覚えている。やがてそれは目尻のツボ「瞳子寥どうしりょう」と呼ばれるものであることを知り、全ては氷解する。
目尻の上瞼側の骨のところには僅かに知覚される窪みがあり、ここが瞳子寥であるが、ここを真っ直ぐに押すツボ療法よりも、その辺りをぐっと押さえて後ろに引く。傍から見れば目が極端に細長くなるだけで不審を湧かせるのだが、少し遠くにあり潰れていて読めない字を眺めながら微妙に角度や強さを変えていると突然焦点がぴったり合い、見えなかった筈の文字が全て読める。近視の方はとにかく目尻を捏ね繰り廻してみればよい。突然驚くほどに遠くが詳しく見える瞬間がある。
そのことはずっと知っており必要な時だけ使う技術としていたが、もう眼鏡自体が面倒であり、度付の色眼鏡を仕立てるのも面倒であるから瞳子寥の按摩を日課とし、ここに誓うものである。
- 黒白 04/10/12
オセロとは8×8の64桝に白と黒の石を交互に置き、縦横斜めで相手の色を挟んだら裏返して自分の色にすることが出来る盤上ゲームであるが、その桝目の数が程よく少ないことで手軽に遊べる。
そして稀に数十×数十の巨大盤が存在する。しかしこの桝目が増えると突然難解になるもので、端に届かないまま全滅することがある。盤が巨大になればなるほど実力差が反映されるのか。
しかし異常に大きい盤面のオセロは囲碁の陣地取り要素が含まれていて、しかも囲碁より激しく変化するから深い味わいがある。ただし仮に升目が8×8ではなくて88×88のような大きさの場合、返し忘れが当然のように発生するのであり、また石の数も「88×88=7744」なのであり、数えていられないから電子制御に頼ることになる。
手で打ち、手で返し、手で数える通常のオセロでは、対戦する場合に発生する見解の相違を治める為の対処方法が、完全な形で明文化されておらず時折騒ぎが持ち上がる。チェスに倣った時計を導入してはみても「返し忘れ」「返し間違い」「パス」等で混乱するような方式では先が暗い。
また電子制御や電網対戦と違う通常の対面して対戦する場合には棋譜が残らない。各種対戦や大会に於ける棋譜の完全公開が全体の底上げに繋がるわけで、棋譜が残っては困るようなる打ち方をする者が居るから完全公開は実現せず、正当に打つ者でも「癖を読まれたら困る」などと腰の抜けた言訳で公開を拒否するから互いの棋譜から弱点や長所を見出してより強くなる可能性の芽を潰している。
電網上で対戦する場合には完全な棋譜が残り、純粋な技術力ではすぐに一定の力量まで達するだろう。その後は対面で対戦する際の緊張感や規則・心理的な駆け引きなどを含めた総合的な力量では凌駕し得ないだろうが、ある程度大きな大会でさえも棋譜を公開しない姿勢こそが、徒に本家を名乗りながらも頂点をを海外に奪われている現実の理由だ。
- 諸君 04/10/21
親愛なる同志諸君、強盗に於いては通常「金か命か」の二者択一を迫るものであるが、考えてみるとこれは良心的と言えよう。「金も命もその他全ても」と迫る女に比べては良心的に思えるではないか。何故こちらが犯罪ではないのか。「食事と服」の選択を迫るれば「両方」と軽やかに言い放っておいて、「仕事と私」の選択に答える「両方」には何故握り締めた拳が用意されているのか。
親愛なる同志諸君、二股やそれ以上の多角化に幻想を抱くのは止したまえ。よろしいか。混線したり錯綜したりは当然の危険事項として、それ以上に悲惨なことは、たった一人の束縛監視ならまだ自己暗示にて現実を見ないようにすれば耐えられるのに、その束縛監視が二倍三倍になることを想定してみたまえ。自己暗示も現実逃避も機能せずに止まると転ぶ自転車を必死に漕ぎ続けねばならない通称「自転車操業」の末に待つのは、大破だ。
親愛なる同志諸君、今一度頭を解凍せよ。敵の狙いを冷静に推定せよ。直面する状況の客観視とそこに至った経緯、それらから導かれる最も可能性の高い攻撃に対処する為の行動を落ち着いて選択せよ。そしてその選択には当然後の展開を予測したものでなければならない。よろしいか。敵の攻撃は入念に組み立てられていることを決して忘れてはならない。しかも完全な突発事態でさえ、最大の効果を生む方法を本能的としか思えないほど的確に選んでくる。その上支離滅裂になっている場合でも「解決した筈の過去からの飛び道具」が繰り出されて罠に嵌る。
親愛なる同志諸君、諸君は涙腺から噴出される液体兵器から身を躱すことが出来るか。諸君に要求されているものは、攻撃力でもなければ防御力でもない。必要なのは如何なる理不尽でも許容する為の諦めと、情熱的でありながら冷静で理屈を排除しながら逃げ道を絶つ説得力と、裏の裏の裏の裏の裏の裏を察知する読心力と、自らを視野狭窄に追い込んだ上での奴隷的忠誠と、打出の小槌を遥かに越える財務力と、そして限定された目的の為に必要な不眠不休の体力、たったそれだけだ。
親愛なる同志諸君、まことに残念であるが、今までもそしてこの先も我々がこの戦いに勝つことは永遠に不可能であることを告げねばならない。更に残念な事に、それでもなお我々は戦い続けねばならない。念の為に言っておくが神風は決して吹かない。それでもなお我々は絶望的な戦いを挑み続けねばならない。だがしかし悲観するには及ばない。諸君の屍を乗り越えて、次々と若い同志が参戦することになっている。ただし敵も同様に次々と新手が出てくることはまあ、知らなくてよい。
それでは諸君の武運長久を祈る。嗚呼どうか、我等が同志に救いあれ。
- 発展 04/10/27
先人の蓄積した経験を学習することが文化の発展を促すならば、数百年間も同じ生活を続けてきた民族をどう理解すればよいのか。我々が我々を基準にして「原始的である」と断ずる相手は文化が未発展で先人の知恵を学習していないことになると言い切ることが出来るのか。
否、むしろ彼等の方が先人先祖の知恵知識を語り継いでいるのが現状だ。完成された系を保ってきたことは発展する必要がなかったのかもしれない。文字を持たない言語でも会話が成立している以上、知識の伝達は行われてきたと見るべきであり、記録至上主義の文明基準に照らし封殺された文化は如何ばかりであるか、少なくとも日本に於いてユーカラの灯が急速に消えようとしていることは、未だ文明文化の基準が記録に軸を置いている状態を意味する。
発展する必要のない文化は完成された文化であり、その文化が数百年も連綿と続いていたことは文化の過剰な発展に対して疑問を投じる意味を持つ。何百年も形を変えない文化が先人の知恵を積み重ねた結果、多くの禁忌が生まれるわけで、文化の尺度は禁忌の質や数によって測ることが出来るのではないだろうか。
先人の知恵を学習する為には、文字を持たない文化の場合口伝となるが、限られた者だけが先人の知恵を持ち拡めることになる。仮に文字があるならば全体の知識の底上げが容易になり、飛躍的に発展が進む。つまり文字が存在するかしないかで分岐し、発展をするかどうかの目安となる。
トフラーは情報こそが新時代の民主的な力であると言った。それは万人が情報を同一の価値と信じる必要があり、信じないものは力を持たないことになる。情報は知識である。知識は知恵に繋がる。しかしその知恵は先人が残したものと同じであった場合、発展した文化の価値が問われることになる。
過剰な発展が意味するところは混乱と迷走であり、安定を求めるならば発展した文化から一歩退く必要がある。安定を求めるならば不必要なものを全て殺ぎ落とす必要がある。安定を求めるならば発展した文化から取り残される必要がある。そして安定を求めるかどうかは個々人の価値観に拠る。発展した文化の中にあっては複雑と混乱に身を任せて漂うほかなく、しかし漂う中で要する知識は断絶した先人のものを別の形で学び直さねばならないならば、発展に何の価値があるのかとの疑問を発生させるのだ。
- 割 04/11/14
割れた食器の処理には頭を痛めるもので、ひとまず大きな欠片に小さな欠片を積み重ねておいて、微小の欠片は濡雑巾ではなく電気掃除機で吸い込んでしまうが、重ねた欠片の始末に困る。
米袋の強度を信用して放り込み、粘着テープで縛り上げると安心感が湧いてくるが、これは燃えるごみに出すのか燃えないごみに出すのか判断に迷うわけだ。怪しい塊だから選別過程で誰かが中身で怪我する可能性が高い。
仕方がないから本体も口も大きな瓶の中に欠片を落とし込んで本来ならば分別しなければならない蓋を装着する。途中で失敗してがちゃがちゃに振り回した瓶船状態であり、これならば中身が一目で判るから怪我する人はいまいとの判断による。
割れた硝子や陶器磁器の処分について、正しい方法を知りたくともごみを回収する自治体によって扱いが違うのであり、種々の理由で割硝子を再生利用しない場合は割硝子を封入した容器も再生を拒否されることになるのだが、このあたりの按配についてが難しい。
大きな本体と口を持つ本来ならば割硝子を入れる為に待機させてあった瓶が割れると困る。仕方がないからゴーフルを缶目当てで入手する算段をしなければならない。そして辛党のゴーフル処理方法については、味そのものを変化させるのではなく、味を感じる口を変化させる必要がある。すなわち糞熱い紅茶を利用して口の中を火傷で馬鹿にしておいて、味覚が麻痺している間の勝負となる。保存する為の缶は割硝子を入れてあるからとにかく一気に処理せねば湿気てしまうのであり、ガムの如き歯応えのゴーフルとなり果ててしまうと、鳩にでも向かって手裏剣遊びする程度しか思いつかない。
- 鼻血 04/11/15
鼻血とは必ず困る状況でのみ垂れるものだ。
突如噴出す鼻血とは具合の悪いもので、しかもそれは出てはならない状況に限って流れる。混雑した電車の中では「来た」と思った瞬間幾つかの視線が集中するのを感じてバンダナを配置に付け吸着させる。染みが目立つ色や容量の少ない手巾ではとても落ち着いてはいられない筈だ。
のぼせた結果血染めの風呂を生成してしまうと焦って顔を洗い始めるわけだが、風呂場の床は流血の惨事が進行している。どくどく流れる血が止まらない時は指を突っ込んで栓してみるが、口で呼吸を始めてしばらくすると鼻の奥から喉に鼻血が逆流するのみならず、口で呼吸しているから気管に垂れて粘着し、咽る苦しさに姿勢を保っていられず文字通りのた打ち回る羽目になる。
目が覚めると枕に血が乾いていて、何も知らず寝ている間勝手に噴出して勝手に止まったらしいことを示している。しかし手を見ると血がこびり付いており、鼻付近の違和感を無意識に察知したらしいことが推測される。鏡で顔を見ると想像するより汚れておらず、顔を枕に擦り付ける癖のあることが改めて確認される。
後頭部を手刀で刻めば早く止まるとの言い伝えがあるが、単に気分が悪くなるだけであって、それならば止まるまで放置しておく方が楽である。鼻の付け根と眉間の間を冷やして止める方法が一般的で無難なおまじないとされている。
目から牛乳を飛ばせる人が稀に存在するが、あのような人は鼻血が出た瞬間に力んだ場合、目から鼻血が弧を描くのだろうか。
- 人気者 05/01/30
読めない名前は困るが印象に残って覚え易いこともある。
簡単に読める名前の場合は余程の逸話がないと忘れてしまう。これは傷付き易い少年時代に散々からかわれ、しかし開き直ってからはそれを武器に人気者になった奴の話だ。
問題の姓は全ての人が間違いなく読めるのだが、そこらに転がっている名前というわけでもない。名刺には「戸野」と刷ってある。
銀行にて。「とのさまー」と呼ばれる時、周囲の頭が「は?」と動き、「とのさま」と思しき人間が窓口に歩み寄る姿に注目する。その中をゆったりと歩くことにはもう慣れたと言う。
しかし銀行や郵便局で窓口から名前を呼ばれる際には、「鶴弥様ー、鶴弥兼成様ー」の如く、まず「姓+様」一呼吸置いて「姓+名前+様」と呼ばれる。問題はここにある。書類の名前を書く欄には様が付いておらず「戸野」だけであるから、字面を追い振仮名を確認しつつ「戸野様ー」と呼ぶ。しかし受付嬢はこの瞬間に自分が何を言っているのか、そしてそれがどう聞こえるのかを突如悟るのだ。すると後半「姓+名前+様」を呼ぶ前に一呼吸以上の妙な間があり、やがて「・・・とっの、っ、○○さっ、まっー」と分割しながら抑揚が付く。
周囲の人が笑う事は構わないが、呼び出す声が笑っているのは悲しいと言う。携帯電話がまだ普及していなかった時代、彼は大学生であった。百貨店や遊園地にて嘘の待ち合わせ場所を教えられ、わざわざ「目黒区からお越しの、とのさま。お連れ様が地下鮮魚コーナーでお待ちです」「目黒区からお越しの、とのさま、お連れ様がコーヒーカップ前でお待ちです」
小学時代は「との君」と呼ばれ、中学時代は「馬鹿殿」と呼ばれ、高校時代は周囲に下の名前で呼ぶよう強制したが、結局大学時代に弄ばれ、居酒屋やレストランの予約は必ず名前を使われた。それでも非行にも走らず立派な勤め人となったが、いざ入社して、上司は部下を当然のように呼び捨てにする。
「との!」
人気者になり、一度で名前を覚えて貰えることが如何に有利であるかを実感してからは、漸く自分の名前に愛着が湧いたと言う。穏やかで澱みない語り口には幾度も話した結果の洗練が伺われ、やがて最後にこう言った。「しかし『馬鹿殿』だけは未だに腹が立ちます・・・あいーん」
- 病 05/03/03
肺が辛くて登り坂ではぜいぜい喘ぎ、終いには「ぅおえ」とえづく。
かつて剣道と水泳をやっていたことは現在の体力に何ら影響を与えておらず、むしろ不遜なる過信が動悸息切を招いているようだ。人間普通に生きてくればある程度の病歴を持っているもので、それはしばし屈折した自慢大会になり得る。
手前の場合、寒冷蕁麻疹が最も腹立たしい病であるが、その他には定期的に訪れる心臓付近への鋭い差込、これは呼吸をするだけで胸を掻き毟ってしまうような痛みが続くのでじっと呼吸を止めて治まるのを待つが、当然簡単には治まらないから止む無く細い息を吸うときりきりと痛んで悶絶する。年に数度しかないからさほどの心配はしていないがこの直後数時間ばかりは煙草をぴたりを止める。
稀に血も吐くのであって、しかしごぼごぼ言いながら真紅の血を吐くわけではなくて、どうにも息苦しくて痰を切るとそれが血の塊なのだ。口の中からは一切出血していないので何処から出た血なのか未だに知らないが、これは三度ばかりあって大変に怯える。
病歴の話になると「今まで病気も入院もしたことがない」と自慢する人が居て誠に羨ましい限りだ。入院した経験はないが頭を縫ったことはある。この「縫った」という響きもまた「俺は脚を五針」「腕を三針」と嬉しそうに語りだす作用があるらしく、縫うに至った経緯を事細かに話し始めるのである。手前の場合は小学一年の時、休み時間に机二つにそれぞれ両手を突っ張っていて足を前後にブランコの如く揺すっており、次第に揺れ幅が大きくなり、ついには一回転したらしい。しかしまさか一回転するなどとは思わないしその瞬間も一回転したとは思わなかったし、何がどうなったのかまるで判らないまま頭を押さえて自分の机に戻って泣き始めたらしい。「頭から血が出てる」と周囲が騒ぎ始めて先生が呼ばれ、次に救急車が呼ばれ、そして縫われたそうだがあまり記憶には残っていない。一部に絶対毛の生えない帯状の禿が残っていて、それが僅かな痕跡だ。
目の下一センチを足長蜂に刺された時は小学五年だったか。キャッチボールがそれて草叢に踏み込むと巣を蹴り散らしたらしい。この時は眉間と両目頭が鼻と同じ高さまで腫上がって薄気味悪い人相になったことを覚えている。皮膚科では皆に注視されて大層居心地が悪かった。刺された痕は今でも右目の下に黒ずんだ窪みとして残っている。
そのような自慢大会はさほど親しくないながら共通の話題が見つからない場合に有効であり、「病気らしい病気をしたことがない」と抜かす輩に対してはひたすら自慢を続けることが可能になる。手前の場合入院歴がないから入院経験を持つ人に対するとひたすら拝聴仕る仕儀となる。
- 筆箱 05/03/06
眼鏡を格納する箱は、ばねで開閉を統御してある。
割れたり外れたり中には安物で疲労の余り切れる奴もあるが、ぱかりと開いてぱこりと閉じる箱は筆箱に丁度良い。
筆箱の流行には周期があるもので、その周期は年代ではなく年齢に左右されるのが不思議と言える。基本的に缶の箱から始まって布の袋になり、やがて同一歩調をとる必要などないことを悟れば完全にばらばらとなるのだが、小学生中学生では周囲が缶箱なら皆缶で、誰かが布を使い始めると一斉に布になってしまう。
マグライトの箱は筆箱として大変有用であったが踏んだら割れたので筆箱という概念そのものを捨てたことがある。消しゴムという存在も抹殺し間違えたら塗り潰すことで身軽になった。
なのに最近は変に文房具が増えたので収容する為に眼鏡の箱を充てている。中には水性細ボールペンとシャープペンシル、筆ペン銀色、筆ペン赤ラメ、消しゴム、刃付物差、完全にスケッチ用になっている。
筆ペンは毛先が合成のもので、輸出用のものを何故か売っていたから纏めて買い込み、使い途に悩んだ末落書きを使命として用いられている。物差にはミクロン単位の刃が埋まっており、うまく角度を調整すれば上の一枚だけを切り抜くことが出来る筈なのだが、角度が違ったり力が足りなければ切れておらず、力を込めると三枚くらい切れてしまい役には立っていない。
- 視力 05/03/08
- 配り屋 05/03/10
多少の恐怖を齎すらしい身形をしている。チンピラと呼ばれることもある。
幾分目立つので待ち合わせに於いて発見して貰い易いという利点がある。こちらは余り動かずじっと待機することが最も手早い。稀にこちらが発見して近付いてゆくと決して目を合わせてくれず、声を掛けてようやく安心される。「なんだか怖い人が近寄って来た」とあらぬ方を向き通り過ぎるのを待っているらしい。
深夜の繁華街を一人で歩く場合、客引きは決して声を掛けて来ない。これはもう清々しいほど無視される。同業者扱いではなく危ない人扱いされいるようだ。煩い客引きが速やかに道を開けてくれるので余り問題はないが、中には「怖そうな人に的を絞った媚びる客引き」が居て油断ならない。それでも誰か別の人と連れ立っている時は遠慮がちに客引きが寄ってくる。案内中と思われているらしい。
だから駅前などのビラ配りティッシュ配りでは間違いなく邪魔をされない。何度差し出してもなかなか受け取って貰えない配り屋が、こちらの風体を見た瞬間手を引っ込め通過するまで固まっているので「必要ない」との意思表示はしなくて済むし、受け取らなくて申し訳ないという後ろめたさを感じずに済むし、無駄に荷物を増やしやがってなどと平常心が乱されることもないから平和なのである。たまにティッシュが必要と思う場合、配り屋の手元を凝視しながら近付けば渡してくれることもある。
普段から配り物を殆ど受け取らないから何か差し出されると吃驚して思わず受け取ってしまうのであって、しかもそれは例外なく美容院の割引券である。確かに髪色はオリーブ色だが、きり揃えるだけで数千円も毟り取るような店に誰が行くものか。
そして問題は花粉症の季節にある。花粉症が年によって出たり出なかったりするので年々の体調を計るには便利な体であるが、花粉症の出る年には街中のティッシュ配りを探す必要がある。浅墓にも冬と同時にティッシュ需要も終わったと考えるのかどうか、春と一緒に花粉がやって来る頃にはティッシュ配りは姿を消していてビラの配り屋しか居ない。「花粉症の季節にこそティッシュを配れ!チラシはいらん!」そう叫びたくなるのは手前だけではあるまい。
実はかなり視力が落ちている。
親の教育方針で小学生中学生時代はテレビを見せて貰えなかった。夏休みに親の実家つまり田舎へ帰省するとテレビを見ることが出来るので嬉しかったが、親戚が集う上にチャンネル権は祖父や親世代なのであってニュースから時代劇を転々とするばかり、自分で好きに見てもよい時間帯には高校野球しかなくてテレビがそれほど面白いものとは思わなかった。
その半面読書は無制限に許されており、本だけは幾らでも買ってくれたので高校生にして一端の活字中毒者が誕生したわけで、その傾向は大学生となっての一人暮らしではテレビを置かずに四年間を過ごしたことで加速する。「タイガー・ウッズて誰?」と聞いて呆れられたので新聞を取るようになったが、「テレビを見るのは年間十時間程度」という生活で視力に大いなる自信を持つのは自然なことである。
しかし活字中毒者の視力が安泰である筈もなく、視力の低下をはっきりと自覚したのは大学二回生で挑戦した合宿免許の視力検査の時だった。視力検査の部屋で皆が何となく集まって順番に答えているが、検査している者の隣に居ても全然見えない。それまで視力が低下しているとは知らずにいたから眼鏡など持っておらず、とにかく検査表に並んでいる穴開きの順番を必死で覚え、後半はただの黒っぽい点であったが記憶と勘のみで勝負してどうにか合格した。それでも路上教習や高速教習を平然とこなしたから問題はなかった。その後の更新では眼鏡が必要になってしまったがどうせ運転などしないから相変わらず問題はない。バイクに乗るときは度付の色眼鏡で深夜は信号しか見えないという恐怖にも負けず運転していたが、結局ダンプの左折に巻き込まれて死にかけたので乗るのをやめた。
近視なので遠くの文字は判別出来ないが、それを判別出来ないとは思っていない。何故か判別出来るのである。恐らく経験と勘によって「あそこに書いてある文字は多分『非常口』だ」「あの赤い文字は『禁煙』だろう」などと読み取っているらしくて不自由することは滅多にない。対面の二萬と三萬の区別は非常に難しいが濃ければ三萬だろうとの判断で生き延びている。
瞳子膠の刺激は思ったよりも効果が上がらない。数年続けるか専門家に任せるしかないのか。行動に不自由がないから不便とは思わず対策が遅れるのであって、そのことは使い古された教訓を引き出す材料となるが、身に付かず活かしも出来ないからこそ教訓と呼ばれるのであろう。そしてそれこそが教訓だ。